君と異界の空に落つ2 第75話
盆を少し過ぎたばかりの、暑い夏の日の事だった。
山神様との対話を経て生贄の問題を解決し、昔の集落の子供達をゆっくり供養していく、と、耀が”さえ”へと報告に行き、帰ってきてから数日だ。
それまで通りの日常を取り戻した耀はというと、朝は早く起床して瑞波に腹を祓って貰い、鶏小屋の扉を開き、瑞波に祝詞を唱え、お堂と庭を清掃し、お勤めをし終えたら、書物を読むか筋トレをして、善持が起きてくるのを待っていた。
空音(うつね)より譲り受けた集落の子供達は、そんな耀の周りに居たり、好きに境内で遊んだり。それなりに数も居るので互いに友を見つけるように、遊び相手に事欠かぬ様子で楽しそうにしていたか。
着ているものが全く違う、時代を感じる子供等だ。けれど、今は穏やかに、時折笑顔を見せながら、駆け回っている様子を見ると、耀の心も浮いてくる。こうして少しずつ彼らも彼らの心を癒し、満たされたなら次へ向かって逝くのだろう。その場所や機会を提供出来たと感じると、体は重いがそれなりに安堵を覚える耀だった。
さえのように一足飛びにあの世へ送ってはやれないが、自分なりに出来る事をしてやれそうだと思うだけ。それだけでもまぁ、意味がある。此れも修行で契約で、此の世に落ちた意義だから。全ては瑞波と番う為だが、落ちてきて良かった、と。他にも出来る事があるなら、幸い、と思う性格だ。
生者の供養は月に一度、三十日周期でやろうと考えた。彼女達が忘れられない子等を共に思い出すように。覚えていてくれるのが自分だけじゃないと思えたら、彼女達も少しは心を慰められるかも知れないからだ。
そうして共に来世を願い、心を癒していけるよう。自分が抱える迷った子等が、迷わず上に逝けるよう、あちらの心も癒やさなければと自然と思った耀だった。だから自然と、自然なままに、生活を続けていた風で、続けていくつもりでいるから”それまで通り”。流れていく日常へ、戻った、という感覚だ。
対する善持は別に寝坊する性格でも無いけれど、耀に比べたら大分ゆっくり起きてくる。顔を洗って養い子へと飯を食わせてやる頃は、すっかり辺りも明るくて気温も上がった後である。
二人で土地の恵みを頂くと、昼になるまで畑の世話だ。二人分の作物くらい一人で作れると善持は言うが、手伝いたいから手伝うのであり、人任せにする気は無い耀だ。畑仕事も立派な筋トレ。そして、作物の知識が得られる。今年は春先から寺の裏側を抜根して広げているし、そこも少しずつ耕して、畑を広げている二人であった。
折角、境内を小川が流れているのである。来年は小さくて良いから自分で田を作ってみたいな、と。畑仕事を手伝いながら、土地を自由にする権利を少し、善持に与えて欲しいから、仕事ぶりを認めて欲しい。そうした気持ちも少なからずあり、意欲的に働く耀だった。
あとは、丈弥が来てくれた事により、浄提寺での思い出が蘇ったものもある。辛かったけど、疲れたけれど、皆でやり遂げた田仕事だ。思い出に浸りながら、忘れるまいと想いを馳せる。それをやりたくて田が欲しい、耀の小さな欲求だ。
よく働けば腹が減り、昼を迎えて小休憩。善持は”一日三食”食うが、これは贅沢かも知れない。浄提寺も三食あったが薄い粥が主なので、量は二食以下というのが今考える”実態”だ。夏の短い時間とはいえ、都の大貴族の人達を、受け入れていたから”三食の文化”だったのかも知れない。
思えば、よくあれで、皆、育ったものである。まぁ、山に生えている山菜や木の実だったりを、食おうと思えばこっそりと食う事が出来たから、大きい大人もそれなりに居たのだろうと予想する。畑仕事をするような集団でも無い訳で、あれはあれで適量だった……かも知れない、と思うだけ。
何はともあれ、善持の”日常”。腹が減ったら飯を食う。故に三食出して貰える自分は何と幸せか、と。食に興味がある養い親の”趣味”だとしても、有り難い趣味なので、感謝を浮かべるだけである。
加えて此処は暑い土地であるので、養い親は昼から暫く働かない。集落の人等は働く人もあるようだけど、暑過ぎる日は皆一様に家に籠もるのだ。早起きの分の体力を取り戻すようにして、耀も少し昼寝をし、起きては書物を読み耽る。そうして陽が和らいだ頃、畑仕事の続きを行い、辺りが見えなくなる前に片付けて、夕飯の支度に入る流れだろうか。
先に仕事を切り上げて、夕飯の支度を始める善持より、少し長く働く耀は鶏を鶏小屋に入れたりと。寺の門に閂をして集落を眺めたり、何か問題が起きていないか、一応、辺りに気を配る。
体がべたべたしていれば井戸の水で体を拭いて、暑い時期は二日とおかず温泉へ。山神様の問題が解決した為だろう、もう善持は暗くなってから山に入るなとは言わなくなったし、後ろに神様が付いていなさるのなら、尚更だとも思ったようだ。飯の後に山の温泉に行くのを止められる事も無くなって、そこからは耀の自由時間となっていく。
大概は月明かりを頼りにし、剣術と武術の練習に入るけど、寝る前には朝と同じように祠を向いて瑞波へ祝詞を唱え、偶に友の訪れを楽しみ、丈弥とも会話を楽しむ風だ。夕方には子供達は自分の中へしまうけど、逆に丈弥は更に”自由”で、山の中へ修行に行くらしい。
