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世界史における時代区分について、思ったことを、記述してみる。

私の興味のある分野は、西欧史・中国史です。それに、インド洋域や 20 世紀史がつきます。時代区分は、どうなのでしょうか?

私が興味のある時代区分は、中世です。中世西欧や、中世中国の歴史について、とくに興味があります。時代区分は、どのようになっているのでしょうか?

時代区分 時代区分 - Wikipedia 説から言って、中世とは、西欧では、フランク王国の成立から、近世ルネサンスの誕生の手前までを、指すと思います。
一方、中国では、漢が滅び、三国時代が終わってから始まる、唐王朝の時代と、その次の宋王朝、並びに元王朝までを指すと思います。明王朝からは、明らかに近世と区分されると思います。

なぜ、時代区分説で、特に研究の盛んな、西欧と中国の歴史において、このような、「中世」の時代の区分が、成立したのでしょうか?
中国史時代区分論争 - Wikipedia を見れば明らかなように、中国においては、戦後の長い議論の時代が、存在しました。

また、ヨーロッパ史では、通説では、フランク王国を中世の始まりとし、古代の終焉を西ローマ帝国の終焉に置き、また、終わりは、14 世紀の危機の時代から、大航海時代・ルネサンスにいたる時代とで、前後を区切っています。

日本史でも時代区分は存在しますし、インド洋域の歴史でも、時代区分は存在します。

日本におけるおもな時代区分(にほんにおけるおもなじだいくぶん)とは? 意味や使い方 - コトバンク が、主に日本史の6時代傾向を述べています。

ヨーロッパ史 - Wikipedia では、西洋史における、古代・中世・近世・近現代の表記を示しています。

インドの歴史 - Wikipedia や、東洋史 - Wikipedia などには、主だった、古代・中世・近世近現代という3区分法が見られませんが、古代インドや、中世インドと言う言葉は、通常に使われる区分用語です。

私はインド洋史や日本史に関しては知識が乏しいので、ここではその時代区分論について詳細に記することは出来ません。

しかし、主に情報がある程度蓄積している西欧史・中国史に関しては、時代区分説に関してある程度かたまった概念態があたまの中に存在します。

そもそも近代歴史学の誕生に伴って、時代区分説が誕生し、それは、その後の近現代の歴史学の発展のなかで、あるまとまったテーゼとも言える形を、整えてきました…。

取り合えず、正攻法で、西欧史における時代区分論を考えてみましょう…。

西洋史、ないし、もっと枠を区切れば、西欧史、における時代区分説と言うものは、ランケ レオポルト・フォン・ランケ - Wikipedia などが開発した近代歴史学、所謂史料批判と分析・実証を伴った、今日的な歴史学の大元の形が誕生する際に、その副産物として誕生したというのは、常識的な知識でしょう。
さらに、そもそも時代区分説すなわち、古代・中世・近世と言う3段階区分の誕生と言うものは、その概念の発端として、中世後期からルネサンスにかけての西欧人文学に求められるというのは、妥当でしょう。ペトラルカなども、中世期を暗黒時代とし、古代の復活としての近世ルネサンスと言う概念を提示しました。

ただしかし研究の蓄積から中世が暗黒時代でないという事はもはや公な事実であり、社会経済史の観点からも西欧中世を文化的に成熟度を増す時期として捉えると言う論法は無数に蓄積されております。

一般的に、特に中世盛期における西欧地域の文化的社会的発展と成熟と言うものは、近代歴史学が誕生してからしばらくたった時期、すなわち、ピレンヌ アンリ・ピレンヌ - Wikipedia の時代くらいから、盛んに問われる事柄であり、中世の一つの人間文化としての成熟さというのは大体 19 世紀後期あたりから主張され始めているとの理解で妥当でしょう。

次に、続く正攻法として、中国における時代区分説を見てみましょう…。

中国史における時代区分説については wikipedia の 中国史時代区分論争 - Wikipedia に詳細が記されており、私はこの定説に大きな疑問などは抱いておりません。あくまで専門家による客観的な視点での論争・ないし、結論付けが行われたのでしょう。
しかし私が重視するのは、所謂中国史における古代(上古)、中世、近世という3区分においては、上記の wikipedia のページにおける把握に加えて、そもそも社会経済の進展に伴ったより精緻で妥当性のある時代区分の枠組みが必要だと感じていることです。
すなわち、中国史において始めて貨幣が大々的に造幣され始めた、後漢に関しては、貨幣の造幣だけでは経済全体の発状形態が確認できないので、古代とし、唐宋変革 - Wikipedia で明らかなような、中国唐王朝・宋王朝期における大々的な社会経済文化の誕生期を持って、中世とし、その後の元王朝は、中世と近世の狭間とし、続く明清時代を、現在の中国の原型が生まれた、近世とする、という時代区分を、私なりに考え、把握しているという事です。

