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アナログ派の楽しみ/スペシャル◎やぶにらみ古典芸能(創作大賞2026応募作)

やぶにらみ古典芸能


 世間から逃げない、天にも行かない、
 地獄にも行かない、だけど沈むんです。
  ――小林秀雄講演『現代思想について』より
  
 

落語◎『夢金』


尾籠な話題ながら
「金玉」の語源とは?
 
 
いきなり尾籠な話題ながら、男性の局所を指して「金玉」と呼ぶようになったのはどのような事情からだろう? ウィキペディアによると、語源には諸説あるとして、「キノタマ(酒の玉)」=どぶろくに類似する液体をつくる玉、「キノタマ(気の玉)」=宇宙の動きや心の動きの根本である気の玉、「イキノタマ(生の玉)」=生命の玉、「キビシタマ(緊玉)」=命に関わる玉、「キモダマ(肝玉)」=肝っ玉などの説を列挙したうえで、いずれも推測の域を出ないと断っている。ちなみに、金色だから金玉というのは誤り(精巣は赤褐色)と補足している。
 
ともあれ定説が存在しないならば、わたしももうひとつの別の説をここに提示してみたい。というのも、先だって古典落語の『夢金』を知ったからだ。わたしが耳にしたのは、六代目春風亭柳橋が昭和39年(1964年)1月31日に「東宝名人会」で口演した際の実況録音で、ずいぶんと古い記録ではあるけれど、昔ながらの江戸弁の話芸に魅了される。
 
ざっとこんな噺だ。
 
ひとはだれでも色と欲から離れられないが、その最たる例として熊蔵という人物が登場する。隅田川にかかる吾妻橋のたもとの舟宿の船頭で、もともとカネにうるさかったところに、千住のコツ(小塚原)の女郎から20両を持ってきたら女房になってやるといわれたものだから、いまでは宿の二階で居眠りをしているときにも大声で「20両欲しいぞ」と寝言を発する始末。そんなある日、大雪の降りしきる晩に、浪人風情の男が舟宿にやってきて、屋形船で大橋まで運んでくれたら20両を出すと主人に持ちかけた。それを耳にするなり、熊蔵は寝床から跳ね起きて引き受けたところ、男には身なりのいい女の連れがあって色恋の仲なのかと想像する。
 
ところが、それがとんでもない間違いだった。船を漕ぎだしてしばらくすると、男が本性を現して口にしたのは、この女は本町の大店の娘で、惚れた相手と駆け落ちするため大金を懐にウロウロしていたのを手助けしてやると偽って連れてきたとのこと、どこか適当な場所で娘を殺してカネを奪うのに協力してくれたら分け前を与えるが、もし邪魔立てすればお前もいっしょに殺してしまうというのだ。そこで、熊蔵はしたがうフリをして船を川の中洲に着け、悪党をそこに置き去りにするなり取って返して、救いだした娘を実家の大店へ送り届けてやった。当然ながら、娘の両親が大喜びして謝礼に20両を差しだしたので、熊蔵はすぐさま掴み取ろうと左右の手を伸ばし――。かくして、結びのサゲに至る。
 
「握る。痛いんで目が覚めたら、二階で夢を見てやがる」
 
録音では判然としないが、おそらく高座で柳橋が股間を掴むポーズを取ったのだろう、場内にドッと哄笑の沸き立つのが聞き取れる。つまり、夢のなかでカネと思って両手で握ったのが自分の金玉だったわけで、『夢金』とは夢の金玉の意味に他ならない。明治時代にはそのものズバリ、『陰嚢』の題で演じられていたという。噺の内容は、江戸時代初期の『きのふはけふの物語』をはじめ、さまざまな笑話集が伝えてきたパターンで、幸運にも色と欲が満たされたと思ったら夢に過ぎなかったというオチは、われわれにとって馴染み深いだろう。
 
