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トルコ旅④ 宗教都市と憧れの砂漠

前回はこちらから。

みなさま、ごきげんよう。大学のテストのため、少し期間が空いてしまったがそろそろnoteをきちんと上げていこうと思う。

宗教都市コンヤ

さて、輝かしいパムッカレで一晩過ごしたのち、向かったのはトルコ屈指の宗教都市コンヤだ。基本的に、大多数がムスリムであるトルコだが、イスタンブールなどの西部大都市圏ではそこまで厳格なわけではない。

しかし、東部に行くにつれ、段々とイスラームの色が濃くなっていく。中でも、コンヤはトルコ内で最も宗教色の強い特殊な都市となる。

コンヤ市内 イメージよりずっと都会

例えば、酒だ。イスタンブールではみな、昼間からビールを飲みながらサッカーを見ていたものだがコンヤでは基本的に売買もほとんどされていない。

また、ヒジャブを付けている女性も、この町ではかなりの頻度で見かけた。これもまた、あまりイスタンブールでは見られないものである。まあ、それでも、コンヤ市内の大学では、やはりほとんどの人がヒジャブをつけてはいなかったが。

さて、コンヤという都市がかなり宗教色の強い場所であるのは何となく分かってくれたと思うが、実はこの町はイスラームの中でも一般的でないある宗派の力が強い場所でもある。といっても、その名はそこそこ知られている。いわゆるスーフィズムと呼ばれるものだ。白い服でクルクル回る例のアレだ。

こういうやつ。この画像はwikiより。

コンヤもまた、極めて長い歴史を持つ都市である。セレウコス朝のもとで、ギリシア都市として発展したし、その後もペルガモン王朝の主要都市として、この地で花を咲かせた。聖パウロが度々訪れたことでも知られ、ガッラテア属州におけるキリスト教流行の本拠地にもなったのである。

この地がイスラームの勢力下に入っていくのは、マンジケルトの決戦にて、東ローマ帝国がセルジューク朝に大敗北を喫してからのことである。その後、ルーム・セルジューク朝となってからは実質的な首都として機能し、多くの富がこの地にもたらされた。

ようやく本題に入る。そんな発展が盛りのころ、ルーム・セルジュークの王により、はるばる中央アジアの地からアッラーの意志を世に広めるべく招かれた導師がいた。その男こそ、コンヤの象徴メヴラーナである。

メヴラーナ廟

メヴラーナは、スーフィーとして、多くの抒情詩を残しており、その豊かな詞藻から当時はもちろんのこと、現代でもイスラーム世界で広く親しまれた思想家、詩人である。その男が最後に選んだのがこの都市コンヤであった。現代でも、彼の廟はこの街の中心である。

黄金のクルアーン
ムハンマドの頭髪
香ってみて薔薇の芳香がすると良いことがあるらしい。
私にはお香の香りしかしなかった。
廟の中心

コンヤはこのように、宗教都市として歩んできた歴史があり、それはオスマン帝国の統治下になったのちも変わらなかった。だが、この都市も変革を迫られた時期がある。オスマン崩壊後、ケマルの近代化政策により、神秘主義的なメヴラーナ教団が廃止され、メヴラーナ廟が閉鎖されたのだ。

だから、現代ではこの廟はモスクなどの信仰の中心としては利用されておらず、メヴラーナ博物館として公開されている。おそらく、文化財として守り続けなければ、たちまちこの都市の独自性は消えていってしまうのだろう。そういう危うさの中に我が国もよく置かれるが、あるいは歴史ある国家の宿命なのかもしれない。

カッパドキアへ

飯の写真を忘れる始末

さて、ここからカッパドキアへ移動するわけだが、道中いくつか面白いものを見かけた。

キャラバンサライ
案外セキュリティは固い。
城壁は現代でも有効な盗人対策だ。

日本人が砂漠と聞いて思い浮かべるラクダを連れての隊商は当然ながら現代で見ることはまず不可能だ。だが、彼らの利用した隊商宿、いわゆるキャラバンサライと呼ばれるものはいくつか、いまだに各地に残り続けている。

なんかカッコいいモニュメント
おそらくテュルク民族の英雄たちが並び立っている。
クルチ・アルスラーン像
ルーム・セルジューク朝の賢王、そこそこの人
バス、高速道路、車窓。

憧れのカッパドキア

夕暮れもすぎ、やや薄暗い道の中、夢にまでみた土地へ足を踏み入れる。カッパドキア。エウメネースのいた土地。馬の産地。キリスト教徒たちの隠れ住みたる地。夢にまでみた大地が、目の前にあった。

