【短編小説】身代わり
男は連れて来られた部屋で、大統領の影武者としての任務を打診された。大統領に近い水準の豊かな生活も保証する、と言われて。
それでもそれは、酷く躊躇われる悩ましい任務だった。
世界に人間用マイクロチップが広まって随分の時が経った。
以前は、安全性や人道面においての問題を指摘されていたこともあったが、少子高齢化が進み、認知症に起因する行方不明者の増加がきっかけとなり、安全性や人道面に配慮された上で、広く普及して行った。
改良を重ねられて作られた人間用マイクロチップは、身体に馴染む特殊な素材でコーティングされ、埋め込まれた体内で違和感や拒否反応が起きない仕様となっていた。
記憶が定かでない行方不明者も、発見後誰であるか識別され、多くが元の場所へ戻ることが可能となった。
顔や髪型、服装などを変えて逃亡していた犯罪者も、確保されれば、チップの情報から識別され逮捕に繋がるケースが増えた。
子供を誘拐して売りさばくような人身売買の犯罪も激減した。識別されれば行方不明者だとばれてしまうからだ。
また、病歴や医療記録が共有できるようになり、急患へも適切な処置がなされ、多くの人々の健康への効率化が進んだ。
ストーカーやDV加害者から逃げる人を保護するために、チップの読み取り機は警察や医療従事者などの、限られた職業に従事する者しか扱えないようになっていた。
チップの読み取り機は歩いてくぐり抜けるタイプ、もしくは囲われた中に横なるタイプの全身型で、読み取る作業において周囲の者にチップの場所を推測させない配慮がされていた。
読み取った情報によりチップの場所は判明するが、その情報を得た上でも、医療機器によって撮影された画像にはそれらしき小さなものがごくうっすらとしか写らないため、一度埋め込まれたチップを他者が意図的にどうにかするのは難しい、という話だ。
そのように、純粋に人々のための人間用マイクロチップが普及する先進さを見せる社会ではあったが、そんな世界においても残念ながら戦争は起こる。
戦争を起こしたのは世界でも五本指に入る大国のA国で、小国である隣国のB国に、挑発されていると言いがかりをつけて侵攻したのだ。
A国の大統領は、早期に勝利して決着すると想定していたが、B国の粘り強い防戦からの反撃によって、戦況は混迷を深め泥沼化を辿った。
A国では多くの兵が徴収されて前線に送り込まれたが、多数の犠牲者が出続けている。
回収された兵の遺体は、軍において読み取り機でチップの情報から個人を識別され、家族の元へ帰されている。多数の身元不明の遺体が溢れる、という事態にならないのは皮肉なことでもあった。
侵略国として非難されたA国は多くの他国から経済制裁を受け、侵攻をやめさせたいB国から小型無人機による首都への遠隔攻撃も始まった。
犠牲者が増え続ける中、大統領への支持も下がり続け、公然と批判をする者も現れていた。
そんな中、男は徴兵された。
徴兵される過程で、男が大統領に背格好や顔立ちが似ているということが話題になり、影武者としての任務を打診されるに至ったのだ。
あくまでも影武者なので、大統領本人ではないと判明するような、マイクロチップの読み取りを受ける状況はない、と説明された。
前線に送られるよりは死ぬ確率は低いかもしれない。
とは言え、今や大統領を良く思わない者は国内外に多く、影武者を立てようとするくらいに大統領自身も、暗殺の危険性を感じていると思われた。
男は迷った。
生まれてこの方地方の片田舎で暮らし続け、既に両親は亡くなり、兄弟姉妹はおらず、小さな家で一人暮らしをしていた。
若い頃から同年代のマドンナ的存在である幼馴染の女性に恋をしながらも、勇気を出せずに想いを告げられないまま、ただ年を重ねた。
同年代の多くが結婚し家庭や子供を持ち、孫までも持つ者がいる中、中年と呼ばれる年頃を過ぎても、何か理由があるのか未だに独身である彼女に対して、まだ希望はあると思いながらも、常に決断を先送りして来た。
徴兵が決まり、出発までに伝えようかと思いながらも、結局は何も言わずに来てしまった。
このまま前線で、特に戦う能力に秀でているわけでもない状況で、消耗されるように死ぬくらいなら、まだ大統領の影武者になった方が生き延びられる可能性は高いように思われた。
故郷の想い人へ何も伝えないままでは死ねない、という思いが、男に決断させた。
大統領の影武者の任務を承諾した男は、更に大統領と似せるために、大統領の動画を繰り返し見せられ、歩き方や姿勢、日常的な癖、話し方や話す時の癖、演説での振る舞いなどを、徹底的に覚え込まされた。
