母の作るカルピスには、かなわない。
アサヒ飲料と聞いて、私が真っ先に思い浮かべるのは「カルピス」です。
私にとって「カルピス」は、ただの飲み物ではありません。
幼い頃の夏の記憶や、母の優しさを思い出させてくれる、大切な一杯です。
「カルピス」という名前は、カルシウムの「カル」と、サンスクリット語の「サルピス」を組み合わせた造語なのだそうです。
サルピスとは、古代インドで「熟酥(じゅくそ)」と呼ばれる精製バター(ギー)を意味する言葉で、栄養価が高く尊いものとして扱われていました。
また、仏教の経典にも登場する言葉だと知り、いつも何気なく飲んでいたカルピスに、こんなにも深い歴史や文化とのつながりがあることに驚きました。
そして、パッケージに書かれている「カラダにピース。」という言葉。
その言葉を見るたびに、私は少し温かい気持ちになります。
カルピスを飲むと、体だけではなく心まで幸せになる。
幼い頃、母が作ってくれた一杯のカルピスを思い出すからです。
私にとって「カラダにピース。」という言葉は、まさにそのまま。
カルピスは、私の心にも小さな幸せを届けてくれる飲み物なのです。
カルピスウォーターやカルピスソーダもおいしいですが、私が一番好きなのは、やっぱり希釈タイプのカルピスです。
子どもの頃、夏になると母が贈答品でいただいたカルピスを作ってくれました。
氷を入れたコップに、白いカルピスを注ぎ、水を加える。
そして、かわいいマドラーでくるくるとかき混ぜると、「カラン、コロン」と氷が鳴る音が響きます。
その音を聞くだけで、胸がわくわくしました。
「今年も夏が来た」
そんな気持ちにさせてくれる、夏の楽しみでした。
母が作ってくれるカルピスは、私にとって特別な味でした。
でも、思い出はそれだけではありません。
幼い頃、私は母の真似をして、自分でカルピスを作ることもありました。
「きっと同じように作れる」
そう思って挑戦するのですが、なぜか母のようにはいきません。
カルピスが薄くなってしまったり、どうもうまく味が決まらなかったり。
何度作っても、母の味には近づけませんでした。
そんな私を見ていた母は、ある日、冷水筒にカルピスを作ってくれました。
麦茶ポットと並んで冷蔵庫に入っている、白いカルピス。
飲みたい時にいつでも飲めるように、母が作ってくれていたのです。
今思えば、それはいわゆるカルピスウォーターのようなものでした。
でも、あの冷蔵庫に入っていた一杯には、ただの飲み物以上のものが詰まっていました。
「失敗しても大丈夫」
「おいしいカルピスを飲ませてあげたい」
そんな母の優しさが、そこにはあったのだと思います。
子どもの頃の私は、ただ「カルピスがある」と喜んでいただけでした。
でも今、大人になった私は、その白い一杯の向こう側にあった母の気持ちを、少しだけ想像できるようになりました。
大人になった今は、自分でカルピスを作ることのほうが多くなりました。
同じカルピスを使い、同じように水で割っているはずなのに、不思議と母の作るカルピスにはかないません。
何が違うのでしょう。
水の量でしょうか。
混ぜ方でしょうか。
きっと、そうではないのだと思います。
あの味には、母の愛情が溶け込んでいたのだと。
私も親になり、20年以上が経ちました。
子どもを想う気持ちが、今なら痛いほどわかります。
何気なく作った一杯の飲み物に、相手を想う気持ちを込めていたこと。
母もきっと、私が喜ぶ顔を思い浮かべながらカルピスを作ってくれていたのだと思います。
今もカルピスを飲みながら、この文章を書いています。
やっぱり、おいしい。
でも、やっぱり母の作ったカルピスにはかなわない。
一杯の飲み物が、こんなにも温かい記憶を運んできてくれるなんて。
飲み物は、喉を潤すだけではなく、心まで満たしてくれるものなのかもしれません。
この記事を書き終えたら、実家へ遊びにいこうと思います。
そして母に、こうお願いするのです。
「久しぶりに、カルピス作って。」
きっとあの夏と同じ味が、私を待っていてくれる気がします。
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