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69. 記憶のにおいをたどって

においは、記憶に直結する、不思議な五感の一つだ。

新しい商品が並ぶ百貨店を歩いていると、ふいに、かつてアパレルのアルバイトをしていた頃をはっきりと思い出すことがある。

そこには、親切な先輩同僚がいた。先輩とは毎回昼休憩に一緒に大豆料理レストランに行った。そこにまさかの高校時代の友達が働いていて、連絡交換してメールをよくした。
他にも、すごく大人びたお姉さんがいて、いつも休憩ではタバコをふかしてたり、
言葉遣いの丁寧な同い年の男の子がいて、
そして、イケメンすぎる副店長がいた。
店長は厳しく仕事ができる女性だった。
とにかく楽しい職場だった。

もう何年も前のことなのに、においをきっかけにすると、そこにいた人たちまで鮮明に浮かんでくる。

シーンは変わる。小学校の給食のにおい。

ふとしたとき、厨房から流れてくる、給食のようなにおいに道中出会うことがある。レストランや喫茶店とは少し違う、あの独特のにおいだ。

その懐かしいにおいに出会うと、とたんに、もうおぼろげになっていたはずの記憶が駆け抜けていく。もう会えないはずの小学校の友人たちが、鮮明に浮かぶ。

ボールを投げては拾いに行き、
「かーらーすー、なぜなくのー、カラスの勝手でしょー」とみんなで歌って、
ひとりが肩を叩けば終わらないちょっかい合戦が繰り広げられ、
男子たちが、組み立て式筆箱を何かロボット戦士に見立てて「ガシャン、ウイーン、ドゥクシ、ヅクシっ」と擬音で戦い、
郷ひろみの「あーちーちーあーちー、燃えてるんだろーかー♪」を振り付け付きでエンドレスで歌い続ける男子を横目に、私たちは教室を駆け回り、
時にしつこい男子を怒ったり、
かと思えばぎゃははと大笑いしたり。
たまにはかなみちゃんと喧嘩もした。
それでも、また次の日には顔を合わせて、笑い合い、学校でいろんな課題に取り組んでいた。

あの頃は、それが当たり前だった。

そんな記憶を思い出した日は決まって、楽しかった小学校の友人たちと、何かしらに挑んでいる夢を見る。

夢の内容は、いつもへんてこりんだ。クラスメイトで、近所だった「まっちゃん」が何やら走り回っている。私のいる地面は、どんどん下に落ちていく。すごく怖い。遠くで「あおちゃん」が私の名前を呼んでいる。

そして、目が覚める。
白い天井がある。
そこに、二人はいない。

昔の友人たちは、今、何をしているだろう。どこで暮らしているのかさえ、今はもう知らない。卒業以来、一度も会っていないのだから当然なのかもしれない。それでも、においひとつで、私は彼らのいる場所へ戻ってしまう。

また明くる日、午後の街を歩いていた。

日照りのなか、マンションの植木の土を掘り起こし、苗木を整えている業者さんの近くを通った。すると、雨の前に香ってくるような、土の湿っぽさが、ふわっと鼻をくすぐった。

途端に、幼少期に公園で土遊びをした頃の、うっすらとした記憶が蘇った。

長い枝を持って、みんなでマグマが出るまで穴を掘っていたっけ。あの頃の私たちは、本気で掘っていた。

あの公園は、今はもうない。何十年ぶりに前を車で通りかかると、かつての公園はどこかの会社の駐車場になってしまっていた。周辺の建物もすっかり変わってしまった。

でも、確かにその公園はあったのだ。
長い枝を持って、マグマが出るまで地面を掘っていた私たちも、確かにそこにいた。
「まっちゃん」や「あおちゃん」は、元気だろうか。
ふと、思い出す。

人は、過去を置き去りにして生きていくものだと思っていた。子どもの頃の友人とは会わなくなり、住む場所も変わり、生活も変わる。かつて毎日のように会っていた人が、いつの間にか「昔の友人」になる。悲しくもあり、それが人生なんだと、いつしか知っていった。

でも、記憶のなかから完全にいなくなるわけではない。

においが連れてくる。
それは昔そばにいた人。それは一人でイヤホンをして聴いていた曲。その頃に交わしていたメール。昔住んだ街の景色。誰かと食べたもの。カフェでよく話した店員さん。

そういうものが、何かの拍子に数珠つなぎになって、ふたたび目の前に現れる。

亡くなったおじいちゃんと、赤とんぼを縁側で捕まえたり、もう会えない友人が学校で教科書を見せてくれて、それがきっかけで親友になった思い出が、昨日のことのように蘇る瞬間もある。

私は、孤独なときほど、いろんな人に頭の中で会い直しているのかもしれない。実際には一人でいても、記憶の中にはたくさんの人がいる。

そして不思議なことに、未来もまた、いつか記憶になる。これからの生活で出会うにおいも、いつか未来の私を過去へ連れていくのだろう。

今、通っている常連のカフェ。実家。友人たちと過ごす時間。一人で聴いている音楽。何気なく交わした会話。

そのときは何でもないと思っているものが、何年後かの私にとっては、かけがえのない記憶になっているかもしれない。

未来の私は、どんな場面を思い出すのだろう。どんなにおいが、今の私を連れてきてくれるのだろう。そう考えると、今という時間が少しだけ違って見える。

私たちは、思い出を振り返るだけではなく、毎日少しずつ、未来の思い出をつくっている。だから、瞬間瞬間を大切に生きていきたい。いつかの私が思い出すかもしれないと思って、ちゃんと味わっておきたい。

いつか、今とは違う場所で、一人になった私が、ふと懐かしいにおいを嗅ぐ。

その瞬間、今日の私が、記憶のなかから会いに来る。
地図にはもうない公園。
もう会えない「まっちゃん」や「あおちゃん」。
亡くなったおじいちゃん。
かつて職場にいた人たち。
その人たちと過ごした時間。
みんな、私の中にいる。

だから私は、これからも記憶をつくっていきたい。
未来の私が一人になっても、どうかきっと寂しくないように。

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