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30年越しにつながった沖縄の記憶~6/23「慰霊の日」に寄せて~

GWに普段から仲良くさせてもらっている中学時代の恩師と会いました。
(もう、30年以上の付き合いです)
川崎で開催された「はいさいFESTA」へGO!
オリオンビールとソーキそばでスタートし、もずくを買い、沖縄ぜんざいを食べ、沖縄ムードを満喫します。

沖縄ぜんざい、初めて食べました!

「6/23は沖縄の終戦記念日なのに、みんな知らないのよね・・・」
会場を周りながら、恩師がふと呟きました。

そう。6/23は、沖縄にとっての終戦記念日「慰霊の日」です。

確かに自分もニュースで観ても、あまり気にしたことがなかったな・・・

毎年「沖縄全戦没者追悼式」が行われる、平和記念公園(イメージ)

ちょっとレア体験だった沖縄デビュー

30年ほど前、オトナになってからこの恩師と訪れたのが、私の初・沖縄旅でした。
(メンバーは他に、恩師の妹さんと姪御さんという不思議な組み合わせ笑)

「沖縄」と聞いてイメージするのは、“青い海、青い空の下のリゾート”でしょう。

「沖縄=リゾート!」ってこんな感じですよね(イメージ)

ところが、私の初沖縄は・・・
■ハンセン病療養施設に宿泊し、そこのおじい・おばあたちに会う
■ガマ(戦時中の避難壕)の見学

がメインの旅でした。(観光もしましたよ)

ハンセン病についてほとんど知らなかった当時の私。
「偏見差別にさらされ、故郷を追われ隔離され、生涯をここで過ごす人たちがいる」
その事実に衝撃を受けたことを覚えています。
どう接していいものか、最初すごく戸惑ったことも・・・

でも、一緒に過ごしてみると、そこにいたのは「ハンセン病療養所の入所者」ではなく、自分の祖父母と変わらないおじい・おばあたちでした。

戦後、治療薬の登場によりハンセン病は治る病気になりました。
でも、1996年の「らい予防法」廃止まで、強制隔離は続いていたのです。
法律が廃止されても、すでに帰るところはない・・・

そしてガマ見学。(あれはどこのガマだったのかなぁ・・・)
ガマの内部にはヘルメットや生活道具など「避難した人々がここで過ごしていた痕跡」が残されていました。
教科書でしか知らなかった「日本で行われた戦争」です。

沖縄陸軍病院本部壕跡(イメージ)

こんな感じで、ちょっと(かなり?)異色の沖縄デビューになりましたが、今思い返すと、とても良い経験をさせてもらったな、と思います。
自然が美しく、楽しいだけではない沖縄の姿を知ることができたのですから。


30年越しにつながる記憶

当時は「マジメな沖縄体験をしたな」くらいに思っていたこの旅ですが、難民支援に関わり始めた今、あの時の出会いがまた少し違ったカタチで思い出されます。

ハンセン病で隔離された人と、紛争などで国を追われた人。
「帰りたくても帰れない」というところに共通点があるな・・・と。
全く違う話のようで、その根っこにある“望郷の想い”は似ているのかもしれません。
そして、ラベルを外してみれば、そこにいるのは自分と同じように笑い、悩み、故郷を想う一人ひとりの人間なのだということも。

そう考えると、難民と呼ばれる人たちのことが、少し身近に思えてきます。
30年前の私は、まさか沖縄で出会った人たちの記憶が、難民支援に関わる今の自分と繋がるとは思ってもいませんでしたが・・・

人生って、どこで何が繋がるか分かりませんね。
恩師の何気ない一言をきっかけに、30年前の沖縄旅を思い出しました。
沖縄では今年も追悼式が行われます。
私も、いつもとは少し違った気持ちでニュースを観ていそうです。


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