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【Face to Face】鉄路の未来へ(廃から発へ)

世の中の発展のために造られてきた鉄道も時代の進展とともに廃線を迎えるが、廃線後の鉄路を歩くという新たな発展を目ざすこともできる。

October 2025

 暑い日が続いていましたが、やっと朝晩は気温が下がり涼しくなってきました。やっと秋という季節を楽しむという雰囲気になってきたと思います。しかし、天候の変化は激しさを増しているようにも感じます。関東地区では日が照りつけて猛暑であっても、九州地区や東北地区では豪雨で川の氾濫が起こっています。関東地区でも地域によっては局所的な豪雨となり、道路が冠水するという事態になっています。例年、この時期は台風による雨や風で被害を受けることが多いと思います。しかし、今年は台風が日本へ上陸しなくても、局所的に線状降水帯が発生して突然雨が激しくなったり、寒暖差がある気流がぶつかり竜巻のようなものが発生したりしています。地下の駐車場が完全に水没したり、強風で建物が吹き飛ばされたりという被害も発生しています。地球温暖化の影響が、いろいろな気候の変化を発生させているようです。例年であれば、夏が終わり穏やかな気候になり、紅葉の時期になっているはずですが、気温が下がらない影響で木々の葉はそれほど色づいていません。もうしばらく、緑の葉があふれている景色を楽しむことになると思います。

●懐かしの信越本線新線

 そのような緑あふれた景色を楽しむ訳ではないのですが、群馬県と長野県の県境にある碓氷峠へ出向いてみました。JRの電車に乗っている時に、電車のトレインチャンネルで流されていた映像に「廃線ウォーク信越本線下り線踏破」「廃線ウォーク信越本線上り線踏破」というものがありました。ここで言う廃線となった路線とは、長野新幹線(現在の北陸新幹線)が開通する前に走っていた信越本線新線の横川〜軽井沢区間、通称碓氷線のことです。私が大学受験、就職活動や就職が決まったことでの上京などで利用した路線でした。特急電車でも機関車を連結しなくては、走行が不可能であった区間です。機関車を特急電車へ連結する間に、横川の峠の釜めしを買ったことを思い出します。その懐かしい路線は1997(平成9)年9月30日に最終運行となって廃線となりました。廃線ウォークは、この路線を歩き切るというイベントでした。廃線から28年が経過し懐かしさもあり、土曜日に上り線、日曜日に下り線を歩くという日程をみつけ、申し込みました。私がこの路線について記憶しているのは、特急電車は機関車を連結しないと無事走行できないということぐらいでしたが、この路線には日本の近代化に重要な歴史が刻まれているようです。イベントのガイドさんの話やネットで調べた情報から、少しその歴史を説明していきたいと思います。

●急勾配克服の「アプト式」走行

 この路線を信越本線新線と述べましたが、敢えて「新線」と言っているのは「旧線」があったということです。1893(明治26)年に開業した横川〜軽井沢区間の最初の路線が「旧線」であり、碓氷峠を越えることから碓氷線と呼ばれました。この路線の開通は、当時、既に開通していた高崎〜横川区間と軽井沢〜直江津(新潟県)区間を繋ぐことで、北陸方面と首都圏を結ぶ重要な路線になりました。当時最大の輸出商品であった生糸を長野県・群馬県から東京や横浜の港まで大量に輸送することが可能になり、日本経済の発展に大きく貢献しました。この横川〜軽井沢区間の開通が取り残されていたのは、碓氷峠が交通の難所であったからです。当時の技術では克服ができない急勾配であったことが理由です。因みに碓氷峠の勾配は66.7パーミルあり、日本一の急勾配として有名です。 66.7パーミルとは、水平距離1000mに対し66.7mの垂直距離を上る勾配のことで、12両編成の特急「あさま」がこの傾斜を走行した場合、 先頭と最後尾でほぼ5階建てビルに相当する16mの高度差を生じることになるそうです。そして、この急勾配を登るために「アプト式」と呼ばれる特殊な鉄道システムが採用されたそうです。これは、通常の車輪の他に、レールの中央に敷かれたノコギリ型のラックレールとそれに噛み合う歯車を機関車側で持つことで、急な坂道を力強く登り降りできる画期的な技術でした。当初は蒸気機関車でこの技術を採用していましたが、トンネルが多いこの路線では煙による問題が発生したため、日本の山岳幹線としては一番早く電化が行われ、電気機関車による「アプト式」走行が行われました。電化が図られたものの、当時の日本経済の急速な発展に伴う輸送量の増大に対応するまでの高速化は実現しませんでした。

碓氷峠鉄道文化むらにあるラックレールと実際の66.7パーミルの勾配とそれを示す表示
ラックレールに噛み合う歯車を持った電気機関車ED42(碓氷峠鉄道文化むらにて)
ED42の車体の下には歯車が存在する(碓氷峠鉄道文化むらにて)

