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立場を利用した甘えの構造(閲覧注意)

「あの子は出来ないんたから、優しくしてあげて。」
「理解できるほうが、理解が難しい人に話を合わせるのが良いんだよ!」


私は子どもの頃から、親の求めることを探してきた。
なぜお母さんは不機嫌なのか、なぜ怒られるのかー
ずっと考えてきた。

なんで責められているかわからないけれど、謝罪するほどに怒鳴られる。
泣くほどに生意気だと罵倒される。
どうするのが正解か、わからなかった。
自分を殴るフリをすればいい?
そこまで考えてやってみたこともあった。  

兄弟が大きな病気になり、矛先は益々私に向いた。
「なんであの子(兄弟)に◯◯してあげないの?」
「あなたは生意気でかわいくない。あの子は素直でかわいいのに。」
「あなたがあの子より症状が重いのはおかしいじゃない!」

その兄弟自身からもおまえは生意気だ、と暴言を吐かれた。
兄弟を好きでないあなたが冷たい、おかしい。
そんなことばかり家族に責められ、私は心身共に限界になり、うつがひどく起き上がれなくなった。
それでも、
「できるのに、やらない。寝ているのは怠けている」と攻撃を受けた。

今考えれば、「ちゃんと考えられる人が損をする」構造は家庭間にも、社会にもあるような気がする。
明らかに問題がある人のトラブルが表立つと、人々はそれに困惑され、ときにはその中で理解が出来る人にしわ寄せが来る。
理解してあげて、かわいがってあげて、と言われる。
しかし自分もいっぱいいっぱいで、まして重いうつ状態や無気力によって、動くことが不可能でも、「配慮しないのが悪い」と責められる。

さらには、このような人は親や(自分自身の)支援者本人のケア役にも立たされることがある。
愚痴を聞かされる、反対意見を言うと何故か(支援してくれるはずの支援者から)説教される、子どもの学歴を自慢される、境界線を無視される。
法的にどうかと思うことも平気でやる。
そして拒否すると、
「ごめんなさい。」「私がこうなってしまい、申し訳ないです。」という仰々しい謝罪のメールが、こちらが特に反応しなくても次々と送られてくる。
加害者と被害者が逆転している。
もちろん、支援してもらうためのお金は払っている。


こういった逆転現象(不安が強い人が、しっかりして見える人に甘える)は決して
「上司だから」「支援してくれる人だから」「医者だから」
あり得ないということはない。
頼るべき人に頼れるはずだろう、というのは幻想の場合も多い。
都合よく職務の権利を利用する人さえ現れるときもある。
もちろん、しっかり誠実に仕事をこなしてくれる支援者や上司、機能している家庭はあることが前提だが。

「人はみな平等」なんて幻想だと私は思っている。
平等ならこのようなことは起こらない。
甘えの構造はどこにでも起こり得る。
権威や地位を盲目的に信じてはならない。


未熟な人によって搾取される構造を逃れるために、なにが本質か、それはおかしくないか?と常に考えることが今の情報社会には強く求められている。












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