#シロクマ文芸部 熱帯夜にだけ咲く花~短編小説~
小牧幸助さんのお題で書きはじめる企画「熱帯夜」に参加です。
締切は7/29(水)23:59だそうです。よろしくお願いします。
※この物語はフィクションです。
熱帯夜にしか咲かない花がある。
昼間は、ただの細い茎だった。
葉も少なく、花が咲く気配もない。
だから、誰もその存在に気づかなかった。
けれど、気温が三十度を超えた夜。
風が止まり、空気が肌にまとわりつくような夜になると、その花は静かに蕾を開いた。
月明かりの下で、淡いオレンジ色の花びらを一枚ずつ広げていく。
まるで、夜の中に小さな灯りをともすように。
その花を育てている女性は、毎晩、庭に出て花を見ていた。
誰にも見つからないように。
誰にも踏まれないように。
誰にも「そんな花、育ててどうするの?」と言われないように。
その花は、熱帯夜にしか咲かなかった。
だから、朝になれば、また静かに閉じてしまう。
女性は、そのことを少し寂しいと思っていた。
せっかく咲いているのに。
せっかくきれいなのに。
誰にも見てもらえない。
誰かに見つけてもらえたらいいのに。
そう思いながらも、彼女は花を庭の隅に置いていた。
人目につかない場所。
誰もわざわざ見に来ない場所。
自分が、長いあいだ立っていた場所と同じだった。
彼女もまた、誰にも見られない場所で生きてきた。
失敗しないように。
迷惑をかけないように。
出しゃばらないように。
「私なんて」
そう言っていれば、傷つかずに済んだ。
誰かと比べて、自分のほうができていないと思えば、挑戦しなくても済んだ。
本当はやってみたいことがあっても、
「もう少し準備してから」
「もっと詳しくなってから」
「私なんかがやっても」
と、いつも自分を後ろへ戻した。
そんなある夜のことだった。
その年いちばんの熱帯夜だった。
風はなく、蝉の声さえもどこか遠くに聞こえた。
彼女はいつものように、庭の隅にある花を見に行った。
けれど、その日は少し違っていた。
花が、いつもより大きく咲いていた。
淡いオレンジ色の花びらが、暗闇の中で静かに揺れている。
彼女は、しばらくその花を見つめていた。
そして、ふと気づいた。
この花は、
「誰にも見られないから咲いている」のではない。
熱帯夜だから、咲いているのだ。
暑さに耐えたから。
昼間を過ごしたから。
この夜、この場所で咲く条件がそろったから。
誰かに見てもらうためでもない。
誰かに認めてもらうためでもない。
ただ、自分の中にあるものを、そのときが来たから開いている。
彼女は、花に向かって小さくつぶやいた。
「あなたは、誰にも見られなくても咲くのね」
花は、何も答えなかった。
ただ、夜の中で静かに咲いていた。
そのとき、彼女の中に、ひとつの考えが浮かんだ。
もしかしたら。
私も、誰にも見られない場所でしか咲けないと思っていただけなのかもしれない。
失敗しないように。
恥をかかないように。
否定されないように。
そうやって、自分を安全な場所に置いていただけなのかもしれない。
本当は。
私にも、咲く場所があるのかもしれない。
私にしか咲けない季節があるのかもしれない。
誰かと同じ時間に。
誰かと同じ場所で。
誰かと同じように。
咲かなくてもいいのかもしれない。
彼女は、初めてその花を庭の隅から動かした。
ほんの少しだけ。
家の窓から見える場所へ。
誰かが通りかかれば、見つけるかもしれない。
それでも、もう隠さなかった。
翌朝。
花は、静かに閉じていた。
けれど、彼女はもう寂しくなかった。
夜になれば、また咲くことを知っていたから。
そして何より。
自分もまた、いつか咲くことができると知ったから。
誰かと同じ季節でなくてもいい。
誰かに見つけてもらうまで、待たなくてもいい。
自分の中にあるものを、
自分のタイミングで、
自分の場所で、
静かに開いていけばいい。
その夜も、熱帯夜だった。
彼女は庭に出た。
花は、昨日よりも少しだけ明るく咲いていた。
彼女は、その隣に座った。
そして、初めて自分自身に言った。
「私も、咲いていいんだね」
熱帯夜にしか咲かない花は、
今日も誰にも見つからない庭で咲いている。
けれど今は、その花を見つめる人が、ひとりいる。
そしてその人もまた、
長いあいだ閉じていた自分の花びらを、
ほんの少しだけ、
開き始めていた。
~ 終 ~
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