それにしても、最後に熊蔵が寝床でみずからの股間を掴んだのはただの偶然なのか? わたしはそう思わない。
 
男性の股間とは、睡眠中に色と欲が絡んだ夢を見ればおのずから熱を帯びて形状が変わるものだ。熊蔵の夢ほど手が込んでいなくとも、ほんのささやかな色と夢に唆された夢を見ただけで、ふと目が覚めてみたら股間があさましい反応を示していたという経験は、男ならだれでも身に覚えがあるはずだ。そこで、わたしはひとつの説を提示したい。色と欲を「金」の一字で表し、男の局所を「玉」の一字で表すなら、「金」をめぐって夢と現実が交錯する場が「玉」なのであり、こうして男どもの性懲りのない願望を託して「金玉」の呼び名が行われるようになったのではないか、と――。
 
落語『夢金』から閃いたこのアイディアの説得力やいかに?
 
 

音楽◎奈良法相宗薬師寺 声明『薬師悔過』


悔い改めよ、
さもなければ…
 
 
お寺の声明(しょうみょう)に接する機会はまずない。だから、黛敏郎作曲『「涅槃」交響曲』の1995年に録音されたCDに併せて、奈良法相宗薬師寺の僧侶10名による『薬師悔過(やくしけか)』の実演が収められていなかったら、こうした摩訶不思議な世界をいつまでも知らずにいたことだろう。実際、わたしは、メインの黛作品よりもこちらのほうにずっとインパクトを感じたくらいだ。
 
みずからが過去に犯した過ちを薬師如来に向かって悔い改めるための法要、『薬師悔過』は奈良時代に由来するという。そこでの声明は、散華、梵音、錫杖、呪請願、称名悔過(前段・後段)、唱名号、祈請、大懺悔、牛玉加持行道の十のパートから成り、これらのネーミングからもただならぬ雰囲気が伝わってくるのだが、ライナーノーツに黛が執筆した解説によれば、「伝統的声明として極めて音楽的価値の高いものといえば、私の知る限り奈良声明がまず頭に浮かぶ」として、「我々の知るいわゆる抹香くさいお経と違って、梵音や錫杖にみられるような幅ひろく自由なポルタメントと、変貌自在なテンポの移り変わり、そして導師と大衆のかけ合いやカノンでたたみかけてゆく、ドラマティックな構成を持つ」と賞賛しているから、自身が取り組む20世紀の前衛音楽と対峙させてもまったく引けを取らないものらしい。
 
もっとも、わたしの素朴な耳には、はるかな古代からせめぎ寄せてくる暴風のような気配のほうが濃厚だ。僧侶のリーダー(導師)とコーラス(大衆)が仏や菩薩の名号を唱えながら高揚したあげく、熱に浮かされたように「南無楽」と連呼しあったのち、突如、法螺や太鼓が荒々しく轟きわたってクライマックスを築き、かれらの唱える真言が時空を切断する成り行きの、このおどろおどろしさはどうだろう? これに較べたら、カトリック教会のグレゴリオ聖歌など、いかにもかしこまっておとなしく聞こえるほどだ。
 
『薬師悔過』がはじまった奈良時代、平城京の薬師寺に景戒という僧侶がいた。かれはわが国初の仏教説話集『日本霊異記』を編纂したことで知られ、その中巻の第10話には「つねに鳥の卵(かひご)を煮て食ひて、現に悪死の報を得る縁」と題して、こんなエピソードが記載されている。
 
孝謙天皇の御代のこと、和泉の国にしょっちゅう鳥のタマゴを見つけては煮て食べるのを習慣としている男がいた。ある日、国司の使いと名乗る兵士が訪れて、そのあとについていくと、やがて麦畑のなかに踏み込んだとたん足の下で火が燃えさかり、男は「熱いよ、熱いよ」と泣き叫びながら走りまわった。そこへ村人がやってきて助けだしたものの、男の両足の肉は焼けただれて骨がむきだしになり、翌日にはとうとう息絶えてしまった。そのあとにつぎの文章が続く。
 
「誠に知る、地獄の現にあるなりといふことを。因果を信(う)くべし。烏(からす)のおのが児を慈しびて他の児を食むがごとくにあるべからず。慈悲なきひとは、人といへども烏のごとし。涅槃経にのたまはく、『人と獣とは尊卑の差別を得たりといへども、命を宝(たふと)ぶると死を重みすると、二つはともに異なることなし云々』とのたまへり。善悪因果経にのたまはく、『今の身に鶏(とり)の子を焼き煮るひとは、死して灰河(けが)地獄に堕ちむ』とのためへるは、それこれをいふなり」
 
