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伊丹万作から伊丹十三へ、宮本信子が語る映画という名の静かな対話+付録:実験作品:戦争責任者の問題 21世紀リミックス



Introduction

映画とは、スクリーンに映し出される光と影の連なりであると同時に、そこに刻まれた人々の記憶の器でもあります。ある一本の映画が生まれる背景には、語られなかった無数の言葉があり、受け継がれてきた静かな想いが流れています。

1984年、映画『お葬式』で初監督を務めた伊丹十三。その傍らには、妻であり、彼の作品に欠かせないミューズであった俳優・宮本信子さんの姿がありました。彼女は、夫がいつか映画監督になることを、誰よりも強く信じ、そして待ち望んでいました。夫がいつか映画を撮る日が来ることを、彼女は日常のささいな会話の中からずっと感じ取っていたといいます。

そこには、単なる妻としての期待を超えた、ある種の宿命を見つめるような確かな理由がありました。なぜなら彼は、戦前の日本映画界において知性とユーモアに溢れる時代劇を生み出し、若くしてこの世を去った伝説的な映画監督・伊丹万作の血を受け継ぐ息子だったからです。

血の繋がりという言葉だけで片付けるには、あまりにも深く、そして複雑な父と子の関係。残されたわずかな時間の中で、父は子に何を遺し、子は父から何を受け取ったのでしょうか。松山市にある伊丹十三記念館に展示された数々の資料と、宮本信子さんの静かな回想から浮かび上がってくるのは、時代を超えて響き合う、二人の天才の眼差しの物語です。

時代を出し抜く軽やかさ——異端の感性が生んだもの

伊丹万作という人物を語る時、宮本信子さんは、彼が誰にも真似できないような極めてユニークな感性の持ち主であったことに思いを馳せます。

その独創性が最も端的に表れているのが、伊達騒動を描いた1936年の時代劇映画『赤西蠣太』です。万作は、雨の情景から始まるこの映画の冒頭に、驚くべき演出を施しました。刀を振り回し、大太鼓や三味線の音が鳴り響くのが当たり前だった当時の時代劇において、彼は背景音楽としてショパンの「雨だれの前奏曲」を選び取ったのです。

それは単なる奇をてらった演出ではなく、古い枠組みにとらわれない、万作の感覚のあたらしさの証明でした。画家を目指して上京し、挿絵画家として活動するも芸術性を求めすぎて挫折。その後、地元・松山でおでん屋を開くも、出汁に凝りすぎて莫大な費用をかけ、結局赤字で店を畳んでしまう。そんな不器用で、しかしどこまでも本物を追求せずにはいられなかった万作の生き様が、映画という総合芸術の中で、軽やかなユーモアとして花開いた瞬間でもありました。

日常に潜む正義と、静かなる迫力

知的な映画監督という顔の裏側には、ひとりの父親としての純粋な戸惑いと、深い愛情がありました。長男である十三が誕生した際の日記には、嬉しさと心配のあまりどうしていいか分からず、ただ産声が高らかに響いた瞬間の感動を一生忘れないだろうという、親としての素直な心情が綴られています。

しかし、十三の記憶に残る父の姿は、ただ優しいだけのものではありませんでした。幼い頃、駅で電車を待っていた時のこと。列に割り込んできた反社会的な風貌の男に対し、万作は周囲が息を呑む中、毅然とした態度で列に並ぶよう静かに言い放ったといいます。

大声で威嚇するのではなく、正論を静かに突きつける。その静かな迫力は、十三の心に深く刻まれました。理不尽な暴力や間違ったことに対し、決して目を逸らさず断固として立ち向かうその姿勢は、後に十三が監督した映画『ミンボーの女』の根底に流れる確固たる倫理観へと、間違いなく繋がっていったのでしょう。

追記…長い間、私は伊丹十三監督が、絶体に割り込みで入って来る車を頑として許さず、意地でも入れなかったという話を聞いておりましたもので、今回の逸話で整合性が取れました。

