愛された30歳

厄年であってほしいと願った。

そうしたら、全てを厄年のせいにできた気がした。

けれど、厄年は翌年から始まる。これよりも悪いことが起こるのかと考えると、恐ろしくなった。

それなのに、胸が温かい。

🌸春


◯さよなら、20代の私


🍳理想のお嫁さん

「じゃあ僕、地元に帰るから。」

突然、彼からそう言われた。私が30歳になる少し前のことだった。

彼とは8年間、交際をしていた。九州と関東の遠距離恋愛を経て、彼が東京へ転勤してからは中距離恋愛をしていた。

きっといつか地元へ戻るための転勤があるだろう。その時には、「一緒に帰ろう」と言われるのではないか、と思っていた。

しかし、実際にはそれはなかった。不思議と、大きなショックは受けなかった。8年間も付き合っていたので、後半は友達のような関係になっていた。

深刻な感じではなく、

「結婚とかそういう話はどうなりますか?」

と質問したところ

「キミは、僕が結婚したいと思うほど良い女のつもりだったの?」

と返された。

その言葉のきつさにショックを受けた。しかし、反論の余地がなかった。

事実、彼の方がお料理が上手だった。手料理を振る舞ってくれる回数も多かった。私へのプレゼント選びにも気配りがあった。見習いたいと思うところがたくさんあった。

彼が女性だったら、「こんな家庭的な女性をお嫁さんにしたい!」と思うような人だった。私よりずっとお世話上手な人だった。

私の20代を捧げた恋人。長い付き合いの友達を失ったような喪失感の方が大きかった。

📲同期相手

そんな彼は、私の良き理解者だった。

何かを説明するときに言葉足らずなままでも、こういう内容を言いたいんだろうなと、全て汲んでくれていた。ダテに8年間付き合ってたわけではないなと思わされた。

だから、多くを話せなくても全て同じように認識し、共有できていたと感じる。

これからも、一緒に映画を見て、同じ感想を言い合えると思っていた。同じ事柄に、同じ温度で感情を共有できると思っていた。

彼は私たちの関係を、よくこう言っていた。

「同期してしまっている」と。

ドライブ中に見たものを口にせずに、それに対して同じことを思い、同じタイミングで全く同じ言葉を言ったこともあった。

友達のような関係だと思っていた。けれど、振り返れば、私たちの間には二人にしか分からない愛のカタチがあった。

これからは、一人でもいろんなことを楽しめるように生きていくね。

さよなら、良き理解者。さよなら、20代の私。

◯耳の生えたふわふわ


🐇一緒に暮らす愛をくれる生き物

彼が去り、私が一人ぼっちになったかというと、そうではなかった。部屋に帰れば、愛しいうさぎがいた。2羽も。6カ月差で迎えたので、年齢はほぼ同じだった。

先に来た子が、たわし。
後から来た子が、ゆず。

性格はまるで違ったけれど、どちらも私にたくさんの愛情を注いでくれた。

たわしは、いつも私の隣にべったりくっついていた。頭を撫でられることが好きだった。そんな二人だけの時間が幸せそのものだった。

愛されていた自覚があった。愛していた自覚もある。でも、彼らがどう感じていたかは、たわしとゆず自身でないと、分からない。

彼との8年間の付き合いに終止符は打たれた。それでも、この子たちと変わりなく静かに幸せな時間を過ごしていた。

そんな時だった。たわしが体調を崩した。

かかりつけの病院に通院したが完治せず、ついに専門病院へ行くように勧められた。

🏥いつもと違う病院

初めての来院だったので、現状を詳しくお話した。

大事に育ててきたと思っていた。育てるというよりは、一緒に生活してきた、という方が近い。たわしが体調を崩したのは、私の管理が行き届いていなかったからだ、と自分を責めた。

