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私の会津田島駅物語 ー 土星と牛乳屋さんと、天文少年たちの夏 ー

 福島県、南会津町田島。
 今は町村合併により広域な町にはなったが,山あいの静かな町である。
 私が中学生だった五十数年前、旧田島町の中心にある「会津田島駅」は、町の顔として多くの人々が集い、そして,別れゆく場所だった。

中学時代の会津田島駅(※)

 中学生のころ、私は熱烈な「天文少年」だった。 毎夜、自慢の反射式望遠鏡を抱えては、吸い込まれそうな満天の星空を仰いでいた。
 仲間のS君、A君と3人で結成した天文サークル。
 その名は「コメット(Comet)クラブ」。
  3人の翌朝の挨拶は、決まって「昨夜はシーイング(星の瞬き)5だった」「いや、3だった」という合言葉のような話から始まる。
  「火星の模様が見えた」「木星の衛星の影が落ちていた」「月のクレーターが」…。  
 教室の隅で3人にしかわからない話題で盛り上がっていた。
 ノートの端に私が描いたサークルのロゴマークを、A君が「これいい!」と絶賛してくれたあの瞬間、私たちの時間は永遠に続くように思えた。

Cometクラブのロゴ

午前4時のミラクル
 忘れられない夜がある。 夏休み、サークル活動として,私たちは会津田島駅前の広場で一晩中,天体観測を決行した。 深夜0時を過ぎ、街灯も消えた駅前は、最高の天体観測所になった。

 私の10cm反射式望遠鏡は、友人のものより少しだけ高解像だった。
 午前4時を回り、東の空から土星が顔を出す。
 バローレンズを装着して、いつもより倍率を上げる。慎重にピントを合わせる。
「……うわっ!」
 思わず声が出た。 レンズの中には、図鑑で見たままの、素晴らしい輪を持つ土星が,今までにない解像度でくっきりと浮かんでいた。
 その時、ガタゴトと音を立てて一台の自転車がやってきた。 牛乳屋のおばさんだった。駅の売店に配達に来たのだろう。 興奮冷めやらぬ私は、自転車に乗ろうとするおばさんに、唐突に声をかけた。
「おばさん、土星、観ませんか!」
 驚くおばさんを半ば強引に誘い、望遠鏡を覗いてもらう。
「あれぇ〜! 本当に輪っかがあるんだねぇ!」
 朝の静寂に、おばさんの弾んだ声が響いた。
「おばさん、ラッキーだよ! 土星がこんなに綺麗に見えるのは,僕らも初めてなんだ!」
「ありがとう。いいもの見せてもらった……」
 そう言い残して、おばさんは朝の町へと走り去っていった。

天文少年たちと牛乳屋のおばさん(※)

 間もなく一番列車が走り出す。僕たちは温かい充実感とともに、駅前広場を後にした。

動き出した時間
 あの日以降、あんなに大きく鮮明な土星を見たことはない。 その後、サークル仲間たちはそれぞれに転校し、コメットクラブはいつの間にか自然消滅した。
 中学3年の卒業式も終わり。 東京へ就職する友人を見送るため、私はまた駅にいた。 洋楽好きの彼に、餞別として渡した最新のアメリカンヒットチャート表。
 少しやんちゃだった彼の少し寂しそうな横顔と、去り行くSL列車の汽笛,
「ゴトン、ゴトン」という音。
 あんなに賑やかだった星空の夜が嘘のように、現実は淡々と、別れを運んで行った。

旅立つ友を見送る

変わる景色、変わらない心
 国鉄からJR、そして第3セクターの「会津鉄道」へ。 時代とともに駅舎は新しくなり、駅前の風景もすっかり様変わりした。 私自身も大人になり、車を運転するようになってからは、駅のホームに立つことも少なくなった。
 けれど、私の心の中の「会津田島駅」は、
 今も変わらずあの頃の姿のままであり続けている。

 満天の星空の下、牛乳屋のおばさんと土星を眺めた駅前。
 写生コンクールで、ガソリンスタンドの人を描いた駅前。
 夏休み、大川で泳いだ帰りにかき氷を食べた駅前。
 田島祇園祭や盆踊りの出店で賑わった駅前。
 そして、友の門出を見送った、あの駅前。

 たくさんの思い出が走馬灯のように巡る。
 私にとっての「駅」とは、ただの交通の拠点ではない。
 あの眩しい青春の光が,今も静かに瞬いているとっておきの場所。
 それが「会津田島駅」なのだ。



(※)元画像提供:西崎さいき様

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