生きる
とってもストレートなタイトル。
永遠のテーマでもあるし答えがないテーマでもある。
最近のわたしはこの「生きる」について真摯に向き合う機会がたくさんやってくる。
その一つとしてあったことがホロトロピックの体験。
ホロトロピックとは、ブレスワークの一つで深く速い呼吸を行うことで、深い意識へアクセスする。というワーク。
なのだけど、今回わたしが体験したことはそんな概要や説明では分かりきれない、とにかく体験してみないとわからないものでした。
自分の記録のためにも。うまく言葉に、文字になかなかできないのだけれど書いて残してみようと思う。
このワークでわたしがみた世界。
それは死と生の狭間でした。
大きなスピーカーからズンズンと心地よいリズムに合わせて流れてくる音楽と共に深く速い呼吸を行なっていく。
呼吸を始めて行くと割とすぐに(多分。この時点でもう時間の感覚がなくなっている)
ブレスワークで起こるアレ(手の小指側から腕にかけての痺れ、横隔膜の硬直)がすぐに始まった。
横隔膜が硬直することで上手く呼吸ができない感じがあるが、とにかく続けていく。
ワークに入る前に教えてもらったこと。
“Keep breathing until happening”
とにかく自分の身体を信じて呼吸を続けていく。横隔膜の硬直がどんどん強くなっていって呼吸がどんどん苦しくなる。
苦しくなると指の痺れも強くなっていく。
どのくらいその状態が続いたのか。。。
そうしたらあるビジョンが見えてきて。
横隔膜の硬直は、誰かがわたしを後ろから抱えている手で締め付けられているものだった。
プロレスのバックドロップされる前。みたいな。文字で説明難しい。。。
でも、それはこれからバックドロップされるのではなく、わたしが命を断とうと崖っぷちに立っていて、それを誰かが後ろから抱えて止めていた。
止めている人は最初は誰かわからなかった。(後で父とわかる)
そして、その止めている人はとても穏やかに笑っていた。
わたしが死のうしているのを止めてはいるのだけれど「どっちでもいいよ」と微笑んでいた。どっちでもいい、というのは「生きるも死ぬも一緒だから。境界線はあるようでないんだよ。だからどっちを選択しても良い。けれどまだあなたはここでまだやることがあるんじゃないの?だからこうして抱えて止めている」
と言われた。
そう言われたわたしは今までぎゅっと掴んでいた拘りや思い込みが解けたような気がして声を上げて泣いた。「憚らず」とはこのことで、ここではそうしても良いという安心感のもと大号泣した。
しばらくしたら少し落ちついてきて。
次に見えたのは赤ちゃんの顔。誰かが産まれた。誰かはわからないけど、一つの生命が誕生した。そしたら、幽体離脱のようにわたしの身体からわたしがふわ〜っと抜け出して、横になっているわたしと向き合っていた。
抜け出したわたしはとても美しく笑っていた。
ほんとうにどっちでもいい。生きるも死ぬも一緒。
どちらにいてもわたしであることには変わりがない。
だからその恐れを手放そう。という笑顔だった。
3時間のワーク最後の方は寝ていたのか。
それもわからない。
音楽が止まって「あ、終わったんだ」とゆっくり目を開けると隣でシッター(呼吸を見守る役の人)がニッコリと微笑んでこちらを見ていて、女神のようだった。
その安心感から「あの」意識の世界からこちらへ無事帰還できたんだと認識した。
感謝の気持ちが溢れてきて、また涙が止まらなかった。
冒頭で「生きる」ということに向き合う機会が多い。
と書いた。今、わたしの現実世界で起こっていることと、今回みた世界がものすごくリンクしていた。
わたし自身今、命を断ちたい。や、そんなことに直面しているわけではない。
けれど、もう何もかもをやめて終わりにしてしまいたい衝動にも似たような感覚が時々起こる。
そんな時に、わたしが見た“あの”世界を思い出すことにしよう。
生と死には境界線がなかった。
その中でやっぱり生きていく。
KOU