「状態はかなり悪いです。完治のためには手術が必要。しかし、年齢もあるので無理をさせられないことも事実。緩和ケアが一番現実的な選択。」

ということだった。病状の説明も詳しくしてくださったが、正直に言うなら頭に全く入ってこなかった。

私の愛しい子が、そんなに悪い状態だったなんて。

たわしが小さい頃からこの病院に通っていたら。

早期発見できていたら。

自分を責めることしかできなかった。

しかし、いくつかの選択肢を与えてもらえたことは、救いだった。私は、たわしにもっと生きていてほしいと望んでしまった。

これまでにも、たくさんの幸せな時間を与えてもらってきた。それでも、もっと一緒にいたいと欲張ってしまった。

手術を視野に入れて、さらなる検査の予定を入れてもらった。

何を選択することが正しいのか分からず、たわしの現状も受け入れたくなかった。車を発進させる前に駐車場で泣いた。

手術を受けて起こるリスクは承知していた。それでも、苦しくなく、長く一緒に生きていてほしかった。私の最後のワガママを聞いておくれ、とたわしの頭を撫でた。

お薬を飲む日々が始まった。

◯さよなら、30歳の誕生日


🫂唯一できた正しい選択

たわしの今後について、改めて真剣に考えた。いつだって、この子たちに対しては真剣でいたけれど。

9歳目前のたわしに対して、遅いと思われるかもしれないが、残された時間が少ないということを意識し始めた。

記念すべき30歳の節目を迎える誕生日。その当日に行われる推しのライブを、自分へのプレゼントとして用意していた。

チケットも新幹線も宿泊施設も、用意がそろっていた。それを、直前に全部キャンセルした。

たわしと一緒にいることが、私にとって一番の幸せであることは、考えなくてもわかることだったから。

正直、特別なライブになっただろう。それでも、後悔はなかった。私は、正しい選択をした。

目を背けたくなるような1年間が始まっている。

さよなら、私の特別な誕生日。

🌊夏


◯さよなら、愛情そのものみたいな子


🟠3カ月間の通院

春から、通院を繰り返した。何度か安定したように見えたりもしたが、たわしの体調が回復することはなかった。

症状が出始めてから3カ月間、通院を頑張ってくれた。

詳しい検査をしてもらったが、やはり歳なので手術は負荷しかかからないと説明された。それも理解できた。

だから、お薬を飲みながら1日ずつ一生懸命に生きた。小さなふわふわの愛しい命。毎日、たくさん私を愛してくれたたわし。

🟠最後の呪い

朝。私には分かった。この子は、今日が最後かもしれない、と。

でも、仕事を休むことを決断できなかった。だからせめて、朝の準備はそっちのけで、たわしとたくさん過ごした。

朝の短い時間だけれど、たくさんありがとうと愛してるを伝えた。

「お仕事行ってくるからね。大好きなおやつを買って帰ってくるからね。今日も良い子で待っていてね。愛してるよ。私の愛しい子。」

何度も何度も、愛を注いだ。

どうか、私の帰りを待っていて。今日の夜も一緒に過ごさせて。今日が最後かも、なんて、私の思い違いだと思わせて。あと1カ月で9歳を迎えるよ。9歳になろうね。

と、呼吸が苦しそうな中でも頑張って生きてくれているたわしに、呪いをかけた。

強欲な私は、「あと30年は一緒にいようね」と囁いていた。

愛情に見せかけて、たわしにとっては呪いだったと思う。そして同時に、自分への呪いでもあった。言霊みたいに、発言すればそれが叶うのではないかという、祈るような呪い。

🟠呪いからの解放

仕事から帰宅するとたわしは動かなくなっていた。予想はついていたはずなのに、どうすることもできなかった。

きっと、仕事を休んで病院に連れて行ってあげたとしても、たわしの苦しい時間が長引くだけなのではないかと思ったんだ。だから、いつも通りに過ごしてもらった。

最後をそばにいてあげられなかったことは、今も心苦しい。たわしは、私がしんどい時にずっとそばにいてくれた。私はたわしがしんどい時に、最後まで寄り添ってあげることはできなかった。

逃げたと思われても仕方がない。受け入れられなかった。受け入れたくなかったのだと思う。

いつか終わりが来ることは分かっていた。その覚悟の上で家に迎えたはずだった。

それでも、約9年間ともに暮らしてきた時間があるから、悲しくて苦しい。

私をたくさん愛してくれてありがとう。残された時間は、たわしとの愛しい時間をたくさん思い出しながら、ゆずと頑張って生きていくよ。

「たわし。たくさんありがとう。」と、見送った。

通院、つらかったよね。最後の日、一人ぼっちで嫌だったよね。9歳を迎えさせてあげられなくてごめんね。

という気持ちで押しつぶされそうになった。

しかし、たわしの兎生は、最後の通院だけではない。立派に生きた約9年間がある。だから、私は「ありがとう」で送り出した。

さよなら、愛情そのものみたいな子。

🍂秋


〇束の間の歓喜


🎸太陽がサンサン

食欲の秋。運動の秋。読書の秋。

推し活の秋。

たわしと悲しいお別れをしたばかりだった。それでも、推しのライブに行く予定を立てられた。引きこもっていては、だめになる一方だと分かっていた。

会場は、1500人入るライブハウス。私の手元に配布されたチケットを表示すると

整理番号 3

3?さん?サン……?太陽がサンサン?

