【第25話】ハチャプリ事件
あの鶏肉の一件以来、私はファシャに対して、心のどこかでずっと怒りを抱えていた。
でも、言葉の壁を越えられず、その気持ちを言葉でぶつけることはできなかった。
その怒りは、静かに私の中で膨らんでいった。
――そんなある日、私はあるパンを手に入れる機会があった。
ジョージアには「ハチャプリ」や「ロビアニ」と呼ばれるパンがある。
ハチャプリはチーズ入り、ロビアニは豆が詰まっている、ジョージアの名物パンだ。
どちらも、受刑者の間では“ごちそう”扱いされるパンだった。
いつもの配給パンとは比べものにならない美味しさ。
私自身も、外にいた頃から好きだった。
当時の値段は、ひとつ120円ほど。
ただし、部屋のみんなに行き渡らせようと思ったら、自分の分を含めて6個買わなければならない。
合計で720円。
外ならなんてことない金額かもしれないが、刑務所の中ではとてつもなく大きな出費だ。
1人だけ食べるなんてことは、この時はできなかった。
刑務所カードの残高を見ながら、私は迷った。
でもそのとき、私の中にある感情が勝ってしまった。
「ファシャ以外、全員に買ってやろう。この前、ほぼ手つかずのチキンを捨てたあいつに、同情してやる必要なんてない。」
そう決めて、私はハチャプリを5つ買い、
自分と、アミール、ジェリー、カール、マジだけに配った。
みんな、「ありがとう」と笑顔で受け取り、黙って食べ始めた。
部屋の中には、チーズの香りと、静かな満足感が広がっていった。
ただ一人――ファシャだけが食べていなかった。
目を伏せ、何も言わず、ただその場に座っていた。
私が意図的に彼を外したことは、誰の目にも明らかだった。
しばらくして、ジェリーがその沈黙に動いた。
自分のパンを、半分に割り、無言でファシャに差し出したのだ。
ファシャは驚いたようにそれを受け取り、ジェリーに小さく「ありがとう」と言った。
私はそれを見て、胸の奥に、何かざらついたものが残るのを感じた。
正しさとはなんだったのか。
自分の好意を踏みにじられた後、私は一体どうすればよかったのか?
怒りと優しさは、どこで線が引かれるのか。
この密室で、それをどう保てばいいのか。
パンひとつで、心がこんなに揺れるとは思わなかった。
ただ一つ確かだったのは、
私の選択した行為が、どこか後味の悪いものだったということ。
そしてそれを心に放置しておくことは、
まるで――
火のついたタバコを布団に落としたまま寝るようなもの。
そう感じた私は、すぐにファシャに謝罪した。
すると、向こうも自身の過失を認めてくれた。
わだかまりは、少しだけ薄れていった。
刑務所内でこうして一度“通じ合う”と、
強い仲間意識が生まれることがある。
だが―
それが本当の信頼になるかどうかは、まだ分からなかった。
なぜなら、この後また新たな問題が、私たちを試すことになるからだ。
続く。
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