当時の人々はこうした教えのもとに過ごしていたのだろう。人間と動物の生命の重みになんら違いはなく、決して損なってはならない、と言うは易く、タマゴのひとつにも手をつけるな、とは行うに難い。しょせん、ひとは殺生なくしては生きられないのではないか。だからこそ、すべての衆生にみずから犯してきた過ちを悔い改めさせ、底知れぬ地獄への道行きから救済しようとすれば、僧侶たちの唱える『薬師悔過』におどろおどろしいばかりの緊迫感が漲ったのも頷けよう。
 
こうした声明が千二百年あまりの時空を超えてうたい継がれ、現代のわれわれの耳にも届いているとは考えてみれば途方もないことだ。それをどう受け止めればいいのだろう? よもや、前衛音楽に匹敵する音響のドラマとして鑑賞するだけでは済むまい。なぜなら、「鶏の子を焼き煮る」のを当たり前の日常としているわれわれは、そのぶん人間の生命についても軽んじているはずで、そこに気づいて悔い改めないかぎり灰河地獄に堕ちることを、かつて薬師寺の景戒は教えようとしたのだから。ばかばかしい、と笑い飛ばして話は終わりだろうか。それとも――。

 

狂言◎『蚊相撲』


一国の大名と
一匹の蚊の格闘劇

 もちろん、わたしに狂言師(能楽師狂言方)の品定めなどできはしないが、その若い役者を眺めるたびに、ホンモノの太郎冠者を目の当たりにしているような気分を味わう。
 
 大蔵章照(あきみつ)。700年以上の歴史を持つという能楽狂言最古の流派、大蔵流の宗家・二十五世大蔵弥右衛門の孫で、まだ15歳の高校生ながら、舞台上でのメリハリのある発声と立ち居振る舞いが実に頼もしい。また、テレビ・ラジオへの出演ばかりでなく、大蔵流の180の演目にちなんで「ももやそ(百八十)狂言」というYouTubeチャンネルを開設して笑いの古典芸能の魅力を発信し、大蔵流では同じタイトルを冠した新たな舞台公演シリーズもスタートさせた。
 
 2024年6月、その第2回公演が東京・新宿区の矢来能楽堂で開かれ、わたしも足を運んで、全5演目のうち「蚊相撲(かずもう)」「骨皮(ほねかわ)」「神鳴(かみなり)」に出演した大蔵章照の英姿をたっぷり堪能した次第。わけても印象深かった「蚊相撲」は、こんなストーリーだ。なお、引用したセリフは岩波書店の日本古典文学大系『狂言 上』(1960年)にもとづく。
 
 世間ではあまねく相撲が大流行となって、ある国の大名(小梶直人)が自分も相撲取りを召し抱えたいと考えて、太郎冠者(章照)はそのために都へ遣いに出される。そして、街道筋で行き交う人々を物色していると、いかにも立派な風采の大男(大蔵康誠)が現れて、こんなふうにひとりごちるのだった。
 
 「まかり出でたる者は、江州守山に住む蚊の精でござる。天下治まりめでたい御代でござれば、都には相撲がはやると申すによって、相撲取になって都に上り、人間に近づき、思うままに血を吸おうと存ずる。まずそろりそろりと参ろう。イヤまことに、こう参っても何とぞ抱え手があればようござるが、さりながら広い都でござるによって、誰(た)そ抱えられぬと申すことはござるまい」
 
 なるほど、確かにその顔からはストローのような口ばしが長々と伸びている。つまり、人間が虫になったフランツ・カフカの小説『変身』とは逆に、こちらは虫のほうが人間に化けたというわけらしい。
 