アンパンマン、しょくぱんまんに、カレーパンマン♪

と、歌い出してしまいそうな気持ちを抑えて、もう一度確認する。

整理番号 3

信じられない数字だった。10年以上、このバンドのライブに行っていて、こんなに良い番号が配られたことは無かった。

悲しいお別れを乗り越えた私への、神様からのご褒美かな?

いや。もしかしたら、たわしちゃんが微笑んでくれたのかな?

なんて、都合よく受け取った。

この日のライブも、私の中の最高を更新した。人生で初めて、最前列でライブを見ることができた。贅沢なほど、近かった。

この感動も、私の大切な30歳の日々のひとつ。

❄️冬


◯9年目のゆずとの約束


📝To Do List

9歳の誕生日を迎えること
9年目のお家記念日を迎えること
春は、一緒に桜を見ること
夏は、部屋でゴロゴロする
秋は、少し外へ出てお散歩をする
冬は、二人で毛布に包まる

当たり前だったはずのことを、ひとつずつ紙に書いた。

1月末、ゆずは9歳を迎えてくれた。

「たわしが迎えられなかった9歳を、迎えてくれてありがとう」
と、抱きしめた。

誕生日から1カ月半後、9年目のお家記念日も無事に迎えられた。

一緒に部屋の中を走り回って追いかけっこしたり、かくれんぼをしたり、元気に過ごしてくれていた。

しかし、歳には抗えなかった。体調が急に悪くなった。

かかりつけの病院では、先生の方針で「もう立派な歳だから、あとは穏やかに過ごさせてあげてください。」と積極的な治療はしなかった。

私は、もっとゆずと一緒にいたかった。だから、たわしのときにお世話になった専門病院へ連れて行った。

診察をしてもらい、「今日から入院が必要です」と言われた。

しかし、いきなり離れることを決断できず、連れて帰ってしまった。

先生は、
「お家で急変の可能性は大きいけれど、飼い主さんの意見を尊重します。」
と言ってくださった。

ゆずと私に、もう一晩だけ時間をください。
と、病院を出た。

今夜が部屋で一緒に過ごせる最後の夜になるかもしれないと思い、車の中で泣いた。

🌅安堵の朝

ゆずが私の髪の毛をハムハムしている。私が寝転んでいると、ゆずはいつもそうする。髪の毛を噛みちぎるわけではない。

そんな風に、起こされて迎えた朝。この夜を越えられたことにホッとした。

いつもより早起きだった。ゆずの朝のお世話に時間をかけられた。最近の食べ具合と比べたら、しっかり食べてくれた。

意外と大丈夫そうじゃない?
と、安心した。

でも、今日も仕事が終わったら病院へ連れて行く。そのまま入院をしてもらうつもりでいた。

本当なら昨日から必要だった入院。一晩時間をもらったから、決心はついていた。

きっと、今日1日大丈夫だろうと安心した。自分が仕事へ行くための朝の準備をしようと、立ち上がった瞬間。

フラフラよろけてバタン、とゆずが倒れた。

職場の先輩に、仕事を休むことをすぐに連絡して、病院へ向かった。

開院前に着いて、番号札を取り、受付だけを済ませた。40分ほど車の中で待機した。待機中に、ゆずは何度も起き上がれなくなった。ぐったり倒れて苦しそうな呼吸をしていた。

「もう少しだよ。もう病院は目の前なんだよ。」

と、泣きながら声をかけた。飼い主がしっかりしないといけないのに。

やっと病院が開いた。現状を説明するより先に、先生はゆずを観て、即ICUへ連れて行ってくださった。

どうかゆずが退院できますように。
どうかゆずをまた抱っこできますように。
それだけを祈った。

🏡届いた祈り

入院してから3日目の朝。ゆずの状態を聞きに病院へ行った。

「ICUにいれば呼吸は安定しています。お家に酸素の機械を設置できれば、今日にでも退院はできます。」

やった!ゆずがお家に帰ってくる!

