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【ウクライナ戦争の起源】ジョン・ミアシャイマーが紐解く「限定目的戦略」の真実と、私たちに問いかける静かなる余韻


Introduction

2022年2月24日。
その日、世界は息を呑み、画面の向こう側から絶え間なく流れてくる映像に、ただ静かに立ち尽くすしかありませんでした。
国境を越えていく戦車、空を切り裂くサイレンの音、そして、住み慣れた街を後にする人々の悲痛な面影。
それは、私たちがどこかで「もう過去のもの」だと信じたかった大規模な戦争が、現代のヨーロッパに再び姿を現した瞬間でもありました。

あの日から、すでに長い歳月が流れました。
第一次世界大戦の期間をも超えるほどの時間が経過した今もなお、この悲劇は終わりの見えない深い霧の中に包まれています。

私たちが日々目にするニュースや、西側諸国で語られる一般的な「物語」は、とてもシンプルで分かりやすいものです。
「ロシアは、ウクライナ全土を征服し、かつての帝国を復活させるという野望を抱いて、圧倒的な武力による電撃戦を仕掛けた。しかし、ウクライナの勇敢な抵抗によってその野望は打ち砕かれ、今に至っている」——。
おそらく、多くの方がこのような認識を心のどこかに持っておられるのではないでしょうか。

しかし、物事の深層というものは、光が強く当たる場所ではなく、往々にしてその背後に広がる静かな「余白」にこそ宿っているものです。

今回、私たちが共に耳を傾けたいのは、国際政治学者であり、攻撃的現実主義(Offensive Realism)の提唱者として知られるジョン・ミアシャイマー氏の静かで、しかし極めて重みのある考察です。
彼は、感情や道徳といったベールをそっと取り払い、国家というものがどのように恐怖を感じ、どのように計算し、そしてなぜ戦争という最も悲劇的な選択をしてしまうのかを、冷徹なまでに澄み切った視点で紐解いていきます。

彼の語る言葉は、私たちが信じてきた「常識」を静かに揺さぶるかもしれません。
善と悪、被害者と加害者といった明確な境界線を引くことでは見えてこない、国際政治の残酷なまでの力学。
しかし、その冷徹な分析の奥底には、二度とこのような悲劇を繰り返さないために、私たちが直視しなければならない「真実の輪郭」が隠されているように思えるのです。

どうか、少しだけお時間をいただき、この静かなる思索の旅にお付き合いいただければ幸いです。
なぜ、あの時、戦争を思いとどまらせる「抑止」は機能しなかったのか。
そして、ウクライナの地で本当に起きていたことは何だったのか。
ミアシャイマー氏の言葉を道しるべに、その深奥へと歩みを進めてみましょう。

抑止という名の静かな均衡。戦争の背後にある「政治」と「軍事」の交差点

ミアシャイマー氏がまず私たちに提示するのは、「通常兵器による抑止(Conventional Deterrence)」という、少し耳慣れない、けれど極めて重要な概念です。

核兵器という、使用すれば互いの破滅を意味する絶対的な力による抑止ではなく、戦車や歩兵といった通常の軍事力によって、いかにして相手の攻撃を思いとどまらせるか。
冷戦時代、ヨーロッパを舞台にNATO(北大西洋条約機構)とワルシャワ条約機構が対峙していた頃、この「通常兵器による抑止」は、世界を破滅から救うための最も切実なテーマでした。
ミアシャイマー氏自身、このテーマに生涯をかけて向き合い、深く思索を重ねてきた人物でもあります。

彼によれば、国家が戦争を考えるとき、そこには常に二つの大きな力が働いているといいます。
それが、「政治的変数」「軍事的変数」です。

政治的変数とは、国家を戦争へと駆り立てる「見えない圧力」のことです。
領土をめぐる争い、歴史的な遺恨、あるいは、自国の存亡に関わるような深い恐怖。
「どうしてもこの問題を解決しなければならない」「このままでは国が危うい」という、国家の根幹を揺るがすような切実な動機が、この政治的変数に当たります。

一方で、軍事的変数とは、極めて現実的な「戦場の計算」です。
もし実際に戦端を開いた場合、自国の軍隊はどれほどの成果を上げられるのか。
どれだけの犠牲を払い、どれほどの期間で勝利を手にすることができるのか。
冷酷なまでに数字と確率が支配する世界です。

