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「自分に厳しくしすぎてた」――自己を律するって、責めることじゃなかった


「もっとちゃんとしなきゃ」

「まだまだ足りない」

気がつくと、わたしはいつも自分を責めていました。

人からどう思われるかを気にして、
ミスがあれば、心の中で自分を何度も叱って、
まるで“自分の上司”みたいに、厳しく、冷たくしていた気がします。

◆律するって、そんなに苦しいことだったっけ?

「自分を律する」って、美しい言葉のように聞こえます。

でも、まじめで責任感が強い人ほど、
それを「自分を追い込むこと」だと
勘違いしてしまうことがあるんですよね。

たとえば――
「やらなきゃいけない」って思うあまり、
休んでも心が休まらなかったり。

ちょっとした失敗に、何日も引きずられたり。

がんばり屋さんほど、「律する=自分にムチを打つこと」になってしまう。

それって、本当に必要な“律すること”なのかな?

◆ほんとうの「律する」は、やさしい境界線を引くこと

ある日ふと、こんなふうに思ったんです。

「自分に厳しくすることと、自分を整えることは、ちがうかもしれないな」って。

ほんとうの“律する”って、
自分の中に静かなルールを持つこと。

そして、そのルールには、やさしさと許しも含まれていること。

たとえば、疲れているときに「今日は休もう」と言えることも、
夜ふかししそうな自分に「そろそろ寝ようか」と声をかけられることも、
それは“怠け”じゃなくて“律する”という愛の形。


◆受け入れることは、甘やかすことではない

「ありのままの自分を受け入れる」と聞くと、
「そんな甘いこと言ってたら成長できないよ」と
思う人もいるかもしれません。

でもね、
自分をちゃんと受け止めてあげると、
不思議と“もっと心地よく過ごしたい”という気持ちが湧いてくるんです。

わたしにとって「自己受容」は、立ち止まることではなく、
「やさしさという気持ちを自分に向けて、もう一歩前に進む力」でした。

◆責任感と、やさしさは、両立できる

責任感が強いことは、あなたのすばらしい資質です。

でもその責任感が、自分を責めるための刃になってしまったら、本末転倒。

だれよりも真面目で、誠実なあなたこそ、
もうすこし、自分にやさしいまなざしを向けてほしいなと思います。

律することと、受け入れること。

この2つが両立できたとき、
自分を「導くように進んでいく」力が、生まれてくるのかもしれません。

おわりに

「ちゃんとしなきゃ」と思うたびに、
少し立ち止まって、自分に問いかけてみてください。

いまのわたしに、ほんとうに必要なのは
もっと努力?それとも、すこし休むこと?

自分に厳しくしなくても、
人は変われるし、育っていけるんです。

自分を甘やかすということではありません。

世の中のモノサシで振り回されるより、
焦らずに、自分のよりどころを自分の中に持つことで、
自分軸が育つ、そんな生き方ができればいいなと思います。

やさしい律し方で、今日も自分を生きていきましょうね。

でも、自分軸を持つって簡単にはいかないですよね。

本音言うと、私も自分にムチを打つこと多かったです。

習慣を変えるのは時間が要ります。

あなたも大丈夫。

私もゆっくりやってるから。

あなたの歩幅で、一緒にいこう。

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