鏡越しの愛と、手作りのカルタが守ったもの

しかし、親子の時間は残酷なほど短く限られていました。十三がまだ幼い頃、万作は当時不治の病とされていた肺結核に倒れます。

感染を恐れ、我が子を抱きしめることすら許されない日々。病床の万作は、手鏡を使って、遠くで遊ぶ十三の姿をじっと見つめていたといいます。触れたくても触れられない。声をかけたくてもかけられない。小さな鏡の枠の中に映る我が子の成長を、ただ静かに見守るしかなかった父の孤独と愛情の深さは、想像を絶するものがあります。

そんな闘病生活の中で、万作が子供たちのために残したある品があります。それは、一枚一枚手書きで絵と句が描かれたカルタでした。

実はこのカルタ、元々は戦時中の子供の心構えを説いたプロパガンダに満ちたものでした。万作は、国威発揚のためのそんな道具で我が子を遊ばせたくないという強い思いから、わざわざ裏面に自らの手で松尾芭蕉の俳句などを書き込み、新しいカルタを作り直したのです。

それは、狂気に満ちた時代に対する、ひとりの父親としてのささやかで、しかし極めて強靭な抵抗でした。子供の柔らかな心に、時代の嘘を刷り込ませてはならない。手作りのカルタには、万作のそんな切実な祈りが込められていたのです。

「騙されていた」という罪——戦後社会へ向けられた鋭利なペン

万作の社会に対する鋭い眼差しは、終戦の翌年に発表された「戦争責任者の問題」という文章に結実します。

そこで彼は、多くの国民が口を揃えて「騙されていた」と主張することの危うさを痛烈に批判しました。騙されていたと言って平気でいられる国民は、今後も何度でも騙されるだろう。いや、すでに別の嘘によって騙され始めているに違いない。

被害者意識に逃げ込み、自ら思考することを放棄する大衆の罪。騙されること自体が悪に加担することなのだという冷徹な事実は、発表から長い年月が経過した現代においても、全く色褪せることなく私たちの胸に突き刺さります。

病に侵された身体で、最後の力を振り絞るように書き残されたこの文章は、万作から未来の日本人へ向けられた、厳しくも愛のある遺言であったのかもしれません。そしてこの騙されないための知性こそが、後に伊丹十三が映画を通して描き続けたテーマの核となっていきます。

父を越え、父に近づく——『お葬式』がもたらした歓び

万作が若くしてこの世を去った後、遺された十三は、商業デザイナー、俳優、エッセイスト、テレビマンと様々な表現の領域を渡り歩き、やがて50代にしてついに映画監督の座に就きました。

初監督作品『お葬式』は、その年の映画賞を席巻する快挙を成し遂げます。その時の十三は、かつて父の作品が届かなかった順位を自分が超えたこと、そして父が亡くなった年齢を自分が追い抜いたことを、照れ隠しのように、しかしどこか誇らしげに語っていたといいます。

年齢でも、賞の順位でも、ようやく父を抜いたと語る十三。しかしそれは、父を過去のものとして切り捨てることではなく、むしろ映画という同じ土俵に立ち、ようやく父と対等に語り合えるようになったという、深い敬意と愛情の裏返しであったはずです。宮本信子さんもまた、そんな夫の姿に、偉大な父を乗り越えた歓びと、天国の父が喜んでくれているであろう確信を感じ取っていました。

その父にして、その子あり——永遠に続く対話

権威を笑い飛ばすユーモア。社会の欺瞞を見逃さない鋭い観察眼。そして何より、人間という愚かで愛おしい存在に対する、底知れぬ愛情。宮本信子さんが語るように、二人の間には確かに「その父にしてその子あり」と呼ぶべき、深く共通する精神が流れています。

伊丹十三は、偉大な父の背中を追いかけ、時に反発し、時に深く共鳴しながら、自らの表現を磨き上げていきました。彼が残した作品群は、単なるエンターテインメントの枠を超え、今なお私たちに「あなたはどう生きるのか」と問いかけてきます。

それはまるで、万作が手作りのカルタに込めた祈りや、病床から鏡越しに向けた眼差しが、十三というフィルターを通して、現代の私たちへと届けられているかのようです。

映画という表現を通して行われた、父と子の静かな対話。その対話は、彼らの作品を観る私たちがいる限り、決して終わることはありません。スクリーンの中で彼らが仕掛けた笑いに私たちがクスッと吹き出す時、そこには確かに、伊丹万作と伊丹十三の、あの皮肉っぽくもあたたかい眼差しが息づいているのです。