有名な軍事思想家であるカール・フォン・クラウゼヴィッツは、「戦争とは、他の手段をもってする政治の延長にすぎない」という言葉を残しました。
この言葉が静かに物語るように、戦争という軍事的な行動は、決してそれ単独で存在するものではありません。
常に、その背後にある政治的な目的を達成するための手段として選ばれるのです。

ですから、なぜ戦争が起きたのか、なぜ抑止が破れてしまったのかを理解するためには、この「政治の熱」と「軍事の冷徹な計算」が、どのように交わり、どのような結論を導き出したのかを、丁寧に読み解いていく必要があるのです。

三つの軍事戦略。国家が描く勝利のシナリオと、その危うき均衡

では、国家が実際に戦争を決断する際、軍事的な計算においてどのような選択肢を持っているのでしょうか。
ミアシャイマー氏は、大規模な通常戦争において、国家が選び得る戦略は大きく分けて三つしかないと語ります。

一つ目は、「電撃戦(Blitzkrieg)」です。
これは、圧倒的な機動力と火力を集中させ、敵の防衛線を一気に突破し、短期間で決定的な勝利を収める戦略です。
歴史を振り返れば、1940年5月、ドイツ軍がフランスに侵攻した際の戦いがその典型と言えるでしょう。
ドイツ軍はまたたく間にフランスを席巻し、イギリス軍をダンケルクの海岸へと追い詰めました。
迅速に、そして決定的に敵を打ち負かす。それが電撃戦の恐るべき本質です。

二つ目は、「消耗戦(Attrition Strategy)」です。
これは、短期間での勝利は望めないものの、長期にわたる戦いの中で、自国の豊富な資源や兵力を背景に、じわじわと敵の力を削ぎ落とし、最終的に決定的な勝利を手にする戦略です。
しかし、この戦略は自国にも甚大な被害と苦痛をもたらすため、好んで選ばれる道ではありません。

そして三つ目が、「限定目的戦略(Limited-Aim Strategy)」です。
これは、敵国を完全に打ち負かすこと(決定的な勝利)を目的としない、少し特殊な戦略です。
敵国の領土の「一部」だけを素早く占領し、その後は防御に徹する。
目的が限定されているため、三つの戦略の中では最も実行が容易に見えます。

ミアシャイマー氏は、この三つの戦略のどれを国家が「実行可能だ」と信じるかによって、戦争が起きるかどうかの運命が決まると静かに指摘します。

もし、ある国家が「我々は電撃戦で、素早く決定的な勝利を収めることができる」と確信したならば。
その時、抑止の壁はもろくも崩れ去り、戦争への扉が開かれます。
なぜなら、少ない犠牲で最大の目的を達成できるという甘美な誘惑に、国家は抗うことができないからです。

逆に、「電撃戦は不可能であり、勝つためには泥沼の消耗戦を覚悟しなければならない」と判断したならば。
どれほど政治的な動機が強くとも、国家は攻撃を思いとどまります。
消耗戦がもたらす計り知れない痛みを、指導者たちは本能的に恐れるからです。
冷戦時代、ソ連が西ヨーロッパへの侵攻を思いとどまり続けたのも、NATO軍に対して電撃戦を成功させることは不可能だと、彼ら自身が冷徹に理解していたからに他なりません。

限定目的戦略の悲哀。なぜ国家は、自ら消耗戦への扉を開くのか

では、三つ目の「限定目的戦略」はどうでしょうか。
目的が限定されており、実行が容易であるならば、国家はこの戦略を好んで選ぶのでしょうか。

ミアシャイマー氏の答えは、否、です。
実は、この限定目的戦略には、極めて恐ろしい「罠」が潜んでいるのです。

領土の一部を奪われ、防御に徹する敵に対して、奪われた側が「はい、分かりました」と素直に引き下がることは、現実の世界ではほとんどあり得ません。
彼らは必ず反撃に出ます。
その結果、限定的であったはずの戦いは、終わりの見えない泥沼の「消耗戦」へと姿を変えていくのです。

