夜桜が見ていた #シロクマ文芸部

夜桜と、私は呟いた。
宵闇を背景に、白と淡紅色のグラデーションを描く無数の花弁たち。吸い込まれるように見上げていると、自分がどこにいるのか、今がいつなのか、曖昧な境界線の上に立っているような錯覚に陥る。風がそよぐたびに、はらりと舞い落ちる花びらは、時が零れ落ちていくようだった。
隣に立つ彼の横顔を、私はそっと盗み見た。街灯の光が、彼の輪郭をぼんやりと照らし出し、物憂げな表情を浮かび上がらせている。彼もまた、この夜桜の織りなす幻想的な光景に、何か特別な感情を抱いているのだろうか。
二人でこの場所に来るのは、これで何度目になるのだろう。特に約束を交わしたわけでもなく、ただ、この季節になると、互いに誘い合わせるでもなく、自然とこの夜桜の下に足が向かう。それは、まるで長年連れ添った夫婦のような、言葉を交わさなくても通じ合える古い友のような、不思議な連帯感のようなものだった。
公園の静けさの中に、遠くから聞こえるのは、かすかな音楽と、時折響く若者たちの笑い声。その喧騒とは隔絶された、この二人だけの空間は、外界のあらゆる出来事から守られているようにも感じられた。

「綺麗ね」
と、私はもう一度呟いてみた、
彼は何も答えず、ただ夜桜を見上げている。その沈黙が、二人の間に流れる時間と、共有された記憶の重みを物語っているようだった。言葉などなくても、互いの心の内を理解し合える。そんな関係が、確かにここにある。
足元には、散り積もった花びらが、淡いピンク色の絨毯を広げている。その上を歩くと、ほんの少しだけ悲鳴のような音が立った。それは、過去の足跡を辿っているような感覚に襲われる。この夜桜の下で、私たちはどれだけの時間を共有してきたのだろう。
喜び、悲しみ、そして、言語化できない様々な感情が、この場所には沁みついているのかもしれない。
「覚えているか」
彼が静かに口を開いた。
私は、彼の顔を見返した。その瞳には、遠い日の記憶を呼び起こすような、懐かしい光が宿っていた。
「ええ」
二人の間で交わされたのは、その短い言葉だけだった。しかし、その短い言葉の中に、数々の出来事や感情が凝縮され、鮮やかに蘇ってくる。二人だけの古いアルバムを開いたような、色褪せない思い出の断片だ。
夜の帳がゆっくりと上がり始め、空の色が深い藍色から、ほんの少し明るい色へと変わろうとしている。夜桜の淡い光も、朝の光に溶け込むように、その輝きを失っていく。
「そろそろ、行こうか」
と、彼は言った。
私は小さく頷き、彼とともに歩き出した。背後には満開の桜が開けようとしている薄暗い夜の中、佇んだままだった。その姿は、過ぎ去った私たちの時間を見送っているようにも見えた。
夜桜と、過ぎ去りし日々。
そして、これから始まるであろう、新しい時間。そのすべてが、この絵画のような空間に凝縮されていた。
了

#シロクマ文芸部 #夜桜と #夢想堂 #賑やかし帯
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無職で色無し状態だニャ~ン😭
