「越の国」王朝説を考察~前書き
はじめに
私の住んでいる新潟県上越市は
実は「古事記」に登場する神とのゆかりがある。
子供のころ、父が古事記の絵本のようなものを読ませてくれた。
その中で大活躍する大国主命。
途中からはほぼ主役である。
その大国主命は奴奈川姫という
越の国の女王を妻にしたいとわざわざ越の国まで
出向いて結婚した…という話が出てくる。
ここまでは、古事記に書かれている有名なお話。
しかし地元ではもっとたくさんの伝承がある。
その中の一つには
上越市の郷津トンネルを抜けたところの
「岩殿山」に大国主と奴奈川姫が結婚後に生活したとされている岩屋がある。
その岩屋は過去の大地震などで崩れてしまっている部分もあるが今でも存在している。
(岩殿山縁起 - 天台宗 岩殿山 明静院)
この岩殿山についての伝承を
地元の郷土史家がまとめた本も我が家にあった。
(これがまた非常に興味深い内容です)
「古事記」に登場する
ある意味主役ともいえる神様とこの上越市が
ダイレクトに結びついている事は
よく考えたらすごい事。
ところが、当の上越市の住民は
それをあまり認識しておらず
我々上越市民はその価値にほとんど
気が付いていない気がする。
大国主が見初め、出向いてまで娶った妻というのは
唯一、奴奈川姫だけだという。
その奴奈川姫についても
私たち上越エリアの住人は、
なんとなくしか認識していない。
しかし、上越市に鎮座する
弥彦神社と並んで「越後一宮」の居多神社は、
大国主命と奴奈川姫、二人の子とされる
建御名方命がともに祀られている。
越後一宮の神社にこの3柱がある…
という事は重みがあり、
この事実は、古事記の記述だけではなく、
地元の伝承が何らかの事実に基づいている可能性を感じさせる。
居多神社 - Wikipedia
日本の歴史として認められている文献
「古事記」には「越の国」がたびたび登場する。
大和政権の正統性を描くことを目的として作られているこの文献に、
「越の国」が独立した国として登場している
ということは、出雲、大和よりも前から
「越の国」が存在していた可能性がある。
私たち越後の人間は、比較的おとなしく
私たちの土地にはたいしたものはないですよ…
という気風が染みついている。
けれど、歴史を深く調べいていくと、
越後を含む「越の国」は
古事記に登場するほど歴史が古く
私たちが思っている以上に
重要な立ち位置であった可能性がある。
私自身は、「ヒスイ」が起点となって
越の国について調べているうちに
日本で最古級の「越王朝」
があった可能性…というところに行きついた。
どうしてそんな大それたことになったかというと
糸魚川産ヒスイが古代、現代の私たちが
想像も出来ないほど重要視されていた
という事を認識したのが始まり。
日本中にヒスイの需要があった
という事実を知って、
それを司っていた越の女王・奴奈川姫とは
何者なのか…と細々と調べ始めたところから始まった。
けれども、大和政権の正統性を目的に成立している
古事記・日本書紀だけでは情報が足りない。
全然見えてこない。
そこで現代のテクノロジー・AIの力も借りて
一般には「偽書」と言われる
様々な古史古伝の情報や地元の伝承などを取り入れながら奴奈川姫をほじくっていくと、
ついにはフォッサマグナも関り
「越王朝」が存在した可能性…という方向に引っ張っられた。
「証拠」と言われたら、状況証拠でしかなく
学術的には鼻で笑われるようなものしか存在していないとは思うが
私の考察と、現代のテクノロジー「AI」の情報収集の力でいろいろと調べてみたことを綴ってみようと思う。
逃げ道として、「だったりして~!」 という軽さ
も残しつつ、真面目に考察していきます。
千の樹の実