そうとも知らずに太郎冠者は大男に相談を持ちかけて、話がまとまるなり、意気揚々と主人のもとへ連れていった。大いに喜んだ大名は、さっそくこの相撲取りと試みに組みあってみたところ、蚊の精がすかさず口ばしを突き刺したせいで、いきなり目まいに襲われて引っ繰り返った。そして、我に返ると、江州守山が蚊の名所なのに思い至って相手の正体に気づき、太郎冠者にこんな対策を伝える。
 
 「オオそれそれ、総じて蚊というものは、風を嫌うものじゃによって、いま一番取ろうほどに、汝は精を出(だ)いてあおげ。風を嫌うたならば、疑いもない蚊の精であろうによって、まあいを見て、口ばしを引き抜いてやろう」
 
 かくして、大名と大男がふたたび組みあって、傍らから太郎冠者が扇子で風を送ると、蚊の精はすっかりうろたえて正体を現し、大名がその長い口ばしを引き抜いて撃退するというオチになる。ことほどさように、一国の大名と一匹の蚊の対決といういかにも馬鹿馬鹿しいシチュエーションを、双方のあいだに立った太郎冠者が巧みに切り盛りすることで、あたかも伊藤若冲や歌川国芳らの奇想画のような、遠近法と無縁のおかしみの世界を成り立たせてしまうのだ。
 
 いや、ことによるとそんな呑気なハナシではないのかもしれない。大蔵流の公演ではいつも、章照の実父で舞台を取り仕切る大蔵弥太郎のウィットとユーモアに富んだ解説が聞きものなのだが、このときもあらかじめ内容のあらましを説明したあとで、こんなひと言をつけ加えてみせた。
 
 「なんでも、人間をいちばん殺してきた動物は蚊なんだそうですな」
 
 この言葉は紛れもない事実だ。蚊はマラリアやジカ熱、あるいは近年話題のデング熱などの感染症を媒介することによって、21世紀のいまでも世界で毎年約78万人の生命を奪って第1位の座を占めているという(ちなみに、第2位は人間自身、第3位は蛇だとか)。そう考えれば、この狂言の大名と蚊の精の格闘はおいそれと笑い飛ばせない、カフカ作品にも匹敵する時代を超えた不条理劇のようにも見えてくるのである。

 

落語◎『寿限無』『子ほめ』『松竹梅』


横丁のご隠居さんの
意味合いとは?
 

手元に面白いCDがある。俳優の顔も持つ落語家・柳家喬太郎が『寿限無』『子ほめ』『松竹梅』を披露した独演会(2007年2月、横浜にぎわい座)のライヴ録音だ。これらの古典落語に共通するものが何か、おわかりだろうか? そう、いずれも「横丁のご隠居さん」がキイパーソンとして登場することだ。したがって、三演目をとおして、まんなかにご隠居さんがどんと居据わり、そこに長屋の住人たちが入れ替わり立ち替わり訪れては椿事を繰り広げるという、約75分間におよぶひとつながりの噺となった次第。
 
まず、はじめの『寿限無』では、熊さんがやってきて、赤ん坊が生まれてお七夜を迎えた本日、いつまでも元気で長生きするような名前をつけてほしいと頼み込む。そこで、ご隠居さんが長寿にちなんだ言葉をあれこれ列挙すると、熊さんはそれらを全部つなげて「寿限無、寿限無、五劫のすりきり、海砂利水魚の、水行末・雲行末・風来松、食う寝るところに住むところ、やぶらこうじやぶこうじ、パイポ・パイポ・パイポのシューリンガン、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの、長久命の長助」と名づけ……。
 
ついで、『子ほめ』では、八つぁんがひとさまからお酒の一杯でもおごってもらう術を尋ねたのに対して、ご隠居さんは相手の若々しさをことさら持ち上げるお世辞の作法を伝授してやる。しかし、八つぁんは往来に出るなり伊勢屋の番頭さんに用いようとしてしくじり、竹さんの住まいに押しかけ生まれたばかりの赤ん坊に向かって「おやおや、ひとつ(一歳)にしてはたいそうお若く見えます」などと褒めてしくじり……と、こちらの顛末もまた、広く知られているところだろう。
 