付録:実験作品
戦争責任者の問題(21世紀リミックス版:意訳)

Original Text by 伊丹万作 / Remixed by BooksChannel

Introduction

最近、映画界の連中が「戦争責任者を追放しようぜ」みたいな運動をやってて、その発起人の中に僕の名前も混ざってるらしいんだ。やれやれ、って感じだよね。いつ、どんな風に発表されたのか詳しいことは知らないんだけど、それを見た連中が僕のところにやってきて、「あれは本当に君の意見なのかい?」って聞いてくるようになった。

だからこの機会に、この問題について僕が本当のところどう思ってるのか、はっきりさせておこうと思う。でも正直なところ、最近の僕にとって、これくらいわけのわからない問題はないんだ。考えれば考えるほど、頭の中がこんがらがってくる。だから、「どうしてそんなにわけがわからないのか」ってことを話すことで、僕の意見の代わりにするよ。

「騙されてた」って言うけれど

あのさ、みんな口を揃えて言うんだよね。「今度の戦争では、すっかり騙されてた」って。みんながみんな、判子を押したみたいにそう言うんだ。でも、僕の知る限り、「僕がみんなを騙しました」って名乗り出た奴はまだ一人もいない。ここらへんからして、もうなんだか胡散臭いというか、わけがわからなくなってくるんだ。

多くの連中は、「騙した奴」と「騙された奴」の境界線が、チョークで引いたみたいにはっきりしてると思い込んでる。でも、それって完全な錯覚なんだよね。

たとえば、一般の市民は「軍や政府に騙された」って思ってる。でも、軍や政府の連中に聞けば、きっと「もっと上の連中に騙されたんだ」って言うはずさ。そうやって上へ上へと責任を押し付けていったら、最後にはたった一人か二人の人間しか残らない計算になる。でもさ、いくらなんでも、たった一人の天才的な悪党が、一億人もの人間を魔法みたいに騙せるわけがないじゃないか。

みんなでみんなを騙し合っていたんだ

つまりさ、本当のことを言えば、「騙していた人間」の数は、みんなが思ってるよりずっと多かったってことなんだ。しかも、「騙すプロ」と「騙される素人」がきっちり分かれていたわけじゃない。ある人間が誰かに騙されたかと思うと、次の瞬間には、そいつが別の誰かを捕まえて騙す。そういうことを、みんなで延々と繰り返してたんだよ。要するに、日本人全体が熱狂的なトランス状態になって、お互いに騙したり騙されたりしてたってわけだ。

その証拠にさ、戦争中の町内会とか、婦人会とか、そういう民間のグループが、どれだけ熱心に、しかも嬉々として「騙す側」に協力してたか思い出してみればいい。

服装のことだってそうだ。ゲートル(足に巻く布)を巻かないと家から一歩も出られないような、あんな馬鹿げたルールを押し付けてきたのは、政府や役人じゃない。僕ら国民自身だったんだよ。
僕は病気だったから、あのダサい戦闘帽を一度も被らずに済んだんだけど、たまに普通の帽子を被って外に出ると、すれ違う連中はみんな、まるで国賊でも見つけたみたいに憎悪の目を向けてきた。あれは誰でもない、親愛なるご近所さんたちだったんだ。僕はそのことを絶対に忘れない。

本来、服なんてものは実用性とちょっとしたオシャレの組み合わせであって、思想をアピールするものじゃない。でも、当時の連中は、服を「思想の踏み絵」みたいに勘違いしてた。あるいは、自分の本心を隠すための便利なカモフラージュとして使ってたんだ。だから、服をただの服として着てる人間を見ると、彼らは大げさに眉をひそめて怒ってみせた。そうやって「自分は正しい側にいるんだ」ってことを、必死にアピールしてたんだよね。

一番身近な「抑圧者」たち

戦争中、誰が一番直接的に、そしてしつこく僕らを息苦しくさせていたか。思い出してみてほしい。
それは、近所の八百屋のオヤジであり、町内会長であり、区役所の窓口のオバサンであり、学校の先生だったはずだ。僕らが普通に生きていく上で、どうしても顔を合わせなきゃいけない、そういう身近な連中だったんだよ。それって、いったい何を意味してると思う?

