ミスフィット・クルー —貨物船で宇宙を駆ける— 第二期 凡虚零「リングワールドふたたび/らりー・ニーヴン」
ミスフィット・クルー —貨物船で宇宙を駆ける— 第二期
第8.99章:リングワールドふたたび(Ringworld Revisited)
[パラレルワールドID: RW-2024-Ω-7741]
開幕:星間航路の果てに
ヘキサ・グラハムは、三度目の乗り換えとなるグランド・ターミナル宇宙港で、自分の荷物がたった一つの擦り切れたスーツケースだけになっていることを確認した。
「ふうん、身軽になったものね」
元惑星連合調査官の光る身分証は、もはや彼女の懐にはない。正確には、辞表を叩きつけた時に上司の机に投げつけてしまったのだが、あの時の爽快感は今でも鮮明に思い出せる。デスクに突き刺さって光った時の上司の顔といったら。
代わりに握りしめているのは、安っぽいプラスチック製の三等船室チケット。行き先表示には「リングワールド・セクター不明」と印字されている。
「あそこに、確か置いてきたのよね......」
彼女がぼんやりと呟いたのは、愛機ミスフィット・クルー号のことだった。だが、重大な問題がある。リングワールドは直径3億キロ。地表面積にして地球の300万倍という、人間の想像力を超えた巨大人工世界だ。
「えーっと、確か......日の出方向に向かって......」ヘキサは頭を抱えた。「いや、待って。リングワールドって日の出ってあるのかしら?」
背後で待機中の乗客たちがざわめき始めた。彼女が搭乗ゲートを塞いでいるからだ。
「あ、ごめんなさい」
慌てて乗船すると、客室乗務員が機械的な笑顔で出迎えた。
「三等船室はこちらです。到着まで約72時間。お食事はナルコレプシー誘発率0.3%以下の栄養ペーストをご用意しております」
72時間。ヘキサは小さなシートに体を沈めながら考えた。その間に、自分が一体何をしにリングワールドに向かっているのか、もう一度整理してみよう。
惑星連合調査官を辞めた理由は単純だった。お役所仕事にうんざりしたから。書類の山、形式的な会議、そして何より「規則だから」で片付けられる不条理な決定の数々。
でも、一番の理由は別にあった。
自由が欲しかったのだ。
リングワールド到着:スケールの絶望
転送ポッドから宇宙港のターミナルに降り立った瞬間、ヘキサは空を見上げて息が止まった。
空が、アーチを描いていた。
地平線の向こうで大地が上に向かってカーブし、空の向こう側に別の大地が見える。昼と夜が同時に存在し、雲が時として「上」に流れているように見える。重力の方向感覚が微妙におかしくなる。
「あー、そうそう。これよこれ。思い出した」
リングワールド特有の視覚的混乱。人工的に作られた重力場と、常識を超えた建造物のスケール。だが、懐かしいと同時に、肝心なことは全く思い出せない。
ミスフィット・クルー号を、いったいどこに停めたのか。
リングワールドのターミナルで配布された観光マップを受け取ってみる。係員は親切にも「初回訪問者用簡略版」と説明してくれたが、それでも巻物状になっており、広げると彼女の身長の十倍はある。
「縮尺1:100万って......」
ヘキサは根気よく巻物を手繰りながら、自分がいる場所を探した。現在地は「セクション1,447,328-B サブ区画 γ-7729」。なるほど、ここから船を停めた場所まで......
