✍【想像力】
ある日、友人が飲食店で揉めました。料理が出てくるのが余りに遅く"激怒"したのです。明らかに学生スタッフのミスで1時間ほど待たされました。学生スタッフの女の子はきっと新人スタッフだったのでしょう。言葉足らずで、お詫びの言葉もぎこちなく、彼は怒りに任せて、帰りの車の中で、「googleの評価に書き込む」と言うので止めました。
「学生スタッフのミスはいけません。しかしgoogleの評価に書き込むとそこで真面目に働いている方の生活にも影響します。君の書込みが原因で店が駄目になったら??人員削減で首になったら??もしも お子さんがいらっしゃって塾に行ってたら??塾に行けなくなりますよね。30年の不景気です。充分に有り得ます。だから止めましょう。」って彼を諭しました。
+(プラス)「そこまで怒るならスタッフだけでなく、店長を呼んで冷静に状況を伝える方がよほど店の次のマニュアルに活かされます。それが、相手の存在に責任を持つ大人の選択だと思います。」とも言いました。
彼は私と同じ価値観の持ち主なので、15分の沈黙後「〜さんの言う通りです。良く言ってくれました。」と答えてくれました。その後、二人でお茶を飲みに行きました。
…
あの日、お茶を飲みながら友人の穏やかな顔を見て、私はふと、昨今の「評価システム」に対する自分自身の強い違和感の正体について考えを巡らせていました。
Google Mapや食べログなどで、私たちは簡単に「評価が低い」「BAD」といった烙印を押すことができます。しかし、それは本当に私たちのためのシステムなのでしょうか。私には、それが人々の感情を数字という抽象的な尺度に閉じ込め、コントロールしようとする「大企業の罠」のように思えてならないのです。
私たちが「評価が低いから行かない」と判断するとき、そこには「自分で考え、能動的に味わう」という自由はありません。ただ、大企業が提示した記号や、顔の見えない他人の意見に振り回されているだけです。友人が怒りに任せて書き込もうとしたのも、このシステムが持つ「手軽に相手を裁ける」という性質に、一時的に心を絡め取られてしまったからでしょう。
匿名の「BAD」は、画面の向こう側にある「働く人の生活」や「家族の存在」を見えなくさせます。それは、相手の存在をただ否定し、活力を削ぐだけの行為です。だからこそ、私は彼に「想像力」を持ってほしかったのです。
もし評価というものがあるとするならば、「いいね」という形でのリスペクトや応援だけで十分ではないでしょうか。「いいね」は、相手の存在を肯定し、そのお店がより良くなっていくことを願う温かい行為です。人と人とが関わる社会において、相手の喜びや活力を助けることこそが、本来の自然なあり方だと私は信じています。
本当に相手の改善を望むのであれば、ネット上で星を減らすのではなく、直接店長を呼んで言葉を交わすべきです。それは、記号化された評価システムに逃げ込まず、生身の人間として相手の実在と向き合う「責任ある選択」です。
便利さの裏で、私たちは物事を点数で切り捨てることに慣れすぎてしまったのかもしれません。しかし、世界は数字でできているわけではなく、一人ひとりの人生と生活で成り立っています。画面の向こうの体温を想像し、他者の存在を肯定する視点を持ち続けること。それこそが、情報に流されず、自分自身の知性と心を守るための「真の想像力」なのだと思います。


1754日目
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければBooksChannel本屋日記物語をサポートいただければ幸いです。いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使用させていただきます。