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第22回 越後における建御名方信仰

前回はこれまでのブログの内容を簡単にまとめましたが、今回は奴奈川姫の子とされ、越後の上越エリアに非常にゆかりの深い建御名方命(タケミナカタノミコト)の信仰について調べてみました。
 
建御名方命の信仰の広がりは、実はかなり大規模のようで、「日本神話では敗者なのに、信仰面では全国有数の成功神」という、非常に珍しい神格と言えます。この「敗者にもかかわらず、広く崇敬を集めている」という点は非常に気になるところです。

 《越後の建御名方命信仰の広がり》
建御名方命の本拠地はもちろん信濃国の諏訪大社で
 上社本宮、上社前宮
 下社春宮、下社秋宮
を中心とする諏訪信仰の主祭神となっています。
平安時代にはすでに朝廷からも重視され、名神大社、信濃国一宮として特別な地位を与えられていました。
 
諏訪大社を本社とする諏訪神社は全国にあります。
正確な数は時代や集計法によって異なりますが、数千社規模とされることが多く、稲荷神社・八幡神社・天満宮ほどではないものの、全国有数の神社ネットワークを形成しています。
 
その中でも新潟県は全国でも屈指の諏訪信仰の地域のようです。
例えば神社データを集計した資料では、
 ・新潟県 約900社前後
 ・長野県 約400社前後
という数字が示されており、諏訪神社・諏方神社・南方神社など建御名方命を祀る神社の総数では、新潟県が全国最多とされています。また別の集計でも、新潟県内の「諏訪神社」という名称の神社だけで500社を超えています。
 
《神社の数が日本一多い新潟県》
そもそも、新潟県は神社の数が日本で一番多いと言われます。
新潟県が「神社数日本一」と言われる場合、集計方法によって多少数字は違いますが、かなりの差で全国トップです。
例えば新潟県神社庁関連の資料では、
 1位 新潟県:約4,755社
 2位 兵庫県:約3,836社
とされており、2位と約900社もの差があります。
 
なぜ新潟はここまで多いのかという点については、主な理由として、
・江戸時代まで人口が非常に多かった
・大規模な新田開発が行われた
・集落ごとに鎮守社を持つ文化があった
・明治の神社合祀で他県ほど統廃合されなかった などが挙げられています。
 
《神社の多さと縄文のつながりを考える》
しかし私は、それだけではなく、縄文時代以来の厚い祭祀文化の蓄積も要因の一つではないかと考えています。
 
このブログの最初にまとめた通り、糸魚川周辺は世界有数のヒスイ産地であり、縄文時代から広域交易の中心地として機能していました。糸魚川産ヒスイは北海道から近畿地方にまで運ばれていたことが知られています。

あくまでイメージ図です。

ヒスイは装飾品であるだけでなく祭祀とも深く結び付いていたと考えられています。そのため、この地域には古くから人々が集まり、祈りを捧げる文化が形成されていた可能性があります。

そして、現在私たちが目にする神社の多くは古墳時代以降に制度化されたものですが、縄文を代表としたその前段階として、山、巨岩、泉、森、岬などを神聖視する自然信仰の祭祀が存在していたと考えられます。実際、新潟県の上越エリア、中越エリアまでは縄文の遺跡が数多く見つかっています。

翡翠の産地でもあり、縄文の大規模な遺跡の見つかっている糸魚川をはじめとする新潟県各地では、こうした祭祀が古くから連続して行われ、その伝統の上に後世の神社制度が重なったのではないでしょうか。
さらに、新潟県では集落ごとに小規模な神社が残される傾向が見られます。これは地域ごとに独立した祭祀の伝統が強く維持されてきたことを示しているようにも思えます。
もちろん、縄文文化と現在の神社数を直接結びつける証拠はありません。
しかし、
「縄文以来の厚い祭祀文化」→「地域ごとに受け継がれた信仰」→
 →「その上に成立した神社制度」→「結果として現在まで多数の神社が残った」
という流れを想定すると、新潟県が日本有数の神社県となった理由の一端を説明できるように感じています。
 
《諏訪神社は新潟県の最大級の勢力》
その上で改て建御名方命信仰に視点を戻すと、ある資料では、
 ・新潟県内の神社総数 約4,789社
 ・そのうち諏訪神社系 約927社
とされており、新潟県内の神社の約20%が諏訪系でおよそ5社に1社が諏訪系という非常に高い比率になっています。
 
この比率はかなり高く、「新潟は神社が多いから諏訪神社も多い」だけでは説明しきれず、「新潟で特に諏訪信仰が強い」ことも同時に示していると考えられます。
確かに、意識してみてみると、上越エリアでは「諏訪神社」が多い事に気が付きます。地域の小さな神社など、あちこちに「諏訪神社」を見つけることができます。
 
まず「新潟県そのものが神社大国である」という前提を置きつつも、その中でさらに諏訪神社が最大勢力級になっている事実は非常に興味深い点であると考えます。
 
《全国的な勢力との比較》
全国的な神社の勢力図を見ると、一般には
 1. 稲荷神社
 2. 八幡神社
 3. 天満宮
 4. 熊野神社
 5. 諏訪神社
あたりが大きな信仰ネットワークを形成しているとされます。特に八幡神社は全国に約4万社以上とも言われ、単独では最大級の神社グループです。
しかし、新潟県の統計の一例では、
 諏訪神社 927社
 神明社 752社
 十二社 401社
 八幡神社 397社
 白山神社 196社
 稲荷神社 175社
という数字が示されています。
つまり新潟県では、全国的な王者である八幡神社よりも、諏訪神社の方が圧倒的に多いという非常に特徴的な状況になっています。これはかなり興味深い現象です。
八幡神は国家的な神であり、皇室、武家政権、源氏との結びつきによって全国へ広がりました。
一方建御名方命は、武神としても崇敬されていますが、そもそもは地方神、山の神、農耕神、狩猟神として発展してきた神です。にもかかわらず、新潟県では八幡神よりも諏訪神の方が目立つのです。

全国的には八幡信仰が圧倒的ですが、新潟県ではその傾向が異なり、むしろ諏訪信仰が最も強い勢力となっている。このことは、新潟県が他地域とは異なる独自の信仰史を持っている可能性を示唆しているのではないでしょうか。このことはこのブログのメインテーマでもある「越の国が王朝だったのではないか」という点にもつながるものだと感じます。
 
《諏訪大社を有する長野県との比較からわかること》
越後においての諏訪神社の勢力の強さが、かなり特異なものであることが分かるのは、建御名方が鎮座する諏訪大社のある長野県についてのデータを調べてよくわかりました。
長野県の場合も諏訪神社は非常に多いのですが、新潟県ほどの「一強」ではないようです。
・長野県の神社総数:約2,535社 → 諏訪神社系:約386社 とされています。長野県の神社のおよそ6〜7社に1社が諏訪系ということになります。

普通に考えると、総本社がある長野県が圧倒的1位となりそうですが、実際には社数でも比率でも新潟県の方が高いという結果になっています。

一般には、諏訪信仰 = 長野県というイメージがありますが、分布を見ると諏訪信仰の最大の受容地は実は新潟県とも言える状況で、諏訪信仰の本拠地は長野県だが、信仰の広がりという観点では新潟県の存在感が際立っているのです。


というわけで、今回はここまで。

次回は、越後においてなぜ建御名方命信仰が広がったのかと、主な伝承をまとめてみたいと思います。

ではまた次回の講釈で。


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