それにしても、あらためて考えてみると、われわれがとんと見かけることのない、この横丁のご隠居さんとは何者なのか? 評論家の小林秀雄は還暦を間近にしたころに『現代思想について』と題した学生対象の講演会(1961年8月)で、隠居という存在を論点にしている。かれは隠居を英語ではどう表現するのか気になって、専門家に尋ねたらカントリー・ジェントルマンという回答が返ってきて、それはまるで違う、どうやら隠居とは東洋ならではのあり方らしいとハナシを進めていく。そこで、「陸沈」という中国の古い言葉を引いて、もともと専制国家にあって社会から身をひそめ、もっぱら文化の保持にいそしんだ文人の生き方を指すものだとしたうえで、こんなふうに敷衍してみせる。
 
「社会から逃げるのではなく、社会のなかに沈む、街のなかに沈むんです。ジェントルマンじゃない、横丁の隠居になる。そして、世間と親しくつきあうんです。だから、隠居は馬鹿にされながら尊敬もされているんだな。世間から逃げない、天にも行かない、地獄にも行かない、だけど沈むんです。そういう意味合いがあると思うんですね」
 
柳家喬太郎の三番目の演目『松竹梅』では、横丁のご隠居さんのもとに長屋の松三郎、竹次郎、梅吉がやってくる。本日これから伊勢屋で若旦那の婚礼のお披露目が開かれるにあたって、松、竹、梅のおめでたい三人組に、祝儀をつけるための余興をやってもらいたいとの招待状が届いたとのよし。そこで、ご隠居さんは、松さん、竹さん、梅さんの順に謡の要領で「なったあ、なったあ、蛇(じゃ)になった、当家の婿殿蛇になった」「なに蛇になあられた」「長者となあられた」と口上を述べる芸の稽古をつけてやって送りだした。三人組は伊勢屋で豪勢な料理と酒が振る舞われて、いよいよ余興を行う段となったところ、松さんと竹さんはなんとかこなしたものの、結びの梅さんが「長者」を「亡者」と言い間違えて大失敗。松さん、竹さんはすっかり泡を食ってご隠居さんのもとへ取って返し、あとに残してきた梅さんのことを気づかうと、ご隠居さんが笑いながらこう告げてオチとなる。
 
「なあに、梅さんだもの、いまごろお開きになっているだろう」
 
そう言うなら、まったくの無意味。名前ばかりでなく、おつむのほうも少々おめでたい三人組に愚にもつかぬ余興芸をやらせて、失敗したとてだれひとり痛くも痒くもないことを見越して、あっけらかんと笑い飛ばしてみせる。そこになんら建設的な意味はないにせよ、とかくギスギスと摩擦が生じがちな世間にとってはひと滴の潤滑油となり、昨日から今日、明日へと向かう時の流れに棹を差すぐらいの役には立つはずだ。無意味の意味。それが小林秀雄の論じた「隠居の意味合い」であり、いまの日本の高齢化社会において最も欠けているものでもあるだろう、とわたしは考えている。

人形浄瑠璃◎文楽『曽根崎心中』


そなたとともに
一緒に死ぬるこの嬉しさ
 
 
今年(2026年)3月、人形浄瑠璃 文楽『曽根崎心中』を初めて鑑賞するチャンスが訪れた。文楽協会の全国巡業が東京・府中市の「府中の森芸術劇場」で、近松門左衛門没後300年の記念として、重要無形文化財保持者の人形遣いの吉田和生、吉田玉男らによる公演を行ったのだ。
 
この有名な作品は、近松が50歳の年、元禄16年(1703年)に大坂の外れの曽根崎村の天神の森で実際に起きた情死事件をテーマに、わずかひと月後に舞台にかけて大評判を取ったそうだから、当時にあってテレビのワイドショー番組のような位置づけだったのだろう。しかし、間もなく原作どおりの上演が絶えてしまい、昭和30年(1955年)に新たな脚色のもとでようやく復活した。というのも、この作品の出現で世間に心中事件が頻発したために幕府が厳重に禁じたせいとされているのだが、わたしはかねて不思議だった。いくらメディアがかぎられていた時代にせよ、しょせん人形の芝居にそこまで人々を突き動かすパワーがあるものだろうか? それを自分の耳目で確かめたいと思ったのである。
 
