学歴詐称をなぜ見逃す?──誰もが知っているのに誰も突っ込まない不思議
政治家や有名人の「学歴詐称」問題。表沙汰になることもあれば、うやむやに消えてしまうこともある。私はこれに強い違和感を覚えている。
なぜなら、調べようと思えば誰でも調べられるはずだからだ。
大学に問い合わせれば一発で確認できるのに、なぜか「調べない」「見て見ぬふり」が横行している。
私なら堂々と「大学に問い合わせてください」と言う。潔白ならむしろ歓迎すべきことだ。
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学歴コンプレックス社会の裏側
「学歴社会だ」と批判しながらも、実際には「肩書きに弱い社会」が世界中に広がっている。
だからこそ、肩書きに“ニセモノ”が紛れ込んでも、不思議と生き残れてしまう。
「バレなければいい」
「誰も調べない」
「調べたら面倒になる」
このメカニズムは国境を超えて共通しており、学歴詐称を温存させている。
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まだまだ出てくるはずだ
もし全世界の政治家や有名人を徹底的に調べたら、学歴詐称はまだまだ出てくるだろう。
「きっと他にもある」と誰もが思っていながら、深掘りはされない。
なぜなら「暴いたところで、自分に何の得もない」と考える人が多いからだ。
こうした“ぬるい空気”は、世界の至る所にある。
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問題は「学歴詐称」そのものより「追及しない空気」
私が気になるのは、実は学歴詐称そのものではない。
問題は、それがバレても「まあいいか」と流される社会の側だ。
正直に努力してきた人からすれば、これはバカバカしい。
「嘘をついた方が得をする」仕組みは、社会全体を腐らせる。
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学歴詐称は「疑わしいなら堂々と調べるべき」だし、潔白ならむしろ歓迎して証明すべきだ。
それをせずに見逃す社会の方が、よほど不健全。
結局、世界は「真実より空気を読む」社会だということが、この問題に表れている。
