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我が青春時代

日記というものは便利である。記憶は美化されるが、筆跡は美化されない。

「あの頃の俺も、なんだかんだ青春していたよなあ」などと遠い目をしてみたところで、十五歳の自分が残した現物の方が圧倒的に雄弁である。

私は先日、中学三年生の頃の日記をちょっとした懐かしさとともに開いた。

・・・そして数ページ読んだところで、早くも閉じたくなった。

▼この記事は、こんな人が書いています

そこには青春時代の私がいた。

嬉しかった日は字が大きい。恋愛が絡むと感嘆符が増える。興奮すると波線が伸び、いよいよ抑えが利かなくなると文字がページを侵食し始めている。

勉強に励み、友情を育み、淡い恋に胸を焦がし、将来について思索する多感な少年――ではなかった。

テレビを見て、プレステをして、漫画を読み、女子が隣に座ったというだけで一大事になり、友人にジュース一本を譲っただけで人類愛にまで話を広げ、キャンプに行けば宿泊施設の採光について怒っている少年がいた。

十五歳、時間を管理する

まず驚いたのは、当時の私は非常に几帳面だったということである。

「AM10:00起床」「PM1:00プレステ」「PM2:30高校野球」「AM0:30日記」といった時刻が至るところに記録されている。何時に起き、何時にテレビを見て、何時から漫画を読み、何時にプールへ行き、何時からプレステをしたのか。分刻みとは言わないまでも、相当細かい。

中学三年生の私は、時間管理にはかなり厳しかったようだ。大手メーカーに勤めていた時に書いていた日報よりもかなり細かいのではないか。

だが内容に関しては怠惰そのもの。この圧倒的な物的証拠により、私の青春時代は、ほとんど漫画とプレステにより構成されていることが明らかになった。

当時の私の集中力についても、目を見張るものがあった。

1997年8月15日、私はあるビデオを探していた。かなり熱心に探していたらしく、日記によると夕方の午後5:00から夜の9:00まで家の中を捜索している。なかなかの集中力だ。

どこに行った。確かここにあったはずだ。ない。おかしい。少年は執念深く捜索を続ける。

ところが途中で漫画『美味しんぼ』を発見した。

「あ」

読む。もう一冊読む。さらに読む。

気がつくと午前2:05分。

日記には、

「今日はもう寝るとしよう。」

と書いてある。

午後9:00まであれほど血眼になって探していたビデオは『美味しんぼ』との遭遇により忘却の彼方へと飛んで行った模様で、その後そのビデオについての記述は一切見られなかった。

こうして見ると、私は集中力がなかったわけではない。

集中する対象が頻繁に変わったのである。

女子が隣に座る

十五歳、思春期真っ只中。当然ながら、女子という存在が日記の各所に出没する。

1997年8月9日。バスで女子が隣に座った。

以上が、客観的に確認できる事実である。

ところが十五歳の私にとっては相当インパクトがある出来事だった。

彼女は寝ており、少しこちらに傾いている。

近い。

いや、まだ近くはない。

しかし先ほどより三センチほど近い気がする。

ここで脳内の危機管理センターが稼働する。

「接近を確認!」
「右肩はどうする?」
「動かすな!」
「呼吸は?」
「自然に!」
「自然な呼吸ってどうやるんだ!」
「知らん! とにかく自然にしろ!」

ピッ、ピッ、ピッ……。

女子との推定距離、12cm。

ピピピピピ。

9cm。

ビビーーーーーーッ!

領域侵犯の警報が鳴った。

もちろん隣の女子は寝ているだけである。

十五歳の男子が生命活動のすべてを投入して「自然に座る」という極めて高度な任務を遂行していることなど、周囲には知る由もない。

やがてバスは目的地に着いた。

かくして、「女子との物理的距離が数センチ縮まった」という事実は、めでたく後世まで遺されることとなった。

本式デート

そんな少年にも、恋愛らしきものはあった。

日記をめくっていると、あるページだけ明らかに様子がおかしい。文字が大きい。感嘆符が多い。線が踊っている。そしてページの上部に、かなりの勢いで、

「明日、初の本式デート!!」

と書いてある。

本式。

「本気」でも「本格」でもない。

本式である。

結婚式なら神前式とか人前式とか、略式とか本式とかいう言い方も分からなくはないが、これはデートだ。

それまでにも女の子と出かけたことはあったが、それらは私の中ではまだ正式なデートとは認定されていなかったのだろう。友達として出かける、目的が「二人で楽しむ」とは別のところに設定されている、Etc.