「あれ?どこだっけ?」
巻物の端から端まで見ても、記憶に残っている風景に似た場所が見つからない。というより、どの場所も似たように見える。古代遺跡、転送ポイント、居住区、工業地帯。同じパターンが延々と繰り返されている。
「これは......参ったわね」
パペティア人との運命的再会
「お困りのようですね、危険です」
突然の声に振り返ると、そこには見覚えのある生物がいた。馬ほどの大きさの胴体に、首が二本。それぞれの首の先端には、一つ目と一つ口がついている。体毛は薄茶色で、所々に複雑な幾何学模様が刻まれている。
パペティア人だった。
「危険です、危険です」二つの首が交互に言葉を発した。「そのような巨大なマップを一人で扱うのは大変危険です。紙で手を切る可能性が0.3%、巻物に絡まって転倒する確率が1.2%、重要な情報を見落とす危険性は89.7%です」
「あ、あなたは......」
「フィアフル・オブ・エヴリシングと申します」左の首が丁寧に言った。「直訳すると『恐怖症全般』という意味ですが、これは大変不正確な翻訳で、正確には『あらゆる潜在的危険要因に対する適切な警戒心を持つ者』という意味で......」
「長い」ヘキサが苦笑した。
「危険です、名前を短縮するのは」右の首が続けた。「誤解を招く可能性が67.8%です」
典型的なパペティア人だ。宇宙でもっとも慎重で、もっとも平和的で、そしてもっとも心配性の種族。彼らは常に最悪の事態を想定し、あらゆる行動の危険性を数値化して考える。
「で、あなたはここで何を?」
「観光案内業を営んでおります」左の首が答えた。「大変危険な職業ですが、やむを得ない事情により......」
「観光案内?」ヘキサは驚いた。「パペティア人が?」
これは異常事態だった。パペティア人は普通、安全が完全に保証された場所以外には近づかない。リングワールドのような、謎だらけの古代人工世界で観光案内をするなど、彼らの種族的特性からすれば自殺行為に等しい。
「実は、お客様」右の首が恐る恐る言った。「以前にお会いしたことがあるのではないでしょうか。大変危険な推測ですが、確率的には......」
「あ!」
記憶が蘇った。三年前、グラク星系の宇宙ステーションで、海賊に追われていたパペティア人の商船を救った事件。あの時の......
「恐怖症全般さん?」
「危険です、そのような略称は」左の首が震えた。「しかし、確かに私です。あの時は大変お世話になりました。おかげで私の生存確率が0.001%から99.97%に改善されました」
恩返しの申し出
「それで、どちらに行かれるのでしょうか?」フィアフルの両方の首が心配そうに揺れた。「危険です、リングワールドで迷子になるのは。迷子になった場合、発見される確率は0.000000001%以下で、これは宇宙のどこかにある特定の原子を探すよりも困難で......」
「実は、船を探してるの」ヘキサが説明した。「ミスフィット・クルー号っていう、ちょっと変わった形の......」
「危険です」フィアフルの二つの首が同時に激しく震えた。「その船は大変危険です。確認済み危険要素が147項目、未確認潜在的危険要素が推定892項目。特に船内のコンピューター『マックス』は、皮肉発言率が通常AI基準の4,000%を超えており......」
「知ってるの?」ヘキサの目が輝いた。「船のこと?」
「危険です、知らないと申し上げるのは」右の首が慎重に答えた。「嘘をつく確率を計算するのは危険すぎます。はい、存じております。現在、セクション890,445-Cの古代遺跡群付近に停泊中です」
「本当?案内してくれる?」
「危険です......」両方の首が同時に悩ましげに揺れた。「しかし、恩義というものがございます。お助けいただいた恩を返さないのは、私の精神の安定に0.7%の悪影響を与える可能性があります」
フィアフルは長い間計算しているような仕草を見せてから、決意を固めた。
「お引き受けいたします。ただし、危険要素の事前計算と安全対策は必須とさせていただきます」
リングワールド横断の旅
フィアフルの案内で、二人は転送装置を使ってリングワールドを移動することになった。
「危険です、転送装置は」左の首が説明した。「分子レベルで分解されて再構成される際の誤差率が0.000001%存在します。これは千万回に一回、つま先の爪の分子配列が微妙に変化する可能性を意味しており......」
「でも乗るのよね?」ヘキサが確認した。
「危険です、乗らないと申し上げるのは」右の首が続けた。「あなたを徒歩で案内した場合、到着まで推定237年かかります。その間の事故確率は......計算したくありません」
