【映画】「撃たれた自由の声を撮れ」感想・レビュー・解説
まったくホントに信じがたい世界だなと思う。で、「世界は面白半分に見てるだけ」というラシュミンの言葉を、僕らは真剣に受け取らなければならないだろう。「世界は味方だと思ってた」「これだけ声を上げているのに、誰も私たちの声を聞かない」とカメラの前で語る彼女に、僕らは何か言えるだろうか?
2021年にアフガニスタンから米軍が撤退し、20年ぶりにタリバンが実権を握った。そしてそれによって女性たちはあらゆる機会を奪われる。学問、文芸、良心、理性、仕事、パン、教育。女子の小学校は閉鎖され、学校に行けないことを理解した子どもは鬱になり、8年生はタリバンの妻になる。小さな子が泣きながら「どうかタリバンをやっつけて下さい」と神に祈る。それまで当たり前にあったありとあらゆるものが、するすると奪われていく。
そんな世界で、若い女性たちが命をかけて立ち上がる。本作は、そんな女性たちが抵抗する姿をスマホの隠し撮りで捉えた作品である。映画の冒頭で、「危険をおかしてスマホで単独で撮影しているため、本作は音声と映像に乱れがある」と表記される。これだけでも、ギリギリの状況で撮影されたものだと理解できるだろう。
さて、本作で映し出されているのは、タリバンが実権を取り返してすぐの頃である。そして恐らく、今よりマシなのだと思う。映画のラストでは、「デモに参加した女性たちの拘束や、限りなく長い刑期など、彼女たちを取り巻く状況は過酷さを増している」みたいな表記がなされた。本作で映し出されているデモでは、ラシュミンやナスタラン(2人は姉妹である)らが銃を持つタリバン兵に向かって「20年前のタリバンから見て、今が最低だな!」と声を荒げたりしている(これに兵士は淡々と「それがどうした」と返している)。これも相当決死の状況ではあると思うのだが、それでもまだそういうことが出来ていたとも言える。しかし恐らくもう、そんなこと不可能なのではないかと思う。
本作では状況の説明はほぼなされないので、良く分からないことは多い。ラシュミンがナスタランにカメラを向け「タリバン政権に変わってから何を喪った?」みたいに聞く場面があるが、そこでナスタランは「留学から帰ってきたら……」という話をしていた。留学から戻ってきたらタリバン政権に変わってしまったのか、タリバン政権に変わったから留学先から引き戻されたのかなど、そういう細かい状況は不明だ。ラシュミンに関してはナスタラン以上に情報が少なかったように思う。とにかく本作は、「その当時に撮影した映像」を繋ぎ合わせることでその時の「リアルな空気」を凝縮しているような感じだった。
また、これも全然分からなくて鑑賞後に調べたが、作中にBBCのニュース映像が挟み込まれる。タマナ・ザリャビ・パリヤンという女性がスマホで撮った映像が流れ、「このドアは絶対に開けない」と言っている様子が流れていた。どうも彼女は、デモに参加したことでタリバンに自宅を襲撃され、その後拘束・拷問を受けたのだそうだ。他にも状況はよく分からない映像は色々とあるが、そういう状況の詳細よりも、その時の空気感や感情を優先するような作りになっているなと思う。
しかしホントに、よくもまあこの映像がちゃんと残っていたものだよなと思う。本作のラストに、ラシュミンらがどうなったのかが付記されているが、その話を知ると、撮影していたデータが失われてしまっていてもおかしくないようにも思う。本作はザイナブ・エンテザールという女性が監督で(撮影もしていたようだが)、彼女が亡命先で映画として完成させたのだと思うが、大体の映像はラシュミンが撮っていたように思うので、ラシュミンかザイナブがどうにかデータを持ち出したのだろう(アフガニスタンで、外国資本のクラウドとかが使えるなら話は別だろうけど)。
で、本作を観ながら僕は、以前観た『娘は戦場で生まれた』という映画を思い出していた。シリアに夫と共に残った女性ジャーナリストのワアドが、戦火の中で出産をしつつ、爆撃され続けるアレッポの街で耐え続ける様を記録した映画である。
あるいは、『手に魂を込め、歩いてみれば』という映画も観た。ガザ地区に自らの意志で留まった女性フォトジャーナリストが、フランスに住む女性監督と1年に渡り、切れそうなWi-Fiでどうにか通信をしながらやり取りを続けた様子を記録した映画である。ファトマというその女性フォトジャーナリストは、2025年4月16日にイスラエルによる空爆で命を落とした。
しかし、本作『撃たれた自由の声を撮れ』は、『娘は戦場で生まれた』『手に魂を込め、歩いてみれば』とは少し違う。ワアドもファトマも、極限の厳しい環境に置かれてはいたが、彼女たちには選択肢が存在した。ワアドもファトマもそれぞれ、シリア・ガザ地区を出ることは出来たし、また、ジャーナリストという職業を選んで活動を続けることも出来ている。
しかし、ラシュミンもナスタランもそうではない。本作の公式HPには、「女性が教育を受けられない唯一の国、タリバン支配下のアフガニスタン」と書かれている。彼女たちは確かに、「タリバン兵に撃たれるかもしれない/拘束されるかもしれない」という恐怖はあるが、空爆に晒されているわけではない。”何もしなければ”、命は安全だ。しかし、自由がない。学校からも職場からも追われ、彼女たちは家に閉じ込められている。