だが今回は一定の条件を満たしていたようで、十五歳の脳内では恋愛審査委員会が開催されたのであった。

「今回の件ですが」
「はい」
「これはもうデートと認定してよいのではないでしょうか」
「異議なし」
「では・・・?」
本式で」

カンカンカン!

本式デート認定。

何の式典なのか。

ともかくうれしかった。

まず本能の女神が歌い始める。

「さいこう~~~~~」

すると、腹の底からベースが入る。

デ・デ・デート。デ・デ・デート。
「さいこう~~~~~」デ・デ・デート。

さらに奥から、マラカスを振る陽気なラテン人たちが出てくる。

シャカシャカシャカシャカポコポコポコポコ。
「本日初のォォォ~~~~!」
「本式デートォォォォォォ~~~~!!!!」(デ・デ・デート)

脳内大合唱である。

理性担当も最初のうちは、

「いや、ちょっと待て。まだ何も始まってないぞ。

などと言っていたのだけど、途中からどうでもよくなったらしく、

「デ・デ・デート」

とベースを弾いていた。

日記というものは恐ろしい。筆跡は許してくれない。その日の日記は、大きく汚い文字で「デ・デ・デート!!」と書き殴った挙句、

ものすごく楽しみにしている。

と、一切の思考を手放した言葉で締めくくられていた。

ロマンチックな友情


恋愛だけではない。私は友情にも全力だった。

1998年3月29日。ジュースを二本買った。そのうち一本を友人にあげた。

ところがそこはさすがの私、ただ渡すだけでは済ませなかった。

相手が、

「でも、これって……」

と遠慮した、と日記には書いてある。

その時、私は手で相手を制し、

「全く問題ナシ!」

と言った。

私の妄想ではない。残念ながら、限りなく事実に近いのだろう。

なぜなら、

「手で制して『全く問題ナシ!!』と言った」

と、日記に明記しているからだ。

たぶん「決まった!」と思ったのだろう。15歳の私の脳内では、その瞬間だけ夕日が差していた可能性がある。

友「でも、これって……」
私「言うな」
友「え?」
私「全く問題ナシ!」

ザアアアアア……。

どこからともなく風が吹く。

そして日記には、さらに、

「ロマンチックだったかもしれないが、これも友情をつくるため!」

と書いてある。

自身の行動のことを日記に「ロマンチック」というワードで書けてしまう、この青春パワーはどうだ。もう自意識が止まらない。

だが私の思索はそこでもまだ止まらない。日記にはさらに、

「他人の喜び > 自分の苦労」につながることなら、できるだけやろう

というような思想にまで話が進んでいる。

ジュース一本。これを渡すだけで、友情、自己犠牲、他者の幸福と自分の負担の比較というところまで行ってしまった。

私は昔から、一つの出来事から話を自分の中で大きくする才能があったらしい。

プライド

そんなふうに、漫画やプレステだけではなく、恋愛や友情にも大変多忙にしていた私だが、プライドもかなり高かった。

プライドが高いという悩みは四十三歳になった今でも引き継いでいるが、当時はかなり分かりやすい形で発露していたようだ。

ある夏のキャンプで、自己紹介をする時間があった。

そこで、どういう経緯だったのか、私のあだ名が「ポチちゃん」になった。

日記には、

「なんで僕のアダ名がポチちゃんやねん!!!!」

とある。感嘆符は4つだ。

私がもう少し大人であれば、これ幸いと「いじられキャラのお調子者」を演じることができていたのかもしれない。

だが、私のプライドによる「ポチちゃん」は嫌だ!という拒絶反応が、私から一寸の余裕も奪い去ってしまったのである。

いったい何が私の自尊心をこれほど強固に支えていたのかは、実は今でも分からない。実績に裏付けられた自信ではない。

恐らく、むしろ実績がないからこそ、まだ何者にでもなれるという無限の可能性を信じていたのだ。

無限の可能性は信じてはいたが、ポチちゃんだけはない。十五歳の私にとって、そこは譲れない一線だったようだ。

「プライド」という言葉に収まりきるのかどうかすら分からないが、このキャンプで私が不満だったのは、あだ名だけではなかったようだ。

建物が気に入らなかった。

日記にはわざわざ、

「ここで、泊る場所についての不満を書く」

というような宣言まである。

そして不満点が5つほど列挙されている。

・日光が入ってこない。
・風も入ってこない。
・なんとなく冷たい感じがする。
・季節が変わった、というような変化が感じられない。
・面積のわりに、なぜか狭く感じる。