一度帰宅し、お昼には業者の方に酸素を設置してもらった。

夕方、お迎えに行った。ゆずが私の手の中に帰ってきた。「おかえり、ゆずちゃん。」と何度も言って頭を撫でた。

私はこの病院へ来るたびに、いつも帰りは車の中で泣いていた。今回は、嬉しい涙。

いつものケージではなくて落ち着かないかもしれないけれど、病院と同じように酸素があるからね。呼吸が苦しくないように準備したからね。

ゆずが帰ってきてくれることを、待っていたよ。
ゆずが今日も生きていてくれて嬉しいよ。
と、ゆずを抱きしめた。

帰ってきてくれてありがとう。おかえり、ゆず。

🟡3分だけの寄り道

退院はできたものの、「2日に1回は点滴に来てください」と言われていたので、点滴を何曜日に連れていくと、ゆずに負担が少ないかを病院の先生と念入りに調整した。

しかし、退院してから点滴に連れて行ってあげられたのは、1回だけだった。

3月末。桜が咲いていた。

最初で最後になった点滴からの帰り道。

桜を見るために、3分だけ寄り道をした。写真を撮り、急いでまた酸素のお部屋に帰った。

ゆず。今年も桜を一緒に見られたね。

🟡二人だけの日曜日

「今日は一日中、一緒にいられるよ」

とニッコリした。二人でのんびり過ごそう。ご飯も食べられるペースでゆっくり与えて、そばにいてくれる間は、とにかく声をかけながら撫でた。

ゆずは、頑張り屋さんだった。

「今日は一緒にいられる。いつでもゆずのそばにいてあげられる。だから、今日は安心しても良いよ。ちゃんと頑張ってくれていたこと、知ってるから。もう頑張らなくてもいいよ。」