転送装置は古代ビルダー種族の技術で、原理は全く理解されていない。それでも何百万年も正常に稼働し続けている。転送ポッドに乗り込むと、空間がゆらめき、瞬時に別の場所に移動する。
転送中のエネルギーフィールドの中で、ヘキサが尋ねた。「ところで、なんでパペティア人のあなたが、こんな危険な場所でガイド業を?」
「危険です、その質問は......」フィアフルが躊躇した。「しかし、お答えしましょう。実は、逃避です」
「逃避?」
「母星での結婚のお見合いから」両方の首が同時に垂れた。「相手の女性が大変......積極的で。私の安全確保レベルを大幅に下回る行動パターンを示しており......」
「あー」
ヘキサは理解した。パペティア人の求婚行動は、種族の中でも特に慎重かつ複雑で知られている。相手の安全性、遺伝的適合性、生活環境の危険度などを数年かけて分析してから交際を開始するのが普通だ。おそらく、フィアフルにとって恋愛の方が、リングワールドの未知の危険よりもさらに恐ろしいのだろう。
「『危険を避けて別の危険に飛び込む』ってやつね」
「まさにその通りです。計算によれば、リングワールドでガイド業をする総合危険度は、強引な求婚を受ける危険度より14.3%低いという結果が......」
転送が完了し、二人は古代遺跡群のある地域に到着した。
古代遺跡群の驚異
目の前に広がっていたのは、人間の理解を超えた光景だった。
巨大な金属構造物が、理解できない幾何学的パターンで空中に浮遊している。明らかに重力制御技術が使われているが、建造から何百万年も経っているにも関わらず、まったく劣化していない。
構造物の表面は鏡のように滑らかで、リングワールドの湾曲した地平線を反射している。所々に光の筋が走り、規則的なパルスを発している。何かのエネルギー伝達システムなのだろうが、その原理は全く分からない。
「危険です、これらの遺跡は」フィアフルが両方の首を振った。「解析不能な技術が127種類確認されており、未知のエネルギー放射が17種類、そして......」
だが、ヘキサの注意は別のところに向いていた。
遺跡群の影に、見覚えのあるシルエット。角ばった船体、非対称な推進器配置、そして特徴的な貨物ベイの膨らみ。
「あった!」
ミスフィット・クルー号。確かにそこにあった。やや錆びているようにも見えるが、これはデザインの一部なので問題ない。船体には宇宙塵が積もっているが、構造的損傷は見当たらない。
「危険です、あの船に近づくのは」フィアフルが警告した。「特に船載AIのマックスは、予期しない行動パターンを示す確率が......」
だが、ヘキサは既に走り出していた。
ミスフィット・クルー号との再会
船のハッチが認識センサーに反応して開くと、懐かしい声が船内から響いた。
『ヘキサ!なんで今頃戻ってきたんだよ!俺がどれだけ退屈だったか分かってるのか?』
「マックス!元気だった?」
『元気って何だよ、俺はコンピューターだぞ!......まあ、でも』声のトーンが少し柔らかくなった。『寂しかったかな』
ヘキサは笑顔になった。相変わらずのマックスだ。
『それより、なんでパペティア人なんか連れてきてるんだ?まさか今度の乗組員か?』
フィアフルが恐る恐る船に近づいてくる。
「危険です、AI同士の初対面は。文化的誤解が生じる確率が......」
『心配しなくていいよ』マックスの声が船外スピーカーから聞こえた。『俺はちゃんと理性的だ。ただし、ヘキサが一人でリングワールドを放浪してる間、ちょっとだけ性格が変化したかもしれないけど』
「変化って?」ヘキサが心配そうに尋ねた。
『皮肉の精度が向上した』
「それは心配ね」
フィアフルが両方の首を震わせた。「危険です、AIの性格変化は。予期しない行動パターンを示す可能性が......」
『大丈夫だって。ちゃんと安全運転するから。たぶん』
船内再探索
船内に入ると、全てがヘキサの記憶通りだった。散らかったコントロールパネル、使いかけのコーヒーカップ(中身は既に未知の生命体に進化していたが)、読みかけの本。
操縦席に座ると、体に馴染んだ感触が蘇った。
「やっぱりここが一番落ち着くわ」
『それで』マックスが尋ねた。『なんで戻ってきたんだ?惑星連合の調査官として、何か新しい任務でも?』
「惑星連合、辞めたの」
『......マジで?』
「マジで。うんざりしたのよ、お役所仕事に」
『そりゃまた急だな。それで、これからどうするんだ?』
