読み手は自由だ!と大の字で寝転がってみる
私は、会社で人事部門にいる。
色々な研修を行う側の部門にいるし、
自分もいくつか担当していたりする。
もちろん、ちゃんと「目的」を掲げる。
受講側も、
「なるほど。それが目的ね。」と思って受けている
(と、思う)
ただ、その後の行動変容は、人によるし、
何より、受け取り方も違うのだ。
そりゃそうか。生きてきた経験が違う、受けてきた教育が違う、見てきたものが違う。
前提がみんな違うんだから、受け取り方も違って当たり前なのか。
最近やっとそんなことに気づいた。
(おそっ!!)
だとしたら、どうすればいいんだろう。
ちゃんと目的も告げている。例えば一流の講師を招いても、受け取り方はバラバラだ。困った。
いっそ頭をスパンと切って、(こわっ!)
直接脳みそに書き込む以外方法はないのか。
でも、だからこそ、いつだって、
問いを立ててほしいんだ
ってことに気づいた。
研修で何度も自分が言ってきた、
「それって本当?」という言葉。
自分で言っておきながら、本当の意味がやっとわかったような気がする。
受け取り手によって解釈が違うからこそ、
それぞれが、それってほんとかな?違う見方はないかな?どうしたらできるかな?って
問いをたててほしいのだ。
正解、不正解がないとすれば、そこから初めて対話が動き出す。
それが、研修の本質なのかもしれない。
この、受け取り方は自由だ!!という、ある種こちらではどうしようもない所にも似た境地は、私がnoteを書く意味にも通じているのかもしれない。
もちろん、書くのは大好きだ。
キーボードと携帯さえあれば、どこでも書ける。
どんな記事もどんな風に受け取るかは、
受け手の自由だ!自由だー!!って昔はやったな。そう。自由なんだ。
だから、こんな事を伝えたいな、とか、
こんな事思ったよ、という記事を読んでもらって、後は、どうぞ!好きにしてください!
と、私は大の字で寝転がるしかないのだ。
書くとは、そう言う事なのかもしれない、って。
そう思うと、私は、問いを提供する、お役目でここにいるのかもしれない。
という風に、今の「私と書く」を考えてみた。
どう思います?
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シランガナ!
と、第一声に思った人何人いるか、知りたいです。笑
Yuki
今日も私の記事を読んでくださりありがとうございました。