電撃戦が失敗すれば消耗戦になり、限定目的戦略もまた、高い確率で消耗戦へと行き着く。
誰も望まない消耗戦という結末が見えている以上、通常であれば、国家は限定目的戦略を選ぶこともためらいます。
つまり、軍事的な計算だけを見れば、電撃戦の成功を確信できない限り、抑止は機能し、平和は保たれるはずなのです。

しかし、歴史は時として、私たちの想像を超える残酷な決断を下します。
軍事的には消耗戦に陥るリスクが高いと分かっていながら、それでもなお、国家が「限定目的戦略」に打って出る瞬間があるのです。

それはどのような時でしょうか。
ここで、先ほど触れた「政治的変数」が、重く、暗い影を落とし始めます。

国家を突き動かす政治的な圧力、すなわち「どうしても今、軍事力を行使しなければならない」という切実な動機や恐怖が、極限まで高まった時。
指導者たちは、電撃戦を行う能力がないことを理解しながらも、何もしないことの恐怖に耐えきれず、一縷の望みを託して「限定目的戦略」という危険な賭けに出てしまうのです。

ミアシャイマー氏は、歴史上の二つの出来事を、その静かなる証左として挙げます。

一つは、1973年の第四次中東戦争におけるエジプトです。
エジプトのサダト大統領は、イスラエルに対して電撃戦で勝利できないことを痛いほど理解していました。
しかし、奪われたシナイ半島を取り戻すためには、どうしても軍事行動を起こし、イスラエルに強烈なメッセージを送る必要があったのです。
そのため、彼らはスエズ運河を渡り、シナイ半島の一部だけを占領して防御に回るという、典型的な限定目的戦略を実行しました。

もう一つは、1941年の日本の真珠湾攻撃です。
当時の日本もまた、巨大な工業力を持つアメリカに対して、決定的な勝利を収めることなど不可能だと分かっていました。
しかし、経済的な締め付けによって国家の存亡の危機に立たされ、アメリカとの交渉の糸口も見出せない中で、彼らは絶望的な状況を打開するために、限定的な打撃を与えるという道を選ばざるを得なかったのです。

政治的な恐怖が、軍事的な合理性を凌駕する瞬間。
それこそが、限定目的戦略が発動され、抑止が崩れ去る、最も悲劇的なメカニズムなのです。

ウクライナの地で何が起きたのか。西側の「常識」に潜む静かなる矛盾

さて、ここまでの静かなる理論の旅を経て、私たちはようやく、2022年2月24日のウクライナへと視線を戻す準備が整いました。

西側諸国で広く信じられている「常識」を、もう一度思い返してみましょう。
「ウラジーミル・プーチンは、ウクライナ全土を征服し、大ロシアに組み込むという野望を持ち、圧倒的な軍事力で『電撃戦』を仕掛けた。しかし、それは失敗に終わり、消耗戦へと移行した」

もしこの物語が真実であるならば、ミアシャイマー氏の理論とも完全に合致します。
「電撃戦で勝てる」と信じたからこそ、抑止は破れ、戦争が起きたのだと。

しかし、ミアシャイマー氏はこの「常識」に対して、静かに、しかし断固として異議を唱えます。
「ロシアは、電撃戦など仕掛けてはいない」と。

彼の指摘する事実は、極めてシンプルでありながら、私たちの思い込みを根底から揺さぶる力を持っています。

第一に、ロシア軍の「規模」です。
ウクライナに侵攻したロシア軍の兵力は、最大に見積もっても19万人。ウクライナ軍のトップでさえ、当初は10万人程度であったと述べています。
ヨーロッパで二番目に広い国土を持つウクライナの「全土」を、たった10万〜19万人の兵力で征服することなど、軍事的な常識に照らし合わせれば、到底不可能なことなのです。

歴史を振り返れば、1939年にドイツ軍がポーランド(の西半分)に侵攻した際、彼らは150万人もの大軍を投入しました。
ウクライナよりもはるかに小さな地域を制圧するために、です。
それに比べ、ロシア軍の規模はあまりにも小さすぎました。
さらに、当時のロシア軍は、かつてのドイツ軍のような、攻撃的な機動戦に特化した精鋭部隊でもありませんでした。

全土征服という「決定的な勝利」を目指すには、あまりにも不十分な手駒。
プーチン大統領がその現実を理解していなかったと考えるのは、いささか不自然ではないでしょうか。