そして最後に、

「誰なんだ、こんなデザインにしようと考えたのは!」

と憤慨してる。

普通なら、夜は誰の部屋に集まるとか、好きな子と話せるかとか、肝試しで誰と組むとか、もう少し中学生らしいことを気にしてもよさそうなものだ。

もちろんそれらも気にしていたはずだが、その時の私は建物の採光と通風を気にしていた。

しかも「これでは季節の変化が感じられない」という指摘までしている。

ひと夏の一回限りの訪問でそこまで見抜けるとは、私は自分の才能への敬意を禁じ得ない。

少年の中の建築評論家が腕を組む。

「まずねえ、光の入り方がよくないよ、君」
「はい」
「それから風が抜けない」
「なるほど」
「あと、この季節感のなさね」
「季節感ですか」
「うん。建物と自然が分断されてるんだよ。分かるかい?

何者なんだ。

設計者も、まさか一泊だけ宿泊に来た中学三年生の日記でここまで酷評されているとは思わなかっただろう。

もちろん誰にも言っていない。

日記の中だけで、

「誰なんだ!」

お前こそ誰なんだ

という殴り書き――すなわち小者であることの証明だけがそこに残されていた。

とはいえ、こういう分析能力があったのなら、さぞ勉強もできたはずだ。

だが現実はそうでもなかったようだ。

完璧な計画

数学の宿題について、春休みの最中での日記には

「やっと半分まできた。残りのページ数を数えると35ページ。休みはあと4日あるから、一日9ページ弱の計算だ。」

とある。

いける。完璧な計算だ。

十五歳の私は満足し、そしてプレステをやる。

翌日。

残り三日。ということは・・・

「12ページ弱か」

大丈夫。私は漫画に手を伸ばす。

次の日。残り二日。

「……18ページ弱だな」

こうして計画は日に日に美しく、実行は日に日に困難になっていく。

私は計画を立てることが好きだった。だが、実行に関してはあまり意識していない。

かくして、5年連続ほとんどの教科に関して赤点を取り続けるキングが形作られていったのである。


こうして昔の日記を読み返してみると、中学三年生の私は実に多忙であった。

女子が隣に座れば、全神経を集中させる。

デートが決まれば、それが略式か本式かを脳内議論し、決着がつけば本能の女神が歌い、ラテン人が集まってくる。

ジュースを一本譲れば、友情と自己犠牲について思想を構築し、「ポチちゃん」と呼ばれれば、自尊心が決起し、キャンプに行けば採光と通風を批評する。

私は長いこと、自分の中学・高校時代を「特に何もなかった日陰の時代」だと思っていた。だけど日記を読むと、どうも違う。

毎日のように大事件が起きていた。

相手のいない恋愛ドラマ、観客のいない友情映画、誰にも頼まれていない建築批評。

忙しい。全部一人でやっている。

世界は恐ろしく平和だったが、私だけが激動していたのである。

日記を読んでいると、節々に、

「自分には何かある」

と思っていることが読み取れた。

私の「不都合を無視できる才能」は、当時私の周りに起こるありとあらゆる現実に即座に反論した。

「赤点ですが」→「本気で勉強していないからです」
「スポーツでも結果がありません」→「そこに人生を賭けていません」
「女子からの支持も限定的です」→「アドレス帳には何人もいます」

無敵だ。

私はテレビを見て、漫画を読み、プレステをし、数学の宿題を残し、女子が隣に座ったことを日記に記録し、「本式デート」という独自制度を制定しながら、

巨大な可能性を一切毀損することなく温存していた。

我が青春時代。

当時の私は、自分という人間をずいぶん特別な存在だと思っていたが、30年近くたって日記を読み返した私には、もう少し簡単な説明が思いつく。


・・・結局のところ、私はかなり暇だったのだ。



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