左右対称の罠
夜、デスクに向かう私の視界は、常に一定の秩序に支配されている。
ディスプレイはデスクの真ん中に鎮座し、左右のスピーカーは寸分の狂いもなく同じ角度でこちらを向いている。
「新聞紙(しんぶんし)」
「竹藪焼けた(たけやぶやけた)」
どちらから読んでも同じ意味を成す「回文」を愛するのは、私の脳が、完璧な対称性に最も深い安らぎを覚える仕様だからだ。
しかし、その美学が、ある日突然牙を剥いた。
敵の名は「簿記」。
右と左が必ず一致するという、究極の対称性を持つシステム。
ロジカルなはずの技術脳にとって、それは一瞬で解けるはずのパズルだった。
ところが、私のコンパイラは、開始1分で致命的なエラーを吐き出した。
「借方」「貸方」
このネーミングが、私の直感と真っ向から衝突するのだ。
「お金を借りていないのに、なぜ資産が増えたら『借方(左)』?」
「貸していないのに、なぜ資本が増えたら『貸方(右)』?」
意味の繋がらないラベルのせいで、脳内の処理はフリーズする。
まるで、中身と名前がバラバラな整理されていないフォルダを無理やり覗かされている気分だ。
さらに追い打ちをかけるのが、インターフェースの乖離である。
銀行通帳という名のUIでは、お金が増えれば右側に記録される。
しかし、バックエンドである仕訳帳に潜った途端、お金が増えたら左側に書かなければならない。
UIと中身で、ルールが逆転している
そう叫びたくなるが、会計の世界ではこれが「仕様」なのだという。
「昔からの習慣です」という説明は、私のような特性を持つ人間にとって、最も受け入れがたいバグだ。
理由のないルールほど、この世に不愉快なものはない。
ここにもうひとつの特性がスパイスとして加わると、事態はさらに悪化する。
構造は理解できても、入力という単純作業で、どうしても「1円」という名のノイズを混入させてしまうのだ。
左右が合わない。
差額は、わずか1円。
この1円を探す作業は、広大な砂漠の中から落としたコンタクトレンズを探すようなものだ。
そこにはクリエイティブな興奮など1ミリもない。 ただただ、脳のエネルギーを削り取る無限ループ。
今、人間の組織という複雑なシステムを動かすようになった私は、もう自分の脳を力技で書き換えようとはしない。
その代わりに、テクノロジーでその「仕様」を殴ることに決めた。
自分の手で仕訳はしない。
APIを連携させ、プログラムを走らせ、面倒な入力を自動化の影に隠してしまう。
数字を平面の表ではなく、資金というエネルギーが循環する3DCGのような立体構造として捉え直す。
すると不思議なことに、あんなに嫌いだった簿記が、会社というマシンの健全性を測る「最強のデバッグ・ツール」に見えてきた。
もし、あなたも今、世の中の「当たり前」という仕様に苦しんでいるのなら。
それは努力不足でも能力の低さでもない。
ただ、あなたの脳のプロトコルが、その古いシステムには高度すぎて適合しないだけなのだ。
完璧な記帳を、自分だけの力で目指すのはやめよう。
代わりに、不器用な自分を乗りこなすための、自分だけの武器を手に取ればいい。
左右非対称な日々を、テクノロジーという名の対称性で整えながら、私はまた、自分だけのコードを書き続ける。
不完全な日常の、愛おしいエラーを楽しみながら。
#ADHD #ASD #大人の発達障害 #特性は仕様 #元技術者 #経営統括 #自分を愛でる #凸凹 #ショートエッセイ #簿記 #複式簿記 #貸借対照表 #帳簿 #確定申告 #申告はお早めに
