#シロクマ文芸部 空を避けて歩いていた~短編小説~
小牧幸助さんのお題で書きはじめる企画「水たまり」に参加です。
締切は7/8(水)23:59だそうです。よろしくお願いします。
※この物語はフィクションです。
空を避けて歩いていた
水たまりは、誰からも見向きもされなかった。
雨上がりの朝。
駅へ急ぐ人たちは、泥が跳ねないように、靴が濡れないようにと、その小さな水たまりを器用によけて歩いていく。
私も、その一人だった。
四十八歳。
会社では「頼りになりますね」と言われ、家では「お母さんなら大丈夫」と言われる。
その言葉に応え続けるうちに、失敗しないことが、いつしか私の毎日になっていた。
白いブラウスを汚さないように。
パンプスを濡らさないように。
迷惑をかけないように。
期待を裏切らないように。
気づけば、私は足元ばかり見て歩く人になっていた。
信号待ちで立ち止まる。
足元には、誰も見向きもしない小さな水たまり。
濁っていて、落ち葉が一枚浮かんでいる。
私は無意識に目をそらそうとした。
そのとき、隣で長靴を履いた女の子が声を上げた。
「お母さん、見て。空がある。」
その一言に、私はつられて足元を見た。
水たまりの中に、青い空が広がっていた。
雲がゆっくり流れ、風が吹くたびに揺れている。
ほんの少し泥が混じっているのに、不思議なくらい澄んで見えた。
私は空を見上げた。
同じ空だった。
でも、見上げた空より、水たまりの中の空のほうが、なぜか近く感じた。
汚れていると思っていた場所にも、空は映るのだ。
その当たり前のことを、私はずっと知らずに生きてきた。
いつからだろう。
欠けているところばかり探すようになったのは。
できなかったことを数え、人と比べ、
もっとちゃんとと、自分を急かし続けてきた。
私が見ていたのは、泥だった。
空ではなく。
信号が青に変わる。
人の流れが一斉に動き出す。
私も歩き出した。
けれど、その日は水たまりを避けなかった。
小さく波紋が広がる。
揺れた空は、少しだけ形を変えた。
それでも青さは失われなかった。
夕方、帰るころには水たまりは消えていた。
乾いたアスファルトには、もう空は映っていない。
だけど私は知ってしまった。
空は、きれいな場所だけに映るものではない。
少しくらい濁っていても、傷ついていても、
誰かと比べて足りなく見えても、
その人だけの空は、ちゃんとそこにある。
翌朝も、雨だった。
私は少しだけ歩く速度を落とした。
足元に、小さな空を探すために。
~ 終 ~
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