田舎でオタクをするということ
昭和62年生まれ。小学校高学年、私は気づいたらオタクだった。
小6の秋、アニメのワンピースの放映がスタートした。
私はアニメから入ってどハマり。初めてコミックスを買い揃えた。
私の推しはゾロだった。たしぎやくいなに嫉妬するほどゾロが好きだった。
半年ほどで中学へ上がり、私はますますヲタクの道を突き進む。中学生、新しい友達から仕入れる新しいオタク文化。BLというものを知ったのもこの頃だ。
尾田先生の絵ではないワンピースの漫画があるのを知った。そう、同人誌だ。当時は商業アンソロを本屋で間違えて買ってその道に逸れてしまう人が後を絶たなかった。先にその道を知ってた友人から、コソコソと教えてもらったのだった。
そこからはもう転がるようだった。NARUTOにもハマった。BLEACHも読んだ。ジャンプだけじゃなく、マガジンのサムライディーパーkyoにもどハマりして、猿飛佐助のスクラップブックを作っていた。FF7〜9をやったのも中学の頃だ。
ジャンプ黄金期であるこの時、私はひしひしと感じていた。田舎という壁を。
当時、私が住む東北で放送されていたジャンプ系アニメは、全てではなかった。
ワンピースも少し遅れての放送だったし、NARUTOとBLEACHは土日のアホみたいに朝早い時間に放送されていたし、ヒカルの碁は関東圏で放送が終わってからやっと宮城県での放送が始まった。テニプリやシャーマンキングに至っては放送がなかった。どハマりしたKYOも放送がなかった。テレ東系列不毛の地なのだ。
特にテニプリ。これの全盛期が私の中高生の頃で、アニメ放送がないことに、何度も血の涙を流した。
加えてど田舎、レンテルビデオ屋も遠かった。自力で行こうとすると、最寄り駅まで自転車2〜30分の距離(坂道きつい)そこから1〜2時間に1本の電車に乗り、乗り換え、やっとこさ駅前のゲオにたどり着ける。しかしこの手法は交通費も時間もかかるので現実的ではなかった。となると、最も有効な手段となると、親による車だった。それでも2〜30分かかる。だからなかなか連れて行ってもらうのもハードルが高かった。それに、レンタルビデオとなると、翌週に返却に行かねばならない。親には当然めんどくさがられる。でも、レンタルビデオでしか見る手段がなかったのだ…。
関東圏では、テレビをつければやっているのに、私は、東北にいるというだけでそれがなかった。不公平だ。この世は平等なんかじゃないと思った。
