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帰国、強制的に。

2010年の10月、成田空港の到着ロビーの椅子に私は座った。
入国審査を通過して、出口を出た先、一番近い椅子には座らず、少し先の誰も近くに座っていない椅子を見つけて、着替えが数枚と借りもののCDが数枚だけ入った小さな緑色のバッグを横に置く。

アメリカンアパレルのTシャツとパーカー、下はおそらくlevi’sの511、靴はVANSのヘンプ生地のauthentic
私の髪と髭は伸びきって顔と一緒に油ぎっている。
スコットは派手なVANSを履いていたが、私には到底似合わないと知っていたため、地味な色だが生地で魅せた。
当時はアメリカンアパレルが大流行りで私の周りの連中はこぞってみんな着ていた。アメリカンアパレルのVネックのTシャツはある種革命的なものであり、その後彼らは日本からは早々に撤退したと聞いて日本のファッション感を疑ったのを覚えている。


私は自由になった。
3週間の拘束から、ようやく自由になった。
目の前を通るあんたと同じように、少し遠くに見える頼りない警備員のじいさんの一丁前の気迫に満ちた正義感にだって、好きなだけ近づくことが出来る。

私はひどく疲弊していたのだ。
悲しさや怒り、虚しさや悔しさを思い出すほどの体力は残っていなかった。
ICE(アメリカの移民局)は私に成田空港までの航空チケットしか買ってやらなかった。
アメリカから出国させ、そいつの国まで送れば彼らの仕事は終わりなのだ。
無論、私の街は東京ではない。
エディたちが面会に来てくれた時に私のコミサリーアカウント(ジェイル内でカップ麺や日用品などを買える口座のようなもの)にいくらか入れてくれた金と、元々持っていた現金を合わせて、空港に連れて行かれる時に全て渡される。
レートの悪い空港の換金所で円に換えよう。その金で買ったのか、持って帰って来たのか忘れたが私はタバコを持っていた。
しかし、火がない。
ジェイル(刑務所)にて火器類は容易に凶器になりうるため、問答無用で捨てられる。到着ロビーの外に出て喫煙所へ向かった。
喫煙所には出張かなにかの行きか帰りのサラリーマンの中年男性がマイルドセブンに自分の明るい将来を観ていた。

「すいません、lighter、、、貸してもらえますか?」

ライターではなく、lighterだ。
おい、そこのお前、見事だ、見事な発音だ。
少し緊張しながら赤の他人にライターをせがむ時、勿論発音はlighterだ。ライターと発音する者は愚鈍だ。
そうだ、そうだろう?そこのお前。

私がアメリカで生活していたこと、それは現実だったのだ。
10数時間前、デトロイトメトロポリタン空港を飛び立ち、今ほどこの国に帰って来たんだ。
デトロイトのグレイハウンドバスのバス停で、ボーダーパトロールに職務質問をされ、パスポートを見せろと言われ、見せたら見せたでI-94はどこかと聞かれ、ないと答えた挙句、手錠をかけられボーダーパトロールのパトカーに乗せられた。

残念ながら、それは現実だった。

最初に見つけた公衆電話で唯一そらで覚えている番号を叩いた。

「ああ、、俺、強制送還になっちゃってさ、、」
「あら、帰って来たと?今もう日本ね?」
「成田、さっき着いたわ」
「タカツさんて人から連絡があってね、今、捕まって大変なことになっとるって教えてくれたとよ、でも友だちがたくさんおるけん、今その友だちが助けようとしてくれよるって、、」
「うん、、みんな弁護士雇ってくれて、助けようとしてくれたけど、その前に強制送還になっちゃった」
「あらそうね、今からはもうこっちに帰って来れんやろうけん、やすちゃんて知っとる?婆ちゃんの弟、あんた会ったことあるかいな?」
「よく覚えてないわ」
「やすちゃんと東京のおばちゃんが相模原に住んどるけんさ、そこに今日だけでもお世話になれんか電話してみるけん、10分後にまた電話せんね」
「ああ、わかった、なんか色々すいません」

私はその時、赤いパンツを相模原に忘れていったらしく、未だにおばちゃんは早く取りに来いと私の母親に言うそうだ。
やすちゃんの私の呼び名は『アメリカ帰り』
「あのアメリカ帰りは元気にしてるか?」が定番だったそうだが、、
やすちゃんは去年亡くなった。
おばちゃんは認知症が年々ひどくなっているらしい。
あの時は本当に世話になった。感謝している。

電話を置くと、私はなぜか持ち帰ることが出来たオレンジ色のピルボトルいっぱいに入ったヴァイケテン(日本語で言うとヴィコティンらしいが)を2錠ばかし口に放り込んだ。
ここに至るまで、何度も身ぐるみ剥がされ、違法なものを所持していないか、凶器をどこかに隠し持っていないかをチェックされた。
今、私の食道あたりをゆっくりと溶けながら落ちていくこれは、
捕まる前日に腰を痛めた『アイツ』から仕入れたものだ。
オレンジ色のピルボトルは日本ではあまり見かけないが、アメリカではごく一般的な薬を入れるただの容器だ。
国境警察官や刑務官にとっては特に気にならないもの、、だったのか?

ドラッグにも流行があり、当時アメリカでは処方箋ドラッグ、所謂、病院に受診して処方箋がないと購入できないモルヒネやオキシコンティン、ゼナックスやヴァリウムなど鎮痛剤や抗うつ剤、その他筋弛緩剤など色々な種類のものがストリートに出回っていた。
現在大きな問題になっているフェンタニルのような品のない不潔で不細工なものではなく、ヴァイケテンは最もカジュアルで手軽なものだった。

相模原に着く頃には色々な痛みや疲れは不思議と消えていた。
不思議と、ね。

「夜遅くにすんまてぇ〜ん!捕まっちゃいまてぃた〜!お世話になりますぅ〜」

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