第二に、侵攻直後のロシアの「行動」です。
戦争が始まったわずか翌日の2月25日。プーチン大統領の報道官であったドミトリー・ペスコフ氏は、ウクライナ側に対して「交渉を始めたい」と呼びかけています。

もし本当に、ウクライナ全土を征服し、国家を解体するつもりであったならば、侵攻の翌日に交渉のテーブルにつこうとするでしょうか。
この行動は、彼らが「決定的な勝利」ではなく、何か別の「限定的な目的」を持っていたことを、静かに物語っているように思えてなりません。

幻のイスタンブール交渉。開かれていたかもしれない、もう一つの未来

ミアシャイマー氏の視座を通して見えてくるのは、ロシアが選んだのは電撃戦ではなく、まさに「限定目的戦略」であったという事実です。

彼らはウクライナの領土の一部を占領し、首都キーウに圧力をかけました。
しかしそれは、国を滅ぼすためではなく、ウクライナを交渉のテーブルに引きずり出すための、極めて荒っぽい「手段」だったのです。

その証拠に、侵攻から約1ヶ月後の2022年3月末、トルコのイスタンブールで、両国による本格的な和平交渉が始まりました。
そして、この交渉を後押しする「善意のしるし」として、ロシア軍はキーウ周辺から部隊を撤退させたのです。
全土征服を目指す軍隊が、首都の包囲を自ら解くことなどあり得ません。

このイスタンブール交渉で、最も重要な焦点となっていたのは何だったのでしょうか。
それは、領土の割譲でも、政権の交代でもなく、「ウクライナの中立化」でした。

ロシアが何よりも恐れ、何としても阻止したかったこと。
それは、ウクライナがNATOに加盟し、西側諸国の強力な軍事的な防波堤として、ロシアの喉元に突きつけられることでした。
彼らはその「実存的な脅威」を取り除くことだけを、限定的な目的としていたのです。

もし、このイスタンブールでの交渉が実を結んでいれば。
歴史の「もしも」を語ることは許されないかもしれませんが、もしかすると、この悲劇はもっと早い段階で、全く違う結末を迎えていたのかもしれません。
そこには確かに、平和へと続く、細く、しかし確かな扉が開かれようとしていたのです。

実存的脅威という名の深い恐怖。なぜ彼らは、破滅的な賭けに出たのか

イスタンブールの空の下で、確かに開かれようとしていた和平への扉。
しかし、その扉がなぜ閉ざされ、世界は再び深い闇の中へと引きずり込まれてしまったのでしょうか。
その謎を解き明かすためには、時計の針を少しだけ巻き戻し、ロシアという国家が抱え続けてきた「恐怖の正体」に、静かに目を向ける必要があります。

ミアシャイマー氏が繰り返し語る言葉があります。
それは、「実存的脅威(Existential Threat)」という、重く、冷たい響きを持った言葉です。

国家にとっての実存的脅威とは、単なる不利益や外交的な摩擦のことではありません。
「このままでは、自分たちの国が根本から破壊されてしまうかもしれない」「国家としての存立そのものが危うい」という、魂の底から湧き上がるような根源的な恐怖のことです。

ロシアにとって、その恐怖の源泉はどこにあったのでしょうか。
それは、西側諸国、とりわけアメリカが主導するNATO(北大西洋条約機構)の東方拡大でした。
もっと具体的に言えば、ウクライナを西側の強力な「軍事的な防波堤」として組み込もうとする動きそのものが、ロシアにとっては喉元に突きつけられた鋭い刃のように感じられていたのです。

この恐怖は、決して2022年に突然生まれたものではありません。
時計の針を2008年4月まで戻してみましょう。
この時、NATOはルーマニアのブカレストで開催された首脳会議において、「ウクライナとジョージアは将来、NATOの加盟国になる」という宣言を行いました。
この瞬間から、ロシアの態度は明確で、そして一貫していました。
「それは、我々にとって絶対に受け入れることのできない実存的脅威である」と。

大国のすぐ隣に、かつての敵対同盟の軍事力が迫ってくる。
もし私たちが同じ立場に置かれたとしたら、そこにどのような感情を抱くでしょうか。
善悪の判断はひとまず横に置くとして、彼らが感じていた恐怖そのものは、国際政治の冷酷な力学の中では、極めて現実的で切実なものであったように思えます。

