体と歩く|予定表にない大切な時間
体と歩く。
体は、いつも私たちより少し早く、今の自分を知っています。
このシリーズでは、そんな体の声に耳を澄ませながら、自分らしい歩幅を見つける時間を綴っています。
最近、予定表を見るたびに思うことがあります。
仕事の予定。
家族の予定。
病院の予約。
買い物や用事。
カレンダーには、やるべきことがたくさん並んでいます。
けれど、その中に「何もしない時間」はほとんどありません。
私たちは不思議なくらい、空いている時間を埋めようとします。
せっかくの休日だから。
時間があるのだから。
何か有意義なことをしなくては。
そんなふうに思ってしまうのです。
私もそうでした。
休日の朝に予定がないと、少し落ち着かない気持ちになることがありました。
掃除をしよう。
買い物に行こう。
気になっていた用事を済ませよう。
気づけば、予定のない日は予定でいっぱいになっていました。
若い頃は、それでも何とかなりました。
多少無理をしても疲れは翌日に持ち越さなかったし、忙しく動いている方が充実しているような気もしていました。
でも最近は少し違います。
予定を詰め込みすぎた休日の夜は、どこか疲れています。
楽しかったはずなのに、心も体もひと息つきたがっているのです。
そんな自分に気づいたとき、少し立ち止まって考えました。
私はいつから、「何もしない時間」を後回しにしていたのだろう、と。
先日、休日の午後にハーブティーをいれました。
私は緑茶が好きです。
朝の一杯の緑茶にほっとすることもあります。
でも最近は、庭で育てているハーブを摘んで淹れるハーブティーもお気に入りです。
その日はカモミールを使いました。
お気に入りのカップに注ぎ、庭の花を眺めながら座ります。
風が吹くたびに花が揺れます。
鳥の声が聞こえます。
遠くで子どもたちの笑い声もしました。
カモミールのやさしい香りに包まれながら、ただ静かな時間を過ごしました。
何かを達成したわけではありません。
誰かの役に立ったわけでもありません。
それなのに、不思議と心が満たされていくのを感じました。
そのとき思ったのです。
もしかしたら私は、こういう時間をずっと必要としていたのかもしれない、と。
私たちは「頑張ること」は教わってきました。
努力すること。
責任を果たすこと。
誰かのために動くこと。
どれも大切なことです。
でも、「休むこと」や「何もしない時間の大切さ」は、あまり教わってこなかったような気がします。
だからつい、空いている時間を見ると何かで埋めたくなってしまう。
けれど本当は、その空白こそが大切なのかもしれません。
本を読む時間。
空を見上げる時間。
花を眺める時間。
庭のハーブで淹れたお茶をゆっくり飲む時間。
そんな時間があるから、心は少しずつ整っていくのだと思います。
最近、こんな言葉が心に浮かびます。
何もしない時間は、何も生み出していないようでいて、自分を取り戻している時間なのかもしれない。
若い頃は前へ進むことばかり考えていました。
立ち止まることは遅れることだと思っていたのです。
でも今は違います。
立ち止まるから見える景色があります。
ゆっくり歩くから気づけることがあります。
庭の花が咲いていること。
季節が少しずつ移り変わっていること。
今日の空がきれいなこと。
そんな当たり前のことに気づけるのは、心に余白があるからなのだと思います。
年齢を重ねるにつれて、できることと同じくらい、手放すことも覚えていくのでしょう。
予定を詰め込むことよりも、
余白を残しておくこと。
頑張ることよりも、
自分をいたわること。
それもまた、大切な生き方なのかもしれません。
今日の予定表にも、空いている時間があります。
昔の私なら、その空白を埋めようとしたでしょう。
でも今は、そのまま残しておこうと思います。
その時間に何をするかは決めません。
お茶を飲むかもしれないし、
花を眺めるかもしれない。
ただぼんやり過ごすだけかもしれません。
それでもいい。
予定表には書かれていないけれど、
その時間はきっと、私にとって大切な時間だから。
そして明日もまた、
少し軽くなった心で歩いていけたらいいなと思うのです。
だから今日も、
庭の花を眺めながらハーブティーをひと口。
そんな時間を、自分への小さな贈りものにしようと思います。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
また「体と歩く」の時間に、お会いできたら嬉しいです。
Yufu
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