と、伝えた。冷たく聞こえてしまうかもしれないけれど、私が、今日なら後悔なく受け入れられると思ったのだ。

優しさで言葉をかけているようで、結局のところ私の都合で言葉を選んでいた。

今日なら看取ってあげられる。月曜日が来てしまったら、また仕事に行かなくてはならない。そういう気持ちがあった。

お昼過ぎまで、ただ二人でくっついていた。穏やかな時間だった。ゆずは温かかった。

15時過ぎから、呼吸が苦しそうになった。ただそばで撫でて優しい言葉をかけた。

きっとこの呼吸状態では、今から病院に連れて行ったところで、回復は見込めないだろう。そもそも病院まで持たないだろう。

そう分かってしまうほど、急変した。

このまま私のそばで。
ゆずが生きてきたこのお部屋で終わりを迎えさせよう。
と、決めた。実際にはそうするしかなかった。

「たわしちゃんが迎えに来てくれたかな。ゆずはたくさん頑張ってくれたね。もう楽になってもいいからね。たくさんありがとう。何もこわくないよ。きっとまた会えるよ。」

そう声をかけた。そのまま倒れて動かなくなった。

静かに見守ることが良いらしいが、私は声をかけ続けてしまった。やかましかったかもしれない。けれど、安心していってくれたのだと思いたい。

つい1週間前は、「イヤだ!いかないで!」と、泣いてばかりいた。しかし、今日は「私は大丈夫だよ」と言ってあげられた。そう思うようにして、自分を納得させている。

たわしの時にしてあげられなかったことを、ゆずにはしてあげられた。これで私は、救われたところもあるんだ。亡くなって悲しいときに、そう思ってしまうなんて、残酷だね。

私のために、最後まで頑張って生きてくれたゆず。

可愛くて、立派だったよ。ありがとう、ゆず。

🟡短い1年間

点滴からの帰り道、「今年も一緒に桜を見られたね」と思った。

ゆずを見送り、しばらくしてから部屋の壁に貼られていた紙を見た。今年のゆずと私の約束が書かれた紙。

9歳の誕生日も、9年目のお家記念日も迎えた。

この冬を毛布にくるまって過ごした。
部屋でゴロゴロもした。
体調を崩す直前には、菜の花を見に散歩にも行けた。

ゆずは、私との約束を全て叶えてくれていたことに気付いた。

本当に頑張り屋さんなんだから。

🌸春


◯まだ何も乗り越えられていない


👤本当の独りが始まった


ゆずを見送り、部屋が空っぽになった。

たわしとゆずの遺骨を並べる。毎日話しかけては、泣いている。

「どうして私を一人にしたのよ……。」と言ってしまう。

たわしとゆずとの思い出の物は、未だに処分できていない。
何度か手に取ってみたこともあったが、

「これは、たわしがよく遊んでたなぁ」
「これは、ゆずがよくハムハムしてたなぁ」

など、全てに思い出が蘇ってしまうので、手放せない。

気付けば4月だ。

4月は誕生月。30歳という1年がもう少しで終わろうとしている。悲しいお別れを何度も経験した30歳の1年。

何が楽しいのかも分からなくなり、予定のない日を作らないために、休みの日もバイトを入れた。本業と合わせて働き詰めになった。

仕事をしていれば、その間は仕事に集中できるから少しだけ気が紛れていた。

良くしてくださる職場の先輩たちと雑談をしても、笑えなくなっていた。疲労もあったと思う。それ以上に、大きな穴があいてしまい、心ここにあらずだった。

🎂やっと迎えられた30歳

30歳の誕生日ライブは、行かない選択をした。しかし、偶然にも30歳最後の日に、また今年も同じライブに行けるチャンスが現れた。

こんな素敵なチャンスは他にはないと思った。

31歳になる前に、30歳の誕生日の回収をしたかった。

苦しい1年間を生き抜いた私へのプレゼントと受け取りたくなるほど、豪華なライブだった。30歳最終日に、ようやく私は30歳を迎えられた気がした。

行けて良かった。ここは、私が還って来れる場所の1つだった。

ありがとう。そして、さよなら30歳の日々。

🗣️愉快な仲間たち

そっと見守ってくれていた人たちがいる。いつもはくだらない談笑をしている人たち。

雑談を笑えない日々もあったけれど、私のことを分かってくれていた。職場の先輩たちである。

たわしの時には、たわしが亡くなった翌日に出勤はしたものの、ショックのあまり声も出せなくなっていた私に

「今日は帰って、たわしちゃんのそばにいてあげな。」

と言ってくださった。仕事をできる状態ではないという判断だったのだろう。しかし、優しさがあった。

ゆずが通院し始めてからは、毎日「ゆずぴはどう?」と気にかけていてくださった。

倒れて朝一で病院へ連れて行った日。まだ起きる時間ではない早朝に、先輩を電話で起こしてしまった。

寝起きで連絡を受けたのにも関わらず「仕事のことは気にしなくていいから」と言ってくださった。

ゆずのことは看取れたので、自分のなかでは多少の穏やかさがあった。それでも、亡くなったことを自分から報告はできなかった。自分から話すと泣いてしまうと分かっていたから。

いつもみたいに訊かれたら、答えようと決めていた。

「ゆずぴはどう?」

「寝んねしてます。冷凍庫で。」

私はそれ以上、言葉を続けられなかった。

先輩たちは、それ以上のことは聞かないでいてくれた。

鼻をかみに休憩室へ退散する。

結局泣いてしまったけれど、静かに見守っていてくれる優しさに、何度も救われていた。


◯愛された30歳


8年間交際をした彼は、私の良き理解者だった。
たわしは、いつも私のそばにいてくれた。
ゆずは、最後まで私との約束を守ってくれた。

彼も、たわしも、ゆずも、みんな違うカタチだけれど、確かな愛だった。
大切な存在たちが、違うカタチで私の元を去った。

職場の先輩たちが静かに見守ってくれたことも、愛だった。

どんな映画を見ても、本を読んでも、彼もこう思うだろうと、今でも考えてしまう。
どこを見ても、愛しいたわしと頑張り屋さんのゆずの思い出で溢れかえっている。

今までの日々も、これからの日々も、私を愛してくれた者たちの温もりを抱えて生きる。

独りになって、大事にしてもらっていた愛情を抱きしめる。

私はちゃんと、全ての愛を受け取っているよ。


イラスト:marimoさん


#創作大賞2026 #エッセイ部門

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