こんなストーリーだ。
 
醤油屋の手代・徳兵衛は、堂島新地の天満屋の遊女・お初と深く惚れあっていた。そうしたところ、伯父でもある店の主人が徳兵衛に目をかけて家つき娘との縁談を進め、かれの知らないうちに実家の義母へ金品を贈ったあとで、徳兵衛がお初との仲を理由に断ったものだから、主人は激怒してクビを申し渡すとともに結納のカネの返済を迫った。そこで、徳兵衛は強欲な義母から強引にカネを取り戻しはしたが、それを主人に届ける道すがら、今度は友人の油屋九平次と出会って臨時の借金を頼み込まれ、まだ返済期限まで猶予があったので証文と引き換えに貸してしまう。しかし、肝心の期限がやってきても九平次はカネを返さないばかりか、徳兵衛が示した証文を偽造と告発して逆に犯罪者に仕立てあげる始末。八方塞がりとなった徳兵衛は天満屋のお初のもとにいったん匿われたものの、もはや身の置きどころもなく、ふたりは手に手を取って死出の旅に発つことに……。
 
こうして筋を辿っていくと、だれでも首を傾げたくなるのではないだろうか? ことの発端となった醤油屋の主人による家つき娘との縁談も、当たり前に考えれば将来の跡取りを約束する思いやりにもとづくもので、それを遊女との仲を理由にあっさり蹴飛ばしてしまうとは忘恩の誹りを免れず、主人が激怒したのも当然だろう。また、自分のものではなく主人に返済すべきカネを、いくら友人とはいえ他人にあっさり用立てたのも非常識きわまりなく、その油屋九平次が証文を偽造と主張したときに周囲が鵜呑みにしたのもむべなるかな。そもそもが、商家の手代の立場で遊女と結ばれたいと願うこと自体に非常な無理があるといわざるをえないだろう。
 
つまり、ここに描きだされたのは、テレビのワイドショー番組のような第三者が見た現実ではなく、あくまで徳兵衛とお初の身勝手な目に映った心象風景とでもいうべきものだったろう。ことによったら、実際の醤油屋の主人は気立てのいい好々爺なのかもしれず、実家の義母や油屋九平次とのあいだもなんらかの行き違いで、徳兵衛が返済のカネを用意できないことの言い訳だったのかもしれない。そんなかれらをことごとく邪悪に塗りつぶすことによって、ふたりの純粋さが際立ち、それが人形によって演じられることで、あたかも依り代のように観客は自己を容易に投影できた。だからこそ、たちまち広汎な評判を呼ぶと同時に、世間の迷える男女の心中事件を惹起させたのだろう。
 
ふたりは深夜に行き着いた天神の森で、ふたつの人魂が連れ添って飛ぶありさまに自分たちの姿を見て取って抱きあう。そして、お初は涙ながら静かに語りかけ、徳兵衛は喜びを露わにして応えるのだ。
 
「ほんに思へば昨日まで、今年の心中善し悪しをよそに言ひしが、今日よりはお前もわしも噂の数。誠に今年はこなさんも二十五歳の厄の年、わしも十九の厄年とて、思ひ合ふたる厄祟(やくだた)り、縁の深さの印かや。未来は一つ蓮(はちす)ぞ」
「いつはさもあれこの夜半(よわ)は、せめてしばしは長からで、心も夏の短夜(みじかよ)の、明けなばそなたともろともに浮名の種の草双紙。笑はゞ笑へ口さがを、なに憎まうぞ悔やまうぞ。人には知らじわが心。望みの通りそなたとともに一緒に死ぬるこの嬉しさ。冥途にござる父母にそなたを逢はせ嫁姑、必ず添ふ」
 
この自己陶酔に沈んだ人形たちの対話を前にして、わたしはわなわなと背筋が震えだすのを止められなかった。そこには紛れもなく甘美な死への誘惑があったからだ。徳兵衛がついに手にする脇差……。近松門左衛門が世を去って300年が経ったいまなお、『曽根崎心中』は危険を秘めているようなのである。


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