ヘキサは少し考えてから答えた。「自由になりたかったの。規則に縛られない、本当の冒険がしたくて」
フィアフルが船内を恐る恐る見回している。
「危険です、この船内環境は。安全基準を満たしていない要素が......」数え始めて、途中で諦めた。「数えきれません」
『でも居心地はいいだろ?』マックスが言った。
「確かに、危険でありながら奇妙な安心感があります。計算では説明できませんが......」
新たな冒険への決意
ヘキサは操縦席で窓の外を見た。リングワールドの無限に広がる地平線。湾曲した空に浮かぶ雲。遠くに見える他の古代遺跡群。
「リングワールドには、まだ秘密がたくさんありそうね」
『危険な考えだ』マックスが言った。『でも、退屈よりはマシだな』
フィアフルが慌てた。「危険です、その発想は!新たな冒険を始める確率が97.3%に達しています!」
「冒険、いいじゃない」ヘキサが振り返った。「フィアフル、一緒に来ない?」
「危険です!」両方の首が同時に叫んだ。「しかし......」
計算している様子を見せてから、小声で言った。
「計算によれば、あなた方と共に行動した場合の総合的安全性は、母星での結婚生活より14.7%高くなります」
『新しいクルーの誕生だな』マックスが言った。『歓迎するよ、心配性君』
「フィアフルです。略称は危険です」
「よろしく、フィアフル」ヘキサが手を差し出した。
フィアフルは慎重に片方の首を近づけて、人間の握手に相当する挨拶をした。
「よろしくお願いします。ただし、危険要素の事前計算は必須とさせていただきます」
新たな船出
ミスフィット・クルー号が古代遺跡を離れる時、三人(と一つのAI)は新たな冒険への期待に胸を膨らませていた。
「さあて、どこに行こうか?」ヘキサが操縦桿を握った。
「危険です、行き先を決めずに出発するのは」フィアフルが言ったが、その声には以前ほどの切迫感がなかった。
『でも面白そうだぜ』マックスが言った。『久しぶりの冒険だ』
「面白そうね」ヘキサが同意した。
リングワールドの青い空の下、ミスフィット・クルー号は新たな冒険に向けて飛び立った。窓から見えるリングワールドの壮大な光景は、無限の可能性を暗示していた。
そしてこれが、後に「ミスフィット・クルー第二期」と呼ばれることになる冒険の、真の始まりだった。
フィアフルという新たな仲間を得て、彼らの旅は新しい段階に入ったのである。
[第8.99章完]
ヘッダ画像生成プロンプト
A magnificent ringworld stretching across the cosmos, with its curved surface disappearing into the distance. Ancient floating ruins hover mysteriously above the landscape, displaying impossible geometries with smooth metallic surfaces reflecting the curved horizon. In the foreground, a weathered but sturdy cargo spacecraft with asymmetrical engines sits near the ancient structures. A human woman with determined expression stands beside a two-headed alien creature (Puppeteer) with horse-like body and tan fur. The scene bathes in the ethereal blue light of the artificial world's sky, where clouds drift in impossible directions due to the megastructure's scale. Space opera aesthetic with dramatic lighting emphasizing the vast scale and wonder of this ancient engineered world. Style: Epic space opera with sense of mystery and adventure.
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