【映画】「バックルームズ」感想・レビュー・解説

話題作だから、という理由で観る映画を決めることはほぼないが、本作は珍しくそういうタイプのセレクト。なのだけど、観る前の時点で「僕には合わなそうだなぁ」とは思っていた。何度でも書くが、僕は基本的にストーリーに興味があるので、「映像のインパクトが」とか「音楽・衣装が素敵」みたいなことはあまり興味がない。で、なんとなく本作『バックルームズ』はそういう系統な気がしていたので、そこまで期待はしていなかった。

さて、全体的には面白かったかなと思う。決して悪くはなかった。2時間強ぐらいの作品(エンドロール後の映像も込みの上映時間なのかは不明)で、そのほとんどの時間、結構惹きつけられたなと思う。

ただやはり、僕の基本的な興味は「この空間は一体なんなん?」ということであり、本作ではそれが「いやー、結局分からないんだよ」みたいな感じで終わってしまうので、そういう点は「うーん」という感じである。

というか、相変わらず僕は設定とか背景を全然知らずに観に行くので、本作の「バックルームズ」という設定が、「英語圏で生まれた都市伝説」ということも知らなかった。なるほど、日本でいう「きさらぎ駅」的なものなんだろうなぁ。で、その都市伝説をベースに映像化されたというわけだ。この事実を知って観れば、「いやー、結局分からないんだよ」みたいな展開でも違和感を覚えることはなかっただろう。「何も知らずに観に行く」というやり方は概ねメリットの方が大きいと僕自身は感じているが、本作は事前情報を多少は知ってても良かったかもしれないと思う。

まあそんなわけで、本作がその「既存の都市伝説」にどこまで寄せているのかみたいなことも知らない。まあその辺りのことは僕の関心外なので、気になる人は自分で調べてほしい。

さてそんなわけで、本作は「バックルームズっていう謎の空間がありますよ~」というだけの作品である。まあでも、そう考えると凄いな。人間関係的な要素も多少は描かれるのだが、基本的には「よく分からない謎の空間で色々起こる」というだけの話である。それで、「バックルームズという都市伝説」のことをまるで知らなかった僕のような人間も惹きつけるものに仕上がっているのだから、それはちょっと凄いなと思う。

そんなわけで、ストーリーらしいストーリーはない。ただ、「バックルームズとは何なのか?」に一定の示唆を与えるためだろう、「家具店の店主」と「セラピスト」の物語がちょいちょい挿入される。「恋人(妻だっけ?)に逃げられた家具店店主がセラピストに相談している」という関係にあるのだが、それに加えて、「家具店のスタッフとの関わり」や「セラピストの幼少期のエピソード」などもある。ただこれらは別に、作中においてそう重要な要素ではない。

重要なのは、「クラーク船長の家具帝国」という名の家具店の地下に、バックルームズへの入口があるということだ。その入口をたまたま見つけてしまったクラークは、見つけた日から毎晩そこへ入っていっては探索を続けている。彼は元々建築家になりたかったようで(セラピストには「今でも建築家だ」と言っていたが)、そういうこともあってこの謎の空間に対する関心を強く抱いたのだろう。

この謎の空間は、まず「壁紙が黄色」という特徴がある。壁だけではなく、天井や床も黄色だと思う。これはどうも、都市伝説の設定を踏襲したもののようだ。で、その内部は、「部屋」として機能させるつもりのないような構造になっている。メチャクチャ小さな通路を通らないと隣の部屋に行けなかったり、ドアノブが3つも付いていて正しいものを回さないと扉が開かなかったり、1つの部屋にまったく同じソファが敷き詰められ身動きが取れなかったりする。どこまで歩いても先がずっと続いており、クラークは地図を作りつつ探索を続けるが、調べ終わる感じはしない。そして、人の気配は全然ないのだが、時折、どこからやってくるのか鳥が飛んできたり、あるいは人なのか何なのか分からない存在の声やら気配やらが漂ったりもする。

というような空間である。

で、「怖っ!」みたいな展開もちょいちょいあるのだが、別に頻発はしない。そもそも部屋はずっと明るいし(暗い部屋もあるが)、隠れるような場所もそう多くないので「突然飛び出して来てびっくり」的なこともあまりない。

だから、時々あるそういう「怖っ!」的な状況を除けば、基本的には「なんとなく不穏な空間を、ビクビクしながら動き回っている」みたいな映像が続くという感じである。全体の6~7割はそういう映像だと思うので、これが面白いと思えないと本作はキツイだろう。良し悪しの感じ方は大分人によるだろうなと思う。

で、「じゃあこの空間は何なのか?」ということだが、まず、作中では明快な答えは提示されない。が、随所で「記憶」というキーワードが関係してくる。クラークがある場面で明白に「これは間違った記憶なんだ」みたいに言う場面もあるし、「クラークの記憶が反映されてるんだろうなぁ」みたいな雰囲気も結構あった。