より見た目や声色も近づけるために、髪を染められ、たくさんの食事を取らされ、今まで縁のなかった煙草を吸わされ喉に負担をかけられた。
少し慣れて来ると男は、実習的な目的で、間近で国民と接することはないながらも人目には触れるような、視察という名目の任務に、多くの警護者に囲まれて出かけることもあった。
そこに大統領への歓声や声援はなく、遠目からでも、暗い表情で背を向け、心が離れている国民の姿を見ることができた。
中には、もの言いたげに訴えるような眼差しを向けながらも何も言えないでいる者や、抗議のプラカードを見せ、逃走し捕まる者などもいた。
それが男自身に向けられたものではないとわかっていても、男の心には重くのしかかった。
男は、現実的には無力な形ばかりの身代わりに過ぎないとわかっていながらも、もし自分が大統領だったなら、と思わずにいられなかった。
男は大統領の演説動画を繰り返し視聴したが、否定的な態度である国民の様子が度々思い出され、演説に感情移入することなどできなかった。
日々の訓練により、男の立ち振る舞いはかなり大統領らしくなった。
そんなある日、男は、副大統領と軍の幹部、そして大統領専用医師の揃った部屋に呼び出され、衝撃の知らせを受けた。
大統領が亡くなったというのだ。密かに抱えていた心臓の病が急に悪化したことによる病死。
男を呼び出した3人は、酷く苦悩し焦りの表情を浮かべていた。
それと言うのも、大統領が演説を予定している国家的な記念式典が2日後に迫っており、今更中止はできない状況だからだ。
男は、3人から代わる代わる説得され、大統領として式典に出席し短くてもいいから演説をしてほしい、と求められた。
式典の会場に入るには誰もがマイクロチップの読み取りを受ける必要があり、それは大統領自身も含まれる。
男が、大統領のマイクロチップを取り出して自分に移し替えるのは困難なはずだ、と訴えると、困難なだけで、大統領専用医師になら不可能ではない、と明言された。
何としても混乱を避けたい、と頼み込む3人に男は、記念式典の代役としての任務を承諾した。
男が形ばかりの身代わりに過ぎないことに変わりはないが、大統領亡き今、無力ではないのかもしれない。
男は、都合よく任されたことを利用して、大統領に代わって戦争を止めることができるかもしれない、と考え始めた。
大統領専用医師により、男の体内にあったマイクロチップが取り出され、大統領の体から取り出されたマイクロチップが埋め込まれた。
男は、記念式典での演説に向けて、言い回しなどの復習のために、改めて大統領の演説動画を見返した。
以前は全く感情移入できない演説だったが、すんなりと共感してしまう箇所がいくつもあり、男は慌てて動画の視聴を中止した。
これはどういうことなのか。
かつて、臓器移植を受けた者が術後、臓器提供者が生前行っていた趣味などに取り組み、今まで経験がなかったとは思えないくらいに成果を発揮した事例が話題になった。臓器提供を受けたことで食の好みがまるで変ってしまった、という事例もあった。
一概には断言できないながらも、提供された臓器に宿っていた提供者の心や感性が提供を受けた者に受け継がれたのではないか、という考えも示された。
マイクロチップは臓器ではない。
それでも、マイクロチップをコーティングした身体に馴染む特殊な素材が、同じような働きをしたということは否定できない。
男は、大統領の亡霊に乗っ取られるような不安を覚えながらも、大統領に否定的な態度である国民の様子を、強い気持ちを奮い起こして思い返し、記念式典での演説では、何としても侵攻をやめるための演説をしなければ、と決意した。
大統領の身代わりとして利用される立場を男自身も利用し、堂々と戦争を終わらせる宣言をしてしまうのだ。
決して、大統領のマイクロチップなどに負けるわけにはいかない。
記念式典の日となり、多くの来場者で一杯となった会場に、男もチップの読み取りを受けた上で、大統領として姿を現した。
チップの読み取りは国家的な記念式典に、B国の者やA国を非難している他国の報道者を入場させないための措置でもあった。
会場から少し離れたビルの屋上で光る物があった。締め出された他国の報道者が離れた位置からでも情報を発信しようとしているようだった。
司会による開会の挨拶があり、その後登壇した男は、演台のマイクを取り来場している国民の顔を見渡した。
みんな、大統領がどんな演説をするのかと注目している。
男が、マイクに口を近づけ演説を始めようとした時、空気を切り裂くような音が辺りに鳴り響いた。少し離れたビルの屋上から弾丸が放たれたのだ。
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