デカルトは神と霊魂をどう証明したのか?合理的思索の衝撃をわかりやすく解説
デカルトはなぜ「神」を証明しようとしたのか?
デカルトは次の合理的な思索で神の存在を証明できると主張した。
1.人間は『不完全』な存在である。ゆえに、『不完全』な認識しか持たず、『不完全なもの』しか知りえない。
2.しかし、人間は『神』という概念を知っている。不完全な人間が、完全な存在である神を知っているのはおかしい。
3.この矛盾を解決するには、人間は神から『神の存在』を何らかの方法で教えてもらったと考えるしかなく、ゆえに、神は存在する。
さらに――
しかもである。この証明のあと、なんとデカルトは「霊魂の存在」についてまで言及をしはじめてしまう。
「人間の精神は、無限の存在である神を知ることができるほど不可思議な存在なのだから、有限の存在である物質(肉体)を超えたもの、非物質的なものでなくてはならない」
アナタはここまで読んで、
少し大胆すぎると感じるかもしれない。
だがこの推論を提示したのが、
近代哲学の出発点といわれる
ルネ・デカルトである。
出発点は「不完全な人間」
デカルトはまず、人間を不完全な存在と定める。
疑うことも、間違えることもある。
だからこそ、自分は有限で不完全だとわかる。
ここまでは、アナタも納得できるはずだ。
だが次の一歩が急激である。
なぜ「完全」を知っているのか?
アナタは「完全」という概念を理解できる。
そして「神」という、
無限で完全な存在を思い描ける。
だがここで疑問が生じる。
不完全なものから、完全という概念は生まれるのか?
デカルトは言う。
それは不可能だ、と。
有限なものは、有限な観念しか作れない。
にもかかわらず、アナタは無限を知っている。
この矛盾を解くには――
完全な存在そのものが、観念を与えたと考えるしかない。
ゆえに、神は存在する。
ここから「霊魂」へ飛躍する
さらにデカルトは踏み込む。
もしアナタの精神が、
無限なる神を把握できるほどの能力を持つなら、
その精神は単なる物質の運動では説明できない。
引用にある通り、
精神は物質(肉体)を超えた、非物質的な存在でなければならない。
ここから、
神の存在
精神(霊魂)の存在
心と身体の区別
という二元論が立ち上がる。
アナタの中にある「二つのもの」
アナタは普段、
体が疲れる
でも心はまだ動ける
と感じることがあるはずだ。
この感覚を理論化したのがデカルトである。
身体は物質。
精神は非物質。
思考するもの(精神)と、広がりを持つもの(物体)は別である。
この区別は、近代科学の発展にも大きな影響を与えた。
しかし、本当に証明になっているのか?
アナタはここで疑問を持つかもしれない。
完全という概念は、単なる比較の産物ではないのか?
無限は、有限の延長として想像できるのではないか?
実際、この神の存在証明には多くの批判がある。
だが重要なのは、
デカルトがやろうとしたことだ。
それは、
理性だけで世界の基礎を築こうとする試みであった。
結論──理性の極限まで進んだ結果
デカルトは疑いから出発した。
すべてを疑い、
それでも確実なものを探した。
その過程で、
神の存在
霊魂の存在
にまで到達した。
アナタがこの推論を受け入れるかどうかは別である。
だが確かなのは、
理性を徹底すると、神と霊魂にまで到達してしまうことがある。
そこに近代哲学の大胆さがある。
そしてその大胆さは、
今もなお、アナタの思考を揺さぶり続けている。
↓<引用文献>
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