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第13回 事代主の母は奴奈川姫という説

ここまで、さまざまな記録の断片から「越の国」がかなり古い段階で王朝として成立していた可能性を考察してきました。古史古伝についてもいろいろご紹介してきたのですが、越の国を調べていく中で、気になる情報が出てきました。
 
それは、竹内文書内において事代主が奴奈川姫の実子であるとされているという情報です。

地元の上越エリアでは奴奈川姫の子は諏訪大社の主祭神となっている「建御名方命」と認識されていますので、事代主も子であるという説はにわかには信じられないですし、古史古伝という分野であればなおさらです。
また、実際に上越エリアで、事代主という神様が伝承などで関りがあったかと言われるとピンとこないという感覚で、出雲地方・北陸に縁の深い神様で、越後地域はそんなに関わっていないという印象です。
 
その事代主が奴奈川姫の子となると、いろいろと歴史のとらえ方や解釈が大きく変わってきます。

なぜかというと、事代主は大和政権に深く関わりがあるからです。
大和政権の祭祀の中枢とも言える三輪山信仰や、日本を裏で主導してきたともいわれる八咫烏と事代主のつながりもさまざまに考察されています。

もし事代主が奴奈川姫の実子だとしたら、大和政権の裏に越の国が影響力のある形で存在していた…という今まで考えたこともなかった構図が浮かびかがるのです。
これは、調べてみるしかない…ということで、事代主が奴奈川姫の実子と考えられるような痕跡が何かあるのか、を追ってみたいと思います。
 
《事代主とは》
ではまず、一般的な事代主の情報を簡単に紹介します。
 
事代主は大国主の息子であり、父親である大国主には奴奈川姫以外にも多くの妻がいたとされていますが、古事記においては、事代主の母は神屋楯比売(かむやたてひめ)とされています。
ここで大国主命の婚姻についての相関図をご紹介します。
 
■ 大国主命の婚姻関係・子の系図(古事記において)
大国主命(大穴牟遅神)
├─【正妻】須勢理毘売命(すせりびめ)…スサノオノミコトの娘
│ └(子の記録はほぼなし)

├─【妻】八上比売(やがみひめ)
│ └ 木俣神(きのまたのかみ)
│ └ 御井神(みいのかみ)

├─【妻】神屋楯比売(かむやたてひめ)
│ └ 事代主神(ことしろぬし)…恵比寿神と同一視

├─【妻】多紀理毘売命(たぎりびめ)
│ └ 阿遅鉏高日子根神(あじすきたかひこね)
│ └ 高比売命(たかひめ)※下照姫と同一視される

├─【妻】奴奈川姫(ぬながわひめ)
│ └ 建御名方神(たけみなかた)
│ └(信濃国・諏訪神信仰の主神)
│※出雲風土記では、御穂須須美命(みほすすみのみこと)が子と書かれる

├─【妻】鳥取神・鳥鳴海神の娘系統
│ └ 多くの出雲系神へ分岐

└─【その他多数】
├ 180柱以上の神々
└ 各地豪族・国造の祖神
 
というわけで、大国主の妻の数に改めてビックリしますが、この関係図を頭に入れたうえで『古事記』における事代主がどのように登場するか確認します。

《古事記における事代主の登場場面》
古事記において事代主の登場場面は、非常に限定的でただ一場面です。
それは「国譲り神話」において、父・大国主神から任されて判断する場面です。

① 天照側の使者が降臨し、国譲りを要求する

高天原は、地上世界(葦原中国)を天津神の御子に治めさせるため、 建御雷神(たけみかづち)と天鳥船神を派遣する。建御雷神は出雲の伊那佐の小浜に降り立ち、 大国主に対して「この国を天津神の御子に譲れ」と迫る。

② 大国主は「自分では決めない」→ 事代主を最初に指名
大国主は、すぐには答えず、こう述べる。
「我が子は多い。まずは事代主に問うべきである」
この大国主が最初に名指ししたという点は “後継者候補” が事代主である という示唆とされています。
事代主は「大国主の政治的後継者」として扱われ、国譲りの可否を決める“資格”を持つ神として描かれます。

