第21回 越から諏訪へ
これまで、糸魚川の翡翠文化を起点として、地元に残る伝承や神社縁起、さらに『古事記』『日本書紀』、古史古伝と呼ばれる文献などを照らし合わせながら、越の国と奴奈川姫の位置付けについて考察してみました。
私自身の現時点での結論は、越の国が古代日本において最古級の王権、あるいはそれに匹敵するほどの権威と影響力を持った地域であり、奴奈川姫はその中心にあった巫女的女王であった可能性が高いというものです。
その要因は、古代においての翡翠の位置づけの高さ、翡翠の産地糸魚川と縄文との符合などに加えて、日本で一般的に偽書とされる複数の古史古伝で、越の国・奴奈川姫と思われる存在の位置づけに共通点が多いこと。
また、日本の正史とされる「記紀」においても、存在を消される事なく、出雲よりも前から存在していた統治エリアと思われる描かれ方で登場していること、奴奈川姫の扱いが丁寧であることなどがあります。
『記紀』は大和王権の正統性を示すために編纂された文献である以上、越の国や奴奈川姫の存在は、実際よりもスケールが小さくされ、再整理されている可能性があります。しかし、奴奈川姫の物語は決して無視されることなく、『古事記』に比較的詳しく記され、大国主との婚姻についても重要な場面として残されています。
そして、一般には偽書とされる『竹内文書』には、事代主が奴奈川姫の実子であるという系譜が見られます。これ自体を史実とみなすことはできませんが、上越・糸魚川地域の伝承には、それを補完するかのような内容が複数存在していました。もし仮に、事代主と奴奈川姫の関係が何らかの歴史的事実を反映していると考えるならば、多くの疑問に説明がつくようになります。
たとえば、
・なぜ事代主が国譲りの最終的な承認者なのか。
・なぜ三種の神器に八尺瓊勾玉が入っているのか。
・なぜ神武天皇が事代主の娘を皇后としたのか。
・なぜ神武天皇の皇子に「神沼河耳命(カムヌナカワミミ)」という名が与えられているのか。
こうした点が、一つの流れとして理解できるようになります。
さらに、調べていく過程で浮かび上がってきたのは、「神代からの霊跡」という位置づけで、上越地域に「身野輪山」「身能輪山」「大神嶽」「おおみわのやしろ」といった伝承が集中しているという事実でしたが、これも、事代主が奴奈川姫の実子であると仮定すると、越の国、そして「ヌナカワ」の血統や祭祀体系は、大和政権成立以前から存在した古い権威であり、その正統性が事代主を媒介として大和王権へ受け継がれた可能性も見えてきたのでした。
事代主については、八咫烏との関りや大和政権を裏から動かした「裏天皇」という考察もたくさん存在するので、正直、私は事代主という存在を、出雲を裏切った存在として捉えていました。しかし今回の考察を通して、その見方は大きく変化しました。
もし事代主が出雲と越、そして後の大和王権を結びつける存在だったとすれば、それは裏切りではなく、異なる権威や祭祀体系を調停し、統合する役割だったのかもしれません。
そして、事代主の存在があったからこそ、『記紀』の編纂においても、越の国や奴奈川姫を完全に無視することはできなかったのではないでしょうか。
そう考えると、『記紀』に残された奴奈川姫の存在そのものが、大和王権が越の国と奴奈川姫の持つ権威を認識し、その影響を一定程度認めていたことの証であるようにも思えるのです。
一方で、気になるのは記紀において「富士山」が登場しないという事実です。これは、日本人であればとても意外に感じるのが普通の感覚ではないでしょうか。
それについては、これも偽書と言われている「宮下文書」がかつて存在したとされる富士王朝について残しています。偽書とされてしまっていますので、事実かどうかというのは証明が難しいですが、やはり様々な伝承は残っているようです。記紀に富士山が登場しない…という事については、大和政権において、富士王朝の存在は隠したいものだったのではないか…という考察がされることが多いのです。
強大な権威を持っていた「富士王朝」がもし存在したのだとしたら、天から地上へ降りてきた天孫族が日本を初めて統治したのだという論理で神話を作りたかった大和政権にとっては不都合な存在となります。
私は、富士王朝があったと考えることは荒唐無稽な話ではないと考えています。もちろん、その存在を直接証明する史料は見つかっておらず、「宮下文書」も歴史学の世界では偽書とされています。しかし、富士山周辺には現在でも数多くの古い伝承が残されており、なぜそのような伝承が形成されたのかを考える必要はあるでしょう。
ここで私が注目しているのは、翡翠にもつながる「フォッサマグナ」の存在です。フォッサマグナエリアには富士山周辺が入っており、奴奈川姫の伝承が残る糸魚川~上越~柏崎エリアも含まれています。そしてそのフォッサマグナと中央構造線の交点付近には諏訪があります。諏訪には奴奈川姫の子、建御名方命が鎮座しています。
長年の疑問「建御名方命の諏訪入りは本当に敗走だったのか?」をどこまで解き明かせるかわかりませんが、様々な視点から調べてみたいと思っています。
というわけで今回はここまで。
ではまた次回の講釈で。