そして、運命の2022年2月24日が近づくにつれ、その恐怖は限界点へと達していきました。
戦争が始まる直前の3ヶ月間——2021年12月から2022年2月にかけて、ロシアは実は、戦争を回避するために西側諸国との交渉に多大な労力を費やしていたと、ミアシャイマー氏は指摘します。
歴史の記録を静かに紐解けば、ロシアが戦争を望んでいなかったことは明らかだ、と彼は語るのです。

しかし、その切実な呼びかけに対して、西側諸国、特にアメリカはどのように応じたのでしょうか。
悲しいことに、彼らはロシアの抱く恐怖に寄り添うことも、真剣な交渉のテーブルにつくこともありませんでした。
「ロシアが攻撃してくるかもしれない」という予測を立てていながら、戦争を防ぐための外交的な努力を、ほとんど何も行わなかったのです。

対話の扉は、冷ややかに閉ざされたままでした。
その静寂の中で、ロシアの指導者たちは、どれほどの絶望と焦燥を抱えていたのでしょうか。

閉ざされた対話の扉。絶望の果てに選ばれた「限定目的戦略」

交渉による解決の道が絶たれ、実存的脅威だけが刻一刻と迫ってくる。
この時、プーチン大統領は、国家の存亡をかけた究極の選択を迫られていました。

彼は、自国の軍隊が「電撃戦」を行えるような圧倒的な力を持っていないことを、誰よりも冷徹に理解していたはずです。
ウクライナ全土を征服し、決定的な勝利を収めることなど不可能であると。
軍事的な合理性だけを考えれば、ここで攻撃を仕掛けることは、自らを泥沼の消耗戦へと引きずり込む愚かな行為に他なりません。
通常であれば、ここで「抑止」が機能し、戦争は踏みとどまられるはずでした。

しかし、ここで再び、あの「政治的変数」が重くのしかかってきます。
「何もしなければ、国が滅びるかもしれない」という極限の恐怖。
西側諸国が一切の交渉を拒絶する中で、もはや軍事力を行使する以外に、この実存的脅威を取り除く手段は残されていないのではないか。

絶望的な状況の中で、彼がすがりついた最後の選択肢。
それこそが、ミアシャイマー氏の理論が示す「限定目的戦略」だったのです。

ウクライナの領土の一部に素早く侵攻し、首都に圧力をかける。
それは、ウクライナを征服するためではなく、「我々は本気だ。これ以上NATOに近づくなら、実力を行使する」という、血を流してでも伝えなければならない強烈なメッセージでした。
そして、その衝撃によってウクライナを交渉のテーブルに引きずり出し、中立化という「限定的な目的」を達成しようとしたのです。

侵攻直後にロシアが交渉を呼びかけたのも、軍隊の規模が小さかったのも、すべてはこの「限定目的戦略」という文脈の中で捉え直すと、恐ろしいほどに辻褄が合ってしまいます。

政治的な圧力が極限まで高まった時、国家は軍事的な勝算が薄くとも、破滅的な賭けに出てしまう。
1973年のエジプトがそうであったように。1941年の日本がそうであったように。
2022年のロシアもまた、恐怖と絶望に背中を押されるようにして、自ら抑止の壁を壊し、限定目的戦略という名の暗い森へと足を踏み入れてしまったのかもしれません。

幻に終わった和平と、消耗戦への残酷な転換

しかし、ミアシャイマー氏が理論の冒頭で語っていた、あの恐ろしい「罠」を思い出してください。
限定目的戦略の最大の悲劇は、「攻撃された側が、決して素直に降伏することはない」という現実にあります。

ウクライナの人々は、祖国を守るために立ち上がりました。
彼らが武器を取り、命を懸けて抵抗したのは、独立国家として当然の権利であり、その勇気は深く胸を打つものです。

そして、このウクライナの抵抗を、西側諸国——ヨーロッパとアメリカ——が、豊富な資金と兵器で強力に後押ししました。

ここで、イスタンブール交渉の結末に再び光が当たります。
歩み寄りの兆しが見えていたあの交渉のテーブルから、最終的に立ち去ったのは誰だったのでしょうか。
ミアシャイマー氏は、交渉を打ち切った主な責任はウクライナ側にあり、そして何より、西側諸国がそれを「奨励」したのだと静かに語ります。