言うまでもないことだけど、誰も彼もが狂っていたあの戦争のせいで、僕らは「お互いの首を絞め合わないと生きていけない」っていう、最悪のゲームに参加させられていたんだ。もし君がこの意見に賛成してくれるなら、あの戦争中、ほとんどすべての国民が「お互いに騙し合わないと生きていけなかった」っていう事実も、認めてもらえると思う。

でもさ、それなのに君は、まだ「自分だけは誰も騙さなかった」って信じてるんじゃないかな。

じゃあ、ちょっと聞かせてもらうけど。君は戦争中、ただの一度も自分の子供に嘘をつかなかったかい?
はっきりと「嘘をついてる」って自覚はなかったにせよ、一度も間違ったことを子供に教えなかったって、胸を張って言える親が、果たしてどれくらいいるんだろう。
小さな子供たちは何も言わないけれど、もし彼らがまともな批判の目を持っていたとしたら、世の中の大人たちは一人残らず「戦争責任者」に見えるはずなんだ。

もし僕らが、本当に良心的で、真面目に考えるなら、「戦争責任」ってのはそういうものだと僕は思うんだ。

「騙されること」は、ひとつの罪だ

でも、こんな風に言うと、「いくらなんでも『騙した人間』の範囲を広げすぎじゃないか?」って文句を言う奴がいるかもしれない。
じゃあ百歩譲って、「騙した人間」がほんのひと握りだったと仮定しよう。ごく少数の悪党が、ものすごくたくさんの善良な人々を騙していたとする。でもさ、だからといって「騙された側」の責任がゼロになると思うかい?

「騙された」ってのは、確かに被害者だってことだ。でも、「騙された人間=正しい人間」なんてことは、どこの辞書にも書いてないんだよ。「騙されてました」って泣き顔を見せれば、すべての責任から解放されて、無条件で正義の味方になれるなんて勘違いしてる奴は、もう一度冷たい水で顔を洗ってきなよ。

僕はね、「騙された人間は正しくない」ってだけじゃなくて、もっと踏み込んで言いたいんだ。 **「騙されるということ自体が、すでにひとつの悪なんだ」**ってね。

騙されるのは、もちろん知識が足りないせいもある。でも半分は、信念がないから、つまり「自分の頭で考える意志」が弱いからなんだ。昔から「不明を恥じる」って言葉があるように、物事を見抜けない知性のなさは、ひとつの罪として扱われてきた。騙されるってことは、決して威張れるようなことじゃないんだよ。

それにさ、いくら騙そうとする奴がいても、誰一人として騙されなかったら、あんな戦争は起きなかったはずだ。騙す奴と、騙される奴。その両方が揃って初めて、戦争は起きる。だとしたら、戦争の責任は(重い軽いの差はあるにせよ)当然、両方にあると考えるのが筋ってもんだ。

騙された側の本当の罪は、「騙された」っていう事実そのものにあるんじゃない。あんなにも簡単に騙されるほど、批判する力を失い、考えることをやめ、信念を捨てて、まるで家畜みたいに権力に尻尾を振って従ったこと。その「国民全体の無気力と無責任」こそが、悪の正体なんだ。

それは、個人の尊厳をドブに捨てることであり、人間性への裏切りだ。おかしいことを「おかしい」と怒る精神の欠如であり、道徳的な麻痺だ。

「騙されてた」で済ませる連中は、また騙される

僕らは今、とりあえず政治的には解放されたことになっている。でも、自分たちを奴隷みたいに扱ってきた責任を、全部軍隊や役人に押し付けて、「あいつらが勝手にやったんだ」って顔をしてるなら、日本人は永遠に救われないと思う。

「騙されてた」っていう、最高に便利なマジックワードに酔いしれて、自分には何の責任もないって顔をしてる連中を見ると、僕は日本の未来が暗くてたまらなくなるんだ。

「騙されてた」って言って平気でいられる連中は、たぶんこれからも何度だって騙されるだろう。いや、今この瞬間だって、すでに別の新しい嘘に騙され始めてるに違いないんだ。