「クラークの記憶が反映されてるんだろうなぁ」というのは、彼が地下の入口から入ったバックルームズの雰囲気からそう感じられた。「バックルームズの入口は様々な場所にある」と示唆されるので、見つかっていないだけで色んなところから入れるという設定なんだと思うが、本作では基本的には、クラークの家具店の地下から入れるバックルームズが描かれる。

そしてそこには、色んな家具が置かれていたり積み上がったりしているのだ。これはたぶんだが、家具店の入口から入ったからそうなってるんだろうなと思う。別の入口から入れば、全然別の風景になっているのだろう。だから、ここにはクラークの記憶が反映されているんだろうなと感じた。

いや、「クラークの記憶」というのは正しくないか。より正確に言えば「場所の記憶」なのかなと僕は解釈した。

冒頭で、「クレストリッヂタワー建設予定地」という看板と共に、ある一軒家が解体される様子が映し出される。人の顔をあまりちゃんと認識できないので自信はないが、恐らくこの家は、カウンセラーのメアリーが幼少期を過ごした家で、そしてメアリーが大人になってから解体されているのだと思う。で、「空間」としては「メアリーの家」から「クレストリッヂタワー」へと変わっていくことになる。しかし「メアリーの家だった」という記憶が、その場所に残るのではないか。そしてその「場所の記憶」が「バックルームズ」という形で繋がっていくのではないかという気がする。

つまり「バックルームズ」は、「場所の記憶の集合体」みたいなものではないかと僕には感じられた。

そして「記憶」だからこそ歪んだ形で残っているのだろう。「思い出補正」でも「記憶違い」でも何でもいいが、「記憶」は「現実・過去」と完全には一致しない。しかも同じ場所でも、「メアリーが記憶している家」と「メアリーの母が記憶している家」とでは細部がズレるだろう。そしてそれらすべてを内包するような形で存在するために、バックルームズは奇妙な空間になっている。

みたいな設定で本作は作られたんじゃないかなという気がした。

で、観ながら「マンデラエフェクト」のことも思い出した。これは「多くの人が間違った記憶を共有している」という現象を指す(多くの人が「ネルソン・マンデラ元大統領は獄中で死亡した」と記憶していることからその名がついたそうだ)。有名なところで言うと、「ピカチュウの尻尾の先は黒い」というのがある。実際には黒くないそうだ。調べてみると「えっ?」と思うようなものもあるので気になる方は検索してみよう。

記憶というのは本来的にはズレるものだと思っているが、しかし、もしバックルームズみたいなものが存在し、記憶が「空間」として固定されているのだとしたら、その「固定された記憶」が”通常階層”(という言葉が本作に出てくる)を生きる人々に影響している、なんてこともあったりするんじゃないかという気がする。

あと、観ながらもう1つ考えていたのが、「バックルームズは誰かの脳内なのではないか?」ということだ。ドラえもんの道具に「通り抜けると身体が小さくなる」みたいなのがあるが、あんな感じで、バックルームズの入口をくぐった者は実はかなり身体が縮んでいて、誰かの脳内に入り込んでるんじゃないか、みたいな解釈である。「黄色の壁」というのもなんとなく、「脳」だと言われればそんな風に思えてくるだろう。まあ、そう考えた時に、本作で提示される色んな要素に辻褄が合うのかは知らないが、そんな風に考えても面白いんじゃないかなと思う。

で、一応書いておくと、僕は基本的に「明確に否定されない限り、どんなものも可能性は信じる」という立場を取っている。だから、宇宙人も未来人も透明人間もイエティもネッシーもいてもいいし、超能力やテレパシーみたいなこともあってもいいと思っている。バックルームズみたいなのも、否定するのは難しいよなぁ。あったら面白いよね。でも、僕なら絶対に中には入らないだろうなぁ。作中で、みんな結構バンバン入っていくのが信じられなかった(まあ、そうじゃないと話が進まないから物語としては当然だけど)。いやいや、怖すぎでしょ!

個人的にはもう少し「バックルームズって何なん?」という点に関する要素が多いと良かったなと思うが、まあ全体としての満足度は割と高い。ちなみに、本作では冒頭で「エンドロールの後も映像が続きます」と表示される。で、これが、どれぐらいかなぁ、体感では10分弱ぐらいはあった気がする。ここまで長い映像がエンドロールの後に流れる構成は観たことないなぁ。まあ、「エンドロールの前に流せよ」って声もあるだろうけど、この映像は確かに、本編とは直接的には繋がらない感じがあるし、「エンドロールで一旦区切って流す」というのは悪くない構成という感じがした。

あとそうだ、書き忘れてたが、本作は1990年が舞台なのだが、恐らくそれは「ビデオカメラの画質が悪い」かつ「一般人によるCG加工が不可能」という要素が必要だったからじゃないかなと思っている。逆に言えば、誰もがスマホで綺麗な映像が撮れて、かつ、CG的な加工も割と容易に出来てしまう現代では、モキュメンタリー的な雰囲気も醸し出される本作のような物語の舞台には相応しくないんだろうなと思う。技術の進歩は、新たな価値や創作をもちろん生み出すが、同時に消し去ってしまうものも結構あるよねと思う。


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