秦漢帝国を上古(古代)、唐宋変革期を中世、元王朝期を、中世末から近世への過渡期、明清時代の社会成熟期を、近世とするこの発想自体はなにも専門家の提示した中国史時代区分論争から大きく逸脱したものではなく、また、社会経済史の進展の側から見ても、ある程度妥当な発想であると、私は考えています。現に、唐宋時代を中世真っ盛りの中国の史実と捉える節は、私の尊敬する何人もの中国史家(志那史学者)が同調するもので、何も完全に私が無から作り上げた概念では決してないです…。

上記から、私が知識がある、西欧史・中国史における時代区分論の明白さは明らかです。これに、世界史の他のエリアについての考察も、混ぜ込んでいくと、どうなるでしょうか?

私はインド洋史と日本史に関しては、知識が多くはないです。しかし、ある程度概念把握することは、可能です…。

例えば、インド洋史と言っても、固定化されたムスリム社会、北南インド社会圏、東南アジアの社会文化、と言った複数の要素が混ざり合っています。このエリアを、ある程度商業的にネットワークが完成していて、その後、近世に入ってヨーロッパ諸国が進出したという定説からとらえると、おおよその概念把握が出来ます。
特に、時代区分が適用しやすいムスリム社会に合わせて、時代区分を考えていくのが、妥当でしょう。ムスリム社会の誕生は西暦 610 年頃に、ムハンマドがメッカ近郊でイスラム教を開始したことと捉えられますが、果たしてこの現在中東と呼ばれる地域のそれまでの王朝史ならびに民族史と言うのはどのようなものでしょうか?アラビア半島 - Wikipedia のページの中盤以降にアラビア半島の歴史が記述がありますが、おおよそムスリム社会の成立する前の段階では、ローマと戦闘を起こしたパルティア王国などのほかは、主だった強力な政治権力体がありません…。従って、ムスリム社会の成立を、この中東地域の、所謂「中世」の始まりだと、定義してしまうのは、あながち間違いではなさそうです。この、アラビア地域の「中世」の開始とその展開とともに、インド洋史に該当する地域では、人と物のネットワークが動き始めるはずですから、インドならびに東南アジアについても、おおよそある程度のズレはあっても、中世開始期は大きくズレる、あるいは、そもそも古代と中世の境目が存在しないと言った理解には、ならないと思います。

日本史に関しても、遣唐使の時代は、律令が成立した時代、続いて平安時代から「中世」の開始と捉え、安土桃山時代までで区切り、その後は、「近世」とする一般理解で妥当ですね。

こう見てくると、カバーできていない地域は、アフリカと、東欧・ロシアくらいではあります。このように、知識が少ないインド洋史・日本史に関しても把握できます。

時代区分説はルネサンスの産物でもあり、近代歴史学の誕生から生まれた、二回目の産物でもあり、また世界史の枠組みでも把握できます。

西欧史と中国史に関して知識が多いので、自ずから上述のような記述にはなりましたが、大勢は外していないと認識しております。

西欧史と中国史における時代区分年代が、ある程度奇麗に同期するところが、中世史研究の魅力でもあります。また、インド洋史や日本史でも、ある程度同期します…。

アメリカ合衆国に関しては、近世以降の歴史出発で問題ないですね。近現代史に大きく影響してきますが、発端は近世で間違いないです…。

そもそも単独で南北アメリカ大陸を近世以前の世界史と結びつけることは出来ませんね。近世からの出発になりますが、特に 20 世紀問題に、合衆国が満に関わっていますね。その中でも、WWⅠ、スペイン風邪、狂騒の 20 年代は合衆国が主役になった初めての出来事でもあります。ここまで時代区分できれば、上出来でしょう…。

以上、世界史における時代区分について、思うところ、主張したいところを、書いてみました。歴史学の誕生とともに、時代区分説も歩みを始めたとだけでも認識できれば、歴史の勉強に役立つでしょう。

最後まで読んでいただき、有難うございました。気に入った、あるいは、興味があった方は、スキなどして下さりますと、今後の励みになります。

                 (感謝,)

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