一度騙されたら、「二度と騙されるもんか」って本気で反省して努力しない限り、人間は進歩しない。だから、戦犯を追及することも大事かもしれないけど、今の日本に一番必要なのは、まず国民全員が「自分が騙されたってことの本当の意味」を理解することだ。そして、あんなにも簡単に騙されてしまう自分自身の弱さを解剖して、徹底的に自分を作り直す努力を始めることなんだよ。

だから、僕みたいな性格の人間は、まず「自分自身の反省」のほうにどうしても意識が向いちゃって、誰かを「お前が騙したんだろ!」って吊るし上げるような仕事には、どうにも興味が持てないんだ。

僕には、誰かを裁く権利なんてない

「これは興味の問題じゃなくて、政治の問題だ」って怒る人もいるかもしれない。確かにそうだろうね。
でも、政治の問題である以上、そこには限界がある。便宜的に「ここからこっちは戦犯、こっちは無罪」って線を引いて、形式的に処理していくしか方法がないんだ。つまり、本当に根本的な解決なんて最初から諦められていて、残されているのは「手っ取り早い魔女狩り」だけなんだよ。

たとえば、僕自身のことを話そう。僕は戦争中、戦争を賛美するような映画を一本も撮らなかった。でもそれは、僕に立派な反戦の信念があったからじゃない。たまたま病気で寝込んでいて、そういう映画を撮るチャンスがなかったり、いろんな偶然が重なっただけなんだ。

もちろん、僕は根っからの平和主義者だ。でも、そんなこと今さら何の言い訳になる?
戦争が始まってからの僕は、ただ「日本が勝ってほしい」ってことしか考えてなかった。そのためなら何だってするつもりだった。国が負けたら、自分も家族も、友達も近所の人たちも、みんな一緒に殺されるって本気で信じ込んでたんだ。この馬鹿正直さを笑いたい奴は、いくらでも笑えばいい。

そんな僕が、ただ「偶然、戦争映画を撮らなかった」っていうだけの理由で、どうして偉そうに他人を裁く側に回れるっていうんだい?
だから、誰がこの戦犯追放をやればいいのか、僕にはわからない。ただ言えるのは、「自分こそ他人を裁くのにふさわしい」って本気で信じられる、おめでたい連中がやればいいんじゃないか、ってことだけだ。

最初のボタンを掛け違えたら

じゃあ、なんでそんな風に考えてる僕が、戦犯追放の運動に名前を連ねてるのかって?
去年の年末、その団体の発起人から手紙をもらったんだ。「文化運動をやるから名前を貸してくれ」ってね。具体的なことは何も書いてなかった。だから僕は、「文化運動にはあんまり興味ないけど、僕の名前が役に立つなら、形式的に使ってもいいよ」って返事をしたんだ。

つまり、僕が名前を貸したのは、それがただの「文化運動」だと思ったからだ。今やってるみたいな、誰かを血祭りにあげるような過激な政治運動だって最初からわかってたら、いくら呑気な僕だって、絶対に名前なんて貸さなかった。事前に「こういう運動をやりますけど、いいですか?」っていう確認も一切なかったしね。

でも、今さら騒いでも野暮ってもんだ。最初のボタンを掛け違えたら、最後のボタンまでズレるのは仕方ないからね。
要するに、これは僕にとっていい教訓になったってことさ。僕は本来、芸術家としてどんな団体にも属さないことを理想としてる。それなのに、自分の意志の弱さからついルールを破って、いつも後悔する羽目になる。今回もそのパターンだ。でもおかげで、「こういうバカな真似はこれで最後にしよう」って決意できたよ。

ちなみに、最近その団体にこんな手紙を出しておいた。

「この前は文化運動だって言うから名前を貸したけど、こんな過激な政治運動だって知ってたら断ってました。誰かを戦犯として追放するような問題は、団体がどうであれ、個人の考えが尊重されるべきです。勝手に名前を使われたのは本当に残念です。僕はベッドから起き上がれない病人だし、こんな運動の最前線に名前が出るなんて滑稽すぎます。だから、僕の名前はリストから外してください。よろしく」

やれやれ、本当に疲れるよ。

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1780日目

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