【長女3歳後半】暗黒期突入
長女は早生まれで、少し発達の凸凹(でこぼこ)があるタイプ。
保育園では周りとうまく馴染めず、生きづらさを抱えていた娘ですが、最終的に「最難関」と呼ばれる国立小学校や、難関伝統校など数校から合格をいただくことができました。
我が家が小学校受験を始めたきっかけは、「これからもずっと娘らしく、伸び伸びと育ってほしい」という願いからです。
「娘が娘らしくあるために!」
これを夫婦のスローガンに掲げ、いま主流となっている「課金沼」や「スピード重視」の受験とは、あえて真逆のスタンスを取りました。子どもたちの時間を必要以上に犠牲にしたり、子どもらしい時間を奪ったりしなくても、大丈夫。
このnoteでは、世間の受験スタイルとは少し違う我が家の工夫や、一見「育てにくい」と感じていた娘との愛おしい日々について、お伝えしていけたらと思います。
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空想の世界に生きていた、保育園時代
幼少期の長女には、なんとなく育てにくさを感じていました。
保育園ではお友達を言葉でコテンパンにしてしまい、気の合う子も全く見つかりません。自分の居場所がないせいか、毎朝泣いて登園していました。
そんな辛い保育園生活を紛らわすためもあったのでしょうか、娘は頭の中に「空想の友達 *1」を生み出していました。
「保育園でね、眠れないと透明なクジラさんが窓から入ってきて、一緒に寝てくれるの」
家でも話しかけてもうわの空。お人形たちと本当に生きているかのように遊んだり、空想の国の住人として生きていました。
娘の頭の中には、クジラさんの他にも「あっちいけボンド」という空想の国(心理学用語で「パラコズム」 *1)がありました。その国には住人がいて、公共のルールがあり、毎日にぎやかに事件が起きています。娘の中には現実と空想の区別はなく、いつも事実と空想が混じり合っていました。
「あっちいけ」という名前に、当時の娘の葛藤が表れているようで切なくもあり、でも話を聞くのはとても面白くて、私はいつもワクワクしながら耳を傾けていました。(「ボンド」がどこから来たのかは未だに謎ですが……笑)
この空想の世界は、6歳を過ぎた頃から透明なクジラさんとともに少しずつ消滅していきました。今ではとても懐かしく、可愛い思い出です。
※1 イマジナリーフレンド(客観的には存在しない空想上の友達)や、パラコズム(子どもが長期間にわたって頭の中で創り上げる詳細な空想世界)と呼ばれる現象です。
「マイルール」と「激しいこだわり」に振り回される日々
そんなロマンチストな一面がある一方で、日常生活は一筋縄ではいきませんでした。
「お着替えしようね」と服を持たせると、じーっと服を見つめたままフリーズ。かと思えば、パッと立ち上がって違うことを始めます。
そこでいきなり現実(着替え)に引き戻そうとすると、娘は「激おこ」します。
自分の中で一度決めた予定や自由な時間を邪魔されるのが、どうしても許せなかったようです。強いストレスと怒りを感じていたのだと思います。
お出かけも、一度「〇〇公園に行く」と私が言ってしまったら最後。雨が降ろうが槍が降ろうが行こうとします。
理由を説明して納得はしても、怒りは静まりません。
「なんで天気予報を見ていなかったんだ!お母さんは馬鹿なんだね!!」
そう言葉で責め立て、私に殴りかかってくることもありました。(これを保育園でやっていたら、そりゃあお友達はできないわ……笑)
壮絶だった妹への「家庭内暴力」と、私の疲弊
そして何より本当に辛かったのは、長女が当時1歳だった次女を叩くことでした。
長女からすれば、次女は「予測不能でストレスを与える存在」であり、同時に「手持ち無沙汰なときのおもちゃ」のようでもあったのだと思います。
理由があろうとなかろうと、次女が近くを通るだけで叩く。馬乗りになってお腹に乗る、蹴る……。それはもはや家庭内暴力の域でした。
私が次女をかばうと、状況はさらに悪化します。
痛くて泣いている次女を抱き抱え、「やめて!」と叫ぶ私を、長女が蹴り続ける。そんな壮絶な修羅場がしょっちゅうありました。
夫がいれば「やめろ!」と長女を羽交い締めにし、別室へ連れていってくれましたが、ワンオペの時間は地獄です。娘が3歳後半になると力も強くなり、暴れる体を抑えるのも一苦労。
次女を守ることで精一杯でしたが、同時に『長女自身の苦しみもどうにかしてあげなくては』と葛藤する日々でした。
本の知識が通用しない「超・実践モード」の育児
可愛いけれど、地雷を踏んでも踏まなくても私と次女に暴力を振るってしまう娘。
本当にやるせなくて、「どうしたらいいの?」と、幼児の「声かけ」「かかわり方」や「発達」に関する本を、それこそ貪るように読み漁る日々でした。
しかし――。
必死に勉強した「声かけ」や「かかわり方」のライフハックは、わが家のイレギュラーすぎる長女にはまったく意味を成さないものばかり。結局、毎日が暗中模索の手探り状態でした。
(それでも一部は多少役にたったので、また別途ご紹介します)
けれど、育児の神様は意地悪ではありませんでした。
実は今、あのとき必死に勉強したことが、なんと「次女の小学校受験」でめちゃくちゃ活きているのです。
「ああ、あの本に書いてあったのは、こういうことだったんだ……!」と、今頃になって答え合わせのように感動している今日この頃です(笑)。
今思えば、娘の暴力はメルトダウン *2 の一種だったのかもと思います。
*2メルトダウン:脳の処理能力を超える強いストレスや感覚刺激が蓄積し、感情やパニックが制御不能なまでに爆発してしまう状態。
お友達に理解されずに苦しい保育園、予測不能な妹、妹をかばってばかりな母親、平日はいない父親。
ストレスだらけだったのかもしれません。
娘も訳が分からない感情に支配されて苦しそうでした。
そんな、娘の心も家庭内もパンク寸前だったこの時期。そう、まさにこの絶望的とも言えるタイミングで、第三話でお話しした「お教室への入会」が決まったのです。
私が藁にもすがる思いでひらめいた小学校受験。あの時、体験授業で夫がいきなり「入会します」と即決した裏には、実はこの『限界を突破している家庭の状況をなんとかしなければ』という、彼なりの強い危機感があったからかもしれません。(本人に確かめたことはありませんが……笑)
こうして、メルトダウンを繰り返す凸凹娘と、疲弊しきった母の、前途多難すぎるお受験生活が幕を開けたのです。