これは、ワアドやファトマとはまた大きく違った状況にいるなと思う。
しかしタリバンが一体何を考えているのかはマジで理解できない。イスラム教だっけ? 何か教えに基づいているんだろうが、僕には「それがどうした?」としか思えない。正直僕には、日本で「男系天皇」「夫婦同姓」にこだわっている人にも同じような感覚を抱いてしまう。「それがどうした?」しかない。レベル感はまったく違うが、僕にはどちらも同じ「狂気」に感じられるし、それにどんな意味があるのかまったく理解できない。別に「男女平等が世界標準なんだから合わせろよ」なんて思っているわけではないし、「コーランにそう書いてあるから」以外の合理的な理由があるならまだ受け入れる余地は(少なくとも僕個人は)あるが、恐らくそんなものはないだろう。だから僕にはイカれているとしか思えないのだ。
ただ、本作を観ていると、たぶんヤバいのはタリバンに限らないんだろうなと思う。
誰だったか忘れたが(本作で印象的なことを口にしているのは大体ラシュミンだと思っているのだが)、こんなことを言っている女性がいた。
【私たちの闘いは家庭から始まる。父親と兄弟を敵に回すことからすべてが始まるのだ。】
意味が分かるだろうか? 要するに、タリバン兵だけではなくアフガニスタンの男は全般的に「女は家のことだけやってろ。他のことは何もするな」と考えているということだ。だから、デモに参加するにはまず、父親と兄弟を敵に回さなければならないのである。
ただそれではやはりデモの輪は広がらないだろう。ラシュミンが電話でたぶんナスタランと「デモの集合時間」についてやり取りしている映像があったのだが、その中で「夫が仕事に出かけた後じゃないと家を出られない」みたいな話が出ていた(そういう発言をする女性が多い、みたいなやり取りだったと思う)。だから、多くの女性が参加しやすいように集合時間はちょっと考えよう、みたいな話をしていた。ラシュミンやナスタランのように自ら先頭に立って堂々とデモを主導する者もいるが、やはり多くは、父親(夫)や兄弟と対立してまではデモに参加できないのが実状なのだろう。
ちなみに、ある場面ではラシュミンがデモ参加者1人1人に電話をしていた。なんと、スパイが彼女たちのデモの集合時間・場所を知り、さらに偽情報を流しているというのだ。だからラシュミンは全員に「時間と場所の変更は無いよ」と伝えていたのだ。ホントに禄でもねぇよなと思う。
またこんな話もしていた。「男は捕まって釈放されても『自由のために闘った』と思われるが、女性は捕まって釈放されても、あるいは殺されても、家族の恥でしかない」のだそうだ。マジで意味が分からなすぎる。
しかしそれでも彼女たちは声を上げ続ける。理由については色々と語られていたが、まずは「口を噤んでいたら『不満はないんだな、幸せなんだ』と思われるだけ」というのがある。恐らく母親にだろう、ラシュミンとナスタランがそんな風に力説している場面があった。
そしてさらに「自分のためじゃない。次の世代のため」という感覚も強くあるようだ。そしてこの点に関してはさらに突っ込んでこんな発言をしている場面もあった。
【20年前に母たちの世代がデモをしてくれていれば、今私たちが闘わずに済んだ。】
これは直接母親に言っていたのではなく、車に乗っている時にカメラに向かって言っていたんだと思うが、ラシュミンはそういう感覚を抱いているようだ。まあ確かに、理屈はそうだろう。ただ、ラシュミンのように立ち上がれる人はそう多くはない。母親世代を責めるのもまた酷というものだろう。
あと、彼女たちの発言で印象的だったのが、こういう趣旨のものである。
【いつかアフガニスタンから女性がいなくなって、誰も声を上げられなくなっても、決してタリバンを認めたわけじゃない。】
【この沈黙は強要だ。合意ではない。】
この言葉は僕たちにも向けられていると言っていいだろう。誰も声を上げなくても、まったき沈黙だとしても、それは許容を意味しない。となれば僕らは逆説的に、「沈黙からも声を拾おうとすべきだ」とも考えるべきだろうと思う。
タリバンはアフガニスタンの女性たちの声をどんどんと奪おうとしている。やがてアフガニスタンの女性は沈黙してしまうかもしれない。そうならないためにも、アフガニスタンから命からがら届いた本作を観て、僕らは何かしなきゃいけないんだよなと思う(とか毎回書くが、じゃあお前は何かするのか? と言われるとしないし、偽善でしかないよなとも思うのだが)。
そしてさらに言えば、アフガニスタンに限らず、強者が弱者の声を奪おうとすることなどどこの世界でも起こっている。だから僕らは、声が届いたところにも注目すべきだが、同時に、まったく声が上がらないところにも目を向けるべきなのだろう。もしかしたら、そちらの方がより酷い状況に置かれているかもしれないからだ。
こういう作品を観ると、なんというか「平和な国で男として生きている」という事実になんとなく後ろめたさを感じる。もちろん、日本国内にだってまだまだ男女の不平等は色々あるし、問題は山積みだ。しかしそれでも、異次元レベルで酷い状況に置かれている存在を認識すると、何をどう考えていいか分からなくなるよなと思う。
そんな、世界の圧倒的な酷さを体感できるドキュメンタリー映画である。
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