③ 事代主の所在描写 ― 青柴垣を立て、舟で釣りをしている
使者が事代主を探すと、事代主は
青柴垣(あおふしがき)を立てて、舟を浮かべて釣りをしている
という、非常に象徴的な姿で登場します。

この描写の意味(学術的に指摘される点)としては
 ・青柴垣は「神聖な結界」を意味する
 ・釣りは「水辺の神」「海民系の神格」を示す
 ・つまり事代主は、水辺の祭祀・占い・神託を司る神として描かれているこの時点で、事代主は “神意を判断する資格を持つ神”=シャーマン的権威 として登場していると解釈されます。

④ 事代主、即座に国譲りを承諾する
建御雷神の言葉を聞いた事代主は、 一切の抵抗を示さず、即座に国譲りを受け入れる。これは古事記の中でも異例の迅速さで、 「天津神の意志に従うことが正しい」という判断を示しているとされています。

⑤ 承諾した後の事代主の行動
事代主は承諾した後、釣り具を捨て、天の逆手を打ち、青柴垣に隠れる
という謎めいた行動をします。
これらの象徴的な行為は、国譲りが正当であることを保証する儀礼的行為、とも、出雲に対する裏切りを表している、など様々な解釈がされています。

⑥建御名方神が抵抗
事代主神が承服した後、奴奈川姫の子である建御名方神が登場
こちらは明確に武力抵抗するが、最終的に敗れて諏訪へ落ち延びます。
  →諏訪大社の主祭神となる
 
⑦事代主はここで物語から姿を消す
そして国譲り後、事代主神はほぼ物語から姿を消します

古事記におけるこの場面から、事代主は
 ・国譲りの正当性を保証する神
 ・大国主の後継者としての権威を持つ神
 ・天津神の支配を認めた“最初の承認者”
という、政治的に非常に重要な位置づけが示されています。
 
《驚くべき形での再登場》
そして、古事記から姿を消した事代主ですが、後に突如として驚くべき形でその名前が再登場します。それは―― 「神武天皇の皇后の父」 という、王権の核心に直結する立場での登場です。

しかし、ここで竹内文書に書かれる説を置くと、 日本神話の構造そのものが大きく揺らぎます。
もし、 事代主が奴奈川姫の実子であったとしたら――?

これは、越の国が大和政権の成立に深く関与していた可能性を示す、 これまで想像すらされてこなかった日本の歴史の視点が見えてきます。越の国の姫(奴奈川姫)の血が、 事代主を通じて神武天皇の皇后へとつながる。つまり、 大和王権の根幹に、越の国の血統が流れ込んでいる可能性が浮上するのです。

これは、単なる系譜の話ではありません。 日本神話の構造、王権の正統性、地域間の力関係―― そのすべてを再解釈せざるを得なくなるほどの力を持つ仮説です。

この衝撃的な可能性については今後、地元の伝承なども含めてご紹介した上で考察していきたいと思います。

《神武天皇の正妻の父=事代主神》
古事記では「事代主神が神武天皇の后・媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメ)の父である」と、かなりはっきりした系譜表現で書かれています。
古事記では、媛蹈鞴五十鈴媛命について、次のような系譜説明が入ります(意訳):この媛蹈鞴五十鈴媛命は、事代主神の娘であり、その母は 玉櫛媛 である。

「事代主=皇后の父」は、古事記において事実として書かれている部分であり、王権の中枢(皇后)に関わるところでだけ、再び名前が出てきているのです。
 
もし事代主が、ただの地方神、従属した敗者であれば、皇后の父として明示される必要はありません。しかし古事記はあえて、「神武天皇の正妻の父=事代主神」と書いています。これは、王権の正統性、血統の正当性を裏から支える役割を、事代主が担っていることを示します。

それがもし奴奈川姫の実子だったら…。
 
といわけで、今回はここまで。
日本神話での事代主の置かれ方を理解した上で
次回は、事代主の母とされる神々について整理していきます。

ではまた次回の講釈で。

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