そして、代名詞であるカタコンベにも、むろん立ち寄った。

あんまりいい写真が撮れない。カタコンベ内部。

ここで、ずっと暮らした人々に思いを馳せてみる。案外楽しかったのだろうか、やはり苦しかっただろうか。古代の特徴に、国家の統制の弱さがある。これは目の行き届かないところで治安が保障されないという欠点も勿論あるが、このようなはぐれものたちに、生きる猶予を与えることにもなった。

ワイン醸造に使ったらしい窪み

外に出ると、もう完全に日が暮れていた。カッパドキアは観光地ではあるが、大発展した都市というわけではない。古代に頭がぼやけている自分には丁度よく、星も輝いて見えていた。

カタコンベ出てすぐ。あんま写真では分からないが
かなり綺麗な星空

カッパドキアは泊まりがけで2日滞在する。洞窟ホテルも多少は長居ができるのだ。郊外だが、悪くない様相は、しかし、疲れ切った私にはあまり意味の無いことでもあった。

テラス。猫しかいない。
寝る。まさに気絶。
朝の子猫

翌朝、ホテル内をぶらつきながら、猫と戯れる。ホテルのロビーでは紅茶が出るため、ソファに腰掛け、これまた二匹の猫と遊んでいた。ふと壁を見ると、面白いものを見つける。

分かる人には分かるオスマン朝の紋章

皇帝派なのかと思ったが、ロビーの中心にはデカデカとケマルが鎮座している。

入り口正面がこれ。どっちなんだい!(思想)

よく分からないが、ロビーの人曰く、オスマン家の紋章を飾っている理由は「カッコいいからに決まってんだろ!」だった。

......。

細かいことに拘らないのがトルコ人の美徳だと現地ガイドさんは言う。実際のところ、その比率が人によって違うのが地雷なのだが、まあ緩い人はとことん緩いと思い知ったのである。

岩だらけの砂漠

異星のような面持ち。

トルコの多くは砂漠である。というと、少し意外な顔をする人が多いかもしれないが、砂漠は砂漠でも、トルコのほとんどは「礫砂漠」である。読んで字の如く岩だらけの土地で、このように火星がどこかのような情緒がある。タトゥイーンみたい。

カッパドキアもまた、深い歴史の中にあった都市である。もうすぐアニメ化される『ヒストリエ』の主人公、エウメネースもこの地を領有したことがあった。この地は、良馬の産地としても知られ、大王の死後、王家直轄の馬牧場があったのだと言う。エウメネースはそこから馬を全てパクって逃げた。(プルタルコス『対比列伝』より)

カッパドキアといえば馬。


昼飯は名物壺焼きケバブ。ほんとに美味かった。

燃やす意味はよくわからないが、野暮なことを言ってはいけない。
トトロ岩と呼ばれる


砂漠を歩くと言うのは、当然初めての経験であった。驚いたのが、日光の下は火傷しそうなほど太陽を強く感じるが、日陰に入ると途端に涼しく感じることだ。これは日本のような湿気の土地では味わえないカタルシスだ。手頃な日陰があれば、茹るような暑さも恐るるに足らない。

岩場を歩いている最中、定期的に木陰に入ったが、思わぬ先客がいる時もあった。

なんかいたでかいトカゲ。変温動物には、砂漠の暑さは命取りか。
ラクダ岩。トトロよりは納得できるフォルム。

カッパドキア、この砂漠は美しかった。どこまでも波打つように続く大地、山がちな島国に生まれた者としては、それだけでも十分感動するに足る光景だ。

商人たちの都市

話は変わるが、このカッパドキアと近郊のカエサリアでは、いくつかの店に立ち寄った。絨毯屋と陶器屋だ。どちらも老舗の名店らしくかなり賑わっている。ツアーに入るとこういう煩わしい寄り道もあるが、案外これが面白かった。

日本語で、トルコ絨毯の質を熱弁する偉い人。

実は親より絨毯を買えと密命を受けていた私は、チャンスとばかりに目を光らせた。

そして、小さい額縁入りではあるが、35万円の物を発見、なんとかこれを15万9千円まで持っていき商談成立としたのだ。物を値切るなどしたことがないので、及び腰だったが、随分気前よくやってくれたように思う。ちなみに、20万あたりが頭打ちのはずだが、私が学生であることを聞くと、「それは早く言ってくれないと!学割で16万くらいで良いよ」になった。いいのか、それで。

陶器屋はもっとお手頃な感覚だ(凄まじい値段のものもあったが)。工房まで見学させてもらったので、かなり面白かった。

筆入れ中。虫眼鏡を使いながら模様を入れていた。
凄まじく高い方のやつ

最終的に手頃なティーカップを家族分四つ買い、今も朝夕湯茶を飲むのに使っている。

次回はハットゥシャとアンカラ編です。
それではみなさま、ごきげんよう!

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