FIREした人が最後に陥る、自由という名の「退屈な牢獄」
FIREを達成し、十分なお金と自由な時間さえ手に入れば、人は幸せになれる。
多くの人がこれを信じ、資本主義のレースを走り続けています。しかし、いざゴールテープを切り、すべての束縛から解放されたはずのFIRE達成者のなかには、深刻な虚無感や退屈、あるいは生活の崩壊に直面するという現実があります。
なぜ、自由を手に入れたのに不幸になってしまうのか。その答えは、私たちが自由という言葉の定義を根本から勘違いしているところにあります。
何時でも起きていいは自由ではない
18世紀の哲学者イマヌエル・カントは、自由について非常に辛辣な定義を残しています。
自由とは欲望のままに生きることではなく、自ら課したルールに従うことだ。
カントに言わせれば、朝何時に起きてもいい、一日中ゲームをして過ごしてもいい、お酒を好きなだけ飲んでもいいという状態は、自由でも何でもありません。それは単に、自分の怠惰や一時的な欲望に支配されているだけであり、本質的には欲望の奴隷にすぎないということです。
本当の自由とは、外部からの強制が一切なくなった世界で、私はこう生きるというルールを自分で作り、そのルールに自ら進んで従うこと、つまり自律を指します。これができない限り、人間はどれだけお金があっても幸福にはなれません。
会社という組織は自律の代行システムだった
なぜ多くの人が、会社や組織にいるときはそれなりに安定して生きられるのか。それは、組織というシステムが、自律を丸投げできる外骨格として機能しているからです。
会社にいれば、始業時間があるから嫌でも朝起きて生活のリズムが維持されます。勤務中だからスマホや娯楽を我慢して依存を防げます。また、求められなくても、やるべきタスクや役割が向こうから降ってくるため、前に進んでいる感覚も得られます。
自分を律する力が低くても、この外骨格が外側から身体を固定してくれているおかげで、人間は規則正しい生活を送り、精神の崩壊を防いでもらっています。
しかし、早期退職やFIREによってこの外骨格が外れた瞬間、自前の骨組みがない人間は一気に自壊します。時間の無秩序化、退屈から逃れるための受動的な快楽への依存、そこから崩れていく生活、および自分で自分をコントロールできていないという自己嫌悪。会社員時代のほうが、強制的に生活が整っていた分だけマシだったという本末転倒な結末は、こうして生まれます。
自由の世界を生き抜くための4大インフラ
すべてが自由になった世界で、退屈と崩壊に呑まれず、幸福を維持するためにコントロールすべき土台は4つしかありません。これらはマイナスやバグを防ぎ、自分を正常に保つための防衛策です。
1. 身体のコントロール = 健康
ジムや適切な運動、食事、睡眠によって、セルフコントロール機能を担う脳を健康に保ちます。
2. 時間のコントロール = リズム
起床、睡眠、活動の時間に自ら境界線を引き、生活の無秩序化を防いでリズムを作ります。
3. 刺激のコントロール = 依存の防止
アルコールやタバコ、過度な消費など、脳を麻痺させる強い刺激を生活に入れないことで依存を防止します。
4. 意識のコントロール = 精神の安定
他者比較や過剰な情報、ネットの雑音を遮断し、意識を今に留めて精神の安定を図ります。
これら4つの防衛線が機能して初めて、脳からノイズが消え、人間は昨日より一歩前に進みたい、新しいことを学びたいという、自然なベクトルを持ち始めます。成長や前進の感覚とは、無理に作り出すものではなく、この4つの土台が整った結果として勝手に湧き出てくるエネルギーです。
主体的拘束という最も贅沢な自由の行使
すべてが自由になった人間が、22時には寝る、お酒は週2回まで、毎日の学習時間を確保する、定期的に運動するといったルーティンに自らをハメ込んでいるのを見ると、一見、せっかく自由になったのにまた自分を縛って不自由になっているように見えるかもしれません。
しかし、それは違います。そのスケジュールは、誰からの指示でもなく、他人に1秒も時間を切り売りせず、自分が100%納得して選択し、デザインした不自由です。
自分で作った法律に、自分の意志で従うこと。この主体的拘束の中にいるとき、人間の心は最も軽く、安定します。自ら課した規律の枠組みがあって初めて、私たちは目の前のことに没頭し、本当の幸福を味わうことができるのです。
金銭的自立は、人生のスタートラインにすぎません。その先にある自由を乗りこなせるかどうかは、自前の骨組み、すなわち自己統治能力にかかっています。
