夜中のAMラジオってうっすら反社会的ですよね!
「盗んだバイクで走りたい」とか、「美術館に火をつけたい」とか、そういう反社会的じゃなくて――なんというか、「大衆」「みんな」「多数派」みたいなものをほんのりと身内の中で「アイツらほんと分かってないよね」とコソコソと言い合ってる感じというか。
僕は昔からやや変わった子だったようです。
小学生の頃はドラゴンボールには目もくれず、ハイスクール奇面組を読んでいたし(※当時ですら"懐かしい漫画"と言われていました)、好きなアーティストは嘉門達夫(※歌ネタ芸人。僕が小学生の頃ですら"懐かしい人"扱いだったように思います)でした。
なんというか、こじらせてたんですよね。
「メジャーな物は自分以外の意思で選ばされている気がする」「好きな物は自分で選ぶ」という考えが妙な発展をして、「メジャーな物は好きにならない」にねじれていました。
親が怪訝な顔して「みんなみたいに普通の曲聞いたら?」って言うから、ポルノグラフィティのCDをTSUTAYAで借りてみたこともあるんですけど、全然しっくり来なくてちょっと悲しかったです。
「何の曲聞いてる」「ポルノグラフィティ」「俺もポルノグラフィティ好き」みたいなことを人と共有出来る気楽さを羨ましく思いました。
親が望む"普通"に居場所が無くて、さりとて"特別"というほど特別じゃない。
そんな自分にとって、深夜ラジオで表現されている世間を茶化した笑いは衝撃的だったんですよね。
自分が最初に聞いた深夜ラジオは西川貴教のオールナイトニッポンだったんですけれども、「テレビとは全然違う世界が広がってる!!!!!!」みたいな衝撃だけは覚えています。
聞いたきっかけは忘れちゃいましたけどね。
深夜のラジオって恥とか嫉妬とか、社会に迎合できないことに対する自虐的な笑い――テレビなら切られそうな愚痴や、しょうもない嫉妬や、誰にも言わなくていい失敗談、世間への嘲り――が詰まっていて、ちょっと薄暗いじゃないですか。
俺には世間ってこう見えてます!!!みたいな。
こういう部分って笑いになるんだ!?出していいんだ!?わかりあえるんだ!?っていうカルチャーショックですよ。
それが中学生のときの出来事です。
そこから当時ラジオ大阪でやってた声優のラジオを聴いたり、林原めぐみのHeartful Stationを聴いたりして、「どうやらラジオは深夜が一番面白いらしい」というのを学習して、ANNを全部聴くようになって。
午前1時から3時まで聴いてたから、翌日の授業では普通に寝ていました。
そうして、僕の世間への迎合出来なさはエコーチェンバーみたいな形ですくすくと醸成されていきました。
その結果なのか、今でも世間を真正面から見 るのがちょっと苦手です。
仲の良い人と話していても、「これ、みんな気付いてないけど変ですよね?」 みたいな、斜めから面白がっている感じが言外から滲み出てしまうんですよね。
世間はそうやって見るものだと中学生の頃に学習しちゃったので仕方ないですね。
いや、本当はラジオのおかげで人生変わりました!ラジオ最高!ありがとう!!みたいなことが言えればよかったんでしょうけども。
ただ、僕にとってラジオって、どこまで行っても自分の中の小さな世界観にしか影響を及ぼさないし、聞いていたところでクラスの人気者にもなれないし。
うっすら反社会的で、自分の中だけで刺激的。
「みんな」には何の影響もないけれど、自分の中の小さな世界だけはちょっと面白くなる。
ラジオって、そのくらいのものですよ。だからこそ大好きなんですけど。