なぜ、西側諸国は和平の機会を手放すように促したのでしょうか。
それは、彼らが「勝てる」と信じたからです。

ロシア軍が電撃戦を行えるほどの強大な力を持っていないことは、戦場での動きを見れば明らかでした。
「ロシア軍は恐れるに足らず。西側の支援があれば、ウクライナは長期戦でロシアを打ち負かすことができる」
そのような楽観的な計算が、西側の指導者たちの心に芽生えていたのかもしれません。

その結果、何が起きたでしょうか。
ロシアが描いていた「限定的な目的を達成して、素早く戦争を終わらせる」というシナリオは完全に崩れ去りました。
ウクライナは西側の支援を受けて徹底抗戦を選び、戦線は膠着。
限定目的戦略は、誰もが恐れていた、そして誰も望んでいなかったはずの「終わりのない消耗戦」へと、その残酷な姿を変えてしまったのです。

今、私たちが目の当たりにしているのは、まさにこの消耗戦の現実です。
ロシアと、ウクライナおよび西側諸国という二つの巨大な力が、互いの血と資源を削り合う、底なしの泥沼。
かつてイスタンブールにあったかもしれない平和の幻影は、砲声と瓦礫の中に遠く霞んでしまいました。

静かなる余韻。私たちがこの悲劇から受け取るべきもの

ジョン・ミアシャイマー氏の語る「ウクライナ戦争の起源」。
それは、私たちが慣れ親しんできた「狂気に満ちた独裁者の侵略戦争」という単純な物語とは、大きく異なるものでした。

彼の理論が私たちに突きつけるのは、国際政治という舞台の、冷酷で、しかしどこまでも人間的な「恐怖の連鎖」です。

抑止という名の薄氷の上に成り立つ平和。
その氷を割ってしまったのは、決して一人の人間の野望だけではありませんでした。
相手の恐怖を理解しようとせず、対話の扉を閉ざしてしまった西側の冷淡さ。
そして、絶望の果てに「限定目的戦略」という危険な賭けに出てしまったロシアの焦燥。
それらが複雑に絡み合い、悲劇の歯車は静かに、しかし確実に回り始めてしまったのです。

ミアシャイマー氏の分析は、誰かを一方的に断罪するためのものではありません。
むしろ、善と悪という分かりやすい二元論の枠組みをそっと外し、国家というものがどのように動き、どのように過ちを犯すのかを、ただ静かに見つめようとする試みです。

私たちは、この悲劇から何を学ぶことができるでしょうか。

それはおそらく、「相手の恐怖に想像力を働かせること」の重要性ではないでしょうか。
自分たちにとっては正義の行動であっても、相手にとっては国家の存亡を脅かす実存的脅威に映るかもしれない。
その認識のズレが、いかに簡単に平和を崩壊させてしまうか。
対話を拒絶し、力だけで相手をねじ伏せようとすることが、どれほど恐ろしい消耗戦を招き寄せるか。

すでに多くの命が失われ、今この瞬間も、悲しみは広がり続けています。
時計の針を戻すことは、誰にもできません。
しかし、なぜこのようなことが起きてしまったのか、その深層にあるメカニズムを理解しようと努めることは、私たちが未来に向けてできる、せめてもの誠実な営みであるように思えます。

ミアシャイマー氏の静かで冷徹な言葉の奥には、二度と同じ過ちを繰り返してはならないという、深い祈りのようなものが込められているように感じられてなりません。

戦争という極限の状況下において、真実は常にいくつもの顔を持っています。
私たちが今日ここで触れたのも、その一つの側面に過ぎないのかもしれません。
しかし、この静かなる考察が、皆様の心の中に小さな波紋を広げ、平和というものの脆さと尊さについて、改めて思いを馳せるための「余白」となれば、これに勝る喜びはありません。

最後までこの長い思索の旅にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
どうか、皆様の心に、静かで穏やかな光が灯り続けますように。


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1841日目

#ウクライナ戦争#ジョンミアシャイマー#国際政治#地政学#抑止力#NATO東方拡大#平和への祈り

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