「ピアノ・マン」が選んだ、静かなる完結。100億円超の裏切りと、旋律の向こう側にある充足。
Billy Joel 研究: Live From Long Island (1982) [LD-Decode]
現在、Billy Joelを楽曲を含め、再度研究しています。
しかし、上は、何度見てもExcellent !!なLIVEです。
ところで、これもうご覧なられましたか?
「ビリー・ジョエル / そして今は・・・」これ何度も拝見させて頂いているのですが、ずっとなんで〜1980年代にあんなに **たくさん**名曲を次から次へと書いた人が何十年も新曲を作らなくなったんだろう?とずっと疑問に思っておりましたもので、研究し、"成る程"と"こうではなかろか?"と思いましたので、以下に記事にさせて頂きました。どうぞ、よろしくお願い致します。
「ピアノ・マン」が選んだ、静かなる完結。100億円超の裏切りと、旋律の向こう側にある充足。
2025年、HBOのドキュメンタリー『Billy Joel: And So It Goes』が放映され、私たちは再び一人の天才が選んだ「沈黙」の真意に触れることになりました。
「なぜ、彼は1993年の『River of Dreams』を最後に、ポップ・ミュージックの新作を書かなくなったのか?」
その理由は、単一の悲劇だけで語れるものではありません。それは、表現者として辿り着いた「内的な充足」と、変わりゆく音楽業界への「静かな失望」という二つの大きな柱があり、そこに身内による巨額の裏切りという「外的な傷跡」が重なり合ったことで下された、必然的な幕引きでした。
日々レコードと古書に囲まれて暮らす私にとって、ビリーの音楽は単なる商品ではなく、人生の機微を映し出す鏡のような存在です。店頭で彼のレコードを丁寧にクリーニングし、針を落とすたび、私はその旋律の奥にある「決断」の重みを静かに受け止めてきました。
1. 信頼を揺るがし、決断を促した「加速要因」としての裏切り
ビリー・ジョエルのキャリアにおいて、1989年に発覚した元マネージャーであり義兄(最初の妻エリザベスの実兄)であるフランク・ウェーバーによる背信行為は、彼の精神に暗い影を落とした極めて重要な出来事でした。
ビリーが提訴した損害賠償額は、合計で9,000万ドル。当時のレートで100億円を超える巨額の訴訟でした。
無断融資や著作権の無断抵当といった、最も信頼すべき「家族」による組織的な搾取。1993年のアルバム『River of Dreams』に収録された「The Great Wall of China(万里の長城)」に刻まれた激しい怒りは、この義兄への絶縁状でもありました。
この事件は、ビリーの人間不信を深め、ビジネスとしての音楽制作に対する意欲を削ぐ**「重要な加速要因」**となったことは間違いありません。しかし、彼が筆を置いた本質的な理由は、そのさらに深い場所にありました。
おっと…私はこの時点で、矢沢永吉氏の35億円詐欺事件 (オーストラリア・ゴールドコーストに高層ビルを建て、世界へ発信できる音楽スタジオや音楽学校を作ろとして 身内の裏切りによって巨額の借金を背負わされた苦難の事件) のことが、脳裏をかすめているワケですが、こちらについては 機会があれば違う記事にて…お話させて頂きます。…とはいいましても、Books Channelで全6話で、「Are You Happy?」を作っているそうなので、必要ないのかもしれませんが???
2. 「表現の充足」と「業界への失望」——沈黙を支える二つの柱
ビリー自身が繰り返し語っているように、彼を沈黙へと導いた主たる理由は、表現者としての「充足感」と、音楽業界に対する「失望」が並列して存在していたことにあります。
■ 語り尽くしたという表現者としての達成感
まず、彼はポップ・ミュージックという形式において「自分はもう語るべきことをすべて語り尽くした」という、内なる達成感に辿り着いていました。自らのキャリアを一冊の本に例え、「最後の一ページまで書き終えた感覚だった」と述べている通り、『River of Dreams』は彼にとって意図的に置かれた完結点だったのです。
■ 商業主義的な音楽業界への静かな失望
同時に、90年代に入り商業主義が加速し、トレンドが激変していく音楽業界の在り方に対しても、彼は強い違和感と失望を抱いていました。「世に出すための商品」としてのポップ・ソングを作り続けることに意味を見出せなくなった彼は、ヒットチャートという戦場から静かに身を引くことを選んだのです。
3. 純粋な作曲への回帰——ポップ・ソングからクラシックへの転向
ここで誤解してはならないのは、彼は決して「音楽そのもの」を止めたわけではないという点です。
ポップ・ソングという市場からは距離を置きましたが、自らの純粋な喜びのためにクラシック音楽の作曲を続けてきました。2001年の『Fantasies & Delusions』に結実したその歩みは、彼が「ビジネス」という呪縛から解放され、一人の純粋な作曲家へと戻った証でもあります。
身内の裏切りという悲劇は、彼に「音楽ビジネス」の醜悪さを突きつけ、この「充足」と「失望」による引退の決断を決定的に加速させる役割を果たしたといえるでしょう。
4. Books Channelの店頭で感じる、旋律の「奥行き」と誠実さ
私たちの店、Books Channelの棚に並ぶ『The Stranger』や『River of Dreams』のジャケットを眺めていると、時折、お客様とビリーの「沈黙」について言葉を交わすことがあります。
「新しい曲が出ないのは寂しいけれど、このアルバムで完結しているからこそ、何度も聴き返せるのかもしれないね」
そんな会話を交わしながらレコードの埃を拭き取るとき、私たちは彼の沈黙が「逃避」ではなく、自らの芸術に対する「誠実さ」であったことを確信します。
彼は、自らの音楽が搾取の道具にされることを拒み、同時に、過去の自分をなぞるだけの創作を良しとしませんでした。その潔さこそが、ビリー・ジョエルというアーティストの誇りなのです。
■ 2025年、沈黙が語る「ピアノ・マン」の矜持
ドキュメンタリー『And So It Goes』は、過去の傷跡を抱えながらも、自らの決断に誇りを持って生きるビリーの姿を映し出しています。
「And So It Goes(そして、それは続いていく)」
たとえ新しいポップ・ソングが生まれなくても、彼が守り抜いた「沈黙」という名の誠実さは、私たちがレコードの針を落とすたびに、色褪せることのない余韻を残しながら響き続けていくことでしょう。
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1811日目
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