●旧線の終焉と新線のその後

 それで「アプト式」とは異なる方法の検討が行われました。当時は車両性能の向上に努めていて、特に急勾配における粘着性を向上させる走行に関しては、格段の進歩をとげていました。この性能に注目して、現在の路線に沿って今までと同じ勾配の新たな路線を建設することになりました。この新たな路線が信越線本線新線になります。路線の建設にあたっては、まず軽井沢から横川へ向かう上り線を建設し、その後に横川から軽井沢への下り線を建設するというものでした。上り線は、ほぼ旧線に沿って建設されました。しかし、開業の予定日までには多くの急勾配対応を施した新型電気機関車の製造が間に合いませんでした。従って開業時は、アプト式の旧線との並行運用になったそうです。当時関係された方々は、改めて66.7パーミルという急勾配の厳しさを思い知らされたそうです。ブレーキの改良や台枠や連結器の強化を図り、1963(昭和38)年9月30日に新線経由で全線が切り替わり、アプト式の旧線は役目を終えました。

新型電気機関車として製造されたEF63と特急「あさま」(碓氷峠鉄道文化むらにて)

下り線はアプト式の旧線を改良して建設を進めることになっていましたが、軽井沢から中間地点の熊ノ平まではアプト式旧線を利用して改築されたものの、熊ノ平から横川の区間は旧線を利用せず、新線の上り線に並行して新設されました。下り線が開通したことにより、横川〜軽井沢区間は大幅な時間短縮が図られ、輸送力も飛躍的に増大しました。この時点で信越本線新線の複線化が完了しました。そのような苦労を重ねて開業した信越本線新線ですが、道路整備による自動車輸送の進展と鉄道の高速化、特に長野新幹線(現在の北陸新幹線)の開業の影響は大きく、1997(平成9)年9月30日に廃線となりました。

●アプトの道と廃線ウォーク

 信越本線旧線は、軽井沢から熊ノ平の間の線路や隧道(トンネル)などを改良し新線として活用されましたが、熊ノ平から横川の間は活用されず、現在は「アプトの道」として遊歩道になっています。この「アプトの道」には電化のために造られた丸山変電所や6つの橋梁、10の隧道があり、国指定の重要文化財になっています。その中でも通称「めがね橋」として親しまれている「碓氷第三橋梁」はアプトの道のシンボルとして有名です。今回参加した廃線ウォークは、信越本線新線を歩くイベントでした。従って、アプトの道の一部は歩きますが、ほとんどは線路がそのまま残る鉄路の上を歩きました。整備が行われている「アプトの道」とは違い、自然のままの廃線を活かしたウォーキングルートになっています。安中市観光機構横川オフィスの方々が廃線を楽しめるように、自然の環境を活かして整備されています。それでも台風や大雨により土砂崩れが起こり、廃線の鉄路を埋め尽くすこともあるそうです。いろいろな工夫をして、廃線ウォークを楽しめるように対応されていることに感謝です。

電化のために造られた丸山変電所

☆廃線ウォーク〜信越本線上り線踏破〜(軽井沢⇒横川)

上り線の出発地点の旧軽井沢駅
上り線第11号トンネルから本格的なスタート
上り線第11号トンネル内の様子
上り線第9号トンネルを抜けると現れる煉瓦造りの五連アーチ橋の碓氷第十三橋梁
昼食場所になった旧熊ノ平駅
昼食は峠の釜めし(掛け紙はウォーキング専用)
旧熊ノ平駅からのトンネルの向こうが横川方面
上り線から眺める下り線橋梁下に見える「めがね橋」

☆廃線ウォーク〜信越本線下り線踏破〜(横川⇒軽井沢)

現在の信越本線終着点である横川駅
横川駅近くにある江戸時代に中山道を監視した「碓氷関所」跡
自然と一体化している下り線の線路
下り線橋梁から眺めた通称「めがね橋」として親しまれている「碓氷第三橋梁」
碓氷第十三橋梁のそばの国道18号線と碓氷第十七隧道
真っ直ぐ見通せる下り線第10号トンネル出口付近
下り線第18号トンネル内の県境
廃線ウォーク参加者の協力で通電が可能になった信号
軽井沢ゴール近くの下り線第18号トンネル出口

●廃から発への歩み

今月のメッセージは「鉄路の未来へ」というタイトルをつけました。廃線となっても鉄路は未来へ続いているという思いを込めてみました。そこには「廃から発」という考え方もあるのではないかと思うようになりました。「廃」と「発」という漢字をよく見ると、「廃」という字から「广(まだれ)」を除くと「発」という字になります。この2つの漢字を見たときに、何か関連があるように感じていました。信越本線の横川〜軽井沢区間、通称碓氷線は、日本の鉄道の中でも類をみない急勾配を克服してきた路線です。そこには、常に「発明、発展」という言葉があったような気がします。それでも、時代の進歩の中では「廃れる」という流れには逆らうことができなかったと思います。しかし、「廃」から「广(まだれ)」を除くように鉄道としての制約を除くことで、鉄路を活かせる「廃線ウォーク」という新たな「発展」へと歩もうとしているように感じます。発展のために取り組まれてきたことやモノは、時代の進展とともに廃れていくのが常だと思います。しかし、その廃れた中にも未来へ繋げていけることや活かせるモノがあると思います。そのようなことを常に考えながら、私たちは生きていくのだなと感じます。「廃線ウォーク」で撮った写真や関連施設の写真を掲載しました。季節的にも自然を楽しむには良い時期だと思いますので、信越本線新線の横川〜軽井沢区間、通称碓氷線のウォーキングや「アプトの道」のウォーキングを楽しんでみてはいかがでしょうか。

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