どうも、さえに言われた通り、あちら側の存在に、耀より先に気付けなくては、と感じた為のようである。耀と瑞波の逢瀬を邪魔しないで済むのもあって、彼はそうした空気も読みつつ、夜の山へ消えていく。
ちゃんと空音に挨拶をしてから深山へ入るので、空音も空音で丈弥の事を見ていてやるような関係だった。朝方に戻った丈弥の顔で、彼の手応えを知る風だ。まだ数回しか目にしていないが、分かり易い顔だった。生きていた頃は距離があったが、段々分かってくるような。少しずつ親密になるようで、それも嬉しい耀だった。
そんな生活が始まって、僅か二、三日ばかりの頃だが、寺を訪れる人があり、対応に出た耀である。丁度、飯を食い終えた頃で、井戸で食器を洗っていた時だったから。頼もう、と声を掛けられる前に気付いた、という風か。
器を井戸の側に置き、手拭いで手を拭き立ち上がる。近付いてくる草履の音に気が付いて、顔を向けた人達だ。
「善持さんに御用ですか?」
寄ってきた童子をまじまじと見た人だ。
その人の隣には、以前、世話になった人が居た。あ、と思った様子を、相手も感じ取ったのだろう。覚えていたか、という顔で耀の事を見下ろした。
即座に「その節は……」と頭を下げた耀である。相手はそのまま寡黙な様子で、うむ、と頷いただけに見えたが、豊輝(とよあきら)様が見出した童子、流石だな、と考えていた。
意趣の異なる大人二人が並んだ様子から察するに、一人は九坂家からの使者であり、一人は畠中家からの使者だろう。寡黙な武士(もののふ)は九坂家の門弟であり、見た事の無い方は畠中家の類縁だ。桜媛(おうひめ)は本家筋の一人娘であるからに、そのように予想した耀だった。
「此度は耀殿に用事があり……」
初めて見る方の男が口にする。
「あぁ、ではついに。御成婚おめでとう御座います」
あちらの世界の古文で習った気がする。大慶に存じ奉り候、や、目出度き事と存じ奉り候、等と言祝ぎをするものだ。
自分には異言があるから、適切に翻訳されるのだろうけど、そういう言い方をするのだと考えるのも良い機会。それなりに丁寧に伝わったという事は、相手二人が驚く顔で耀(じぶん)を見たから想像できた。
「私が耀です。善持さんに伝えてきますので、暫しこちらで涼んでいて下さい」
はきはきと言葉を発し、きちんとした童子である。
かたじけない、と零した彼は、黙礼を返した男と共に、こちらと言われた井戸の近くに腰を下ろしたようだった。丁度、其処が木陰になって、椅子に出来る石があったから。お水もどうぞ、と言われたら、有り難い、と寄ってくる。
耀は手早く洗い物の残りを片付けて、家の中の善持へと報告に行く。旅装は部屋にまとめてあるので時間は掛からぬが、客人の訪れを告げ、留守を伝える義務がある。
その頃、善持は眠そうに床に転がっていたけれど、耀が出発すると聞き、男達に挨拶に出て行った。此の度はお声掛け有難う御座います、と。そのような挨拶をして、日頃の感謝も述べていた。
全くの御厚意で、剣術も体術も、習わせて貰っている”息子”である。その人達が実際に手解きをしている訳では無いにしろ、同じ集団の仲間として、宜しくお願いしたい気持ちがあるからだ。
正に善持の行動は親らしい気持ちに満ちていて、迎えに来た客人に、身元がまとも、と印象付けた。九坂の若と畠中の姫を、縁で結んだ童子である。あちらは知らぬが……と双方の使者が、よくぞうちの気難しい家長から、婚姻の是をもぎ取ったものよな、と。それぞれ感心の目で見られた事を知らぬ耀は、善持のおかげで知らぬうち、また一つ株を上げていた。
このような”まともな親”に育てられたから、相応に”まともな子供”なのだろう、と。梁籖(りょうせん)様が祝いの祝詞をこの子に譲る程だから……余り納得していなかった客人の一人だが、善持と耀の姿を見ると、成る程、成る程、と頷いた。
「では、暫し留守にさせて頂きます」
親に対してこれである。
きっちりと頭を下げて門を潜った子を見ると、「おう。お勤め、しっかりな」と見送る親の振る舞いだ。これ程、地方の寺にあり、立派な親子が居るものか、と。客人は慄くように善持に深く礼をする。
勿論、善持も耀も、少しだけ”盛った”感はある。しかし、これはいつもと違い、仕事に連なる出立(しゅったつ)だ。場が和んで良かろうと梁籖様が言ったとて、耀の中では立派な”仕事”、失敗はしたくない。縁のあるお二人をしっかり言祝ぎたい故に、もう出発の時分から、心意気が違うのだ。
それを目敏く察してくれた養い親だ。良い仕事をして来い、と、目の奥の心が語る。子供が大人の社会へと踏み出そうとする丁度の時期だ。俺が応援してやらないで、何が親か、と思った顔だった。
それでも、耀が出発して豆粒くらいの大きさになると、しゅん……と萎むように肩を落とした善持である。一人の生活は気楽なものだが、二人の生活の良さを知った。良さを知ると一人になるのは何とも物寂しい。
しかし、それはそれとして、帰宅した我が子の為に、美味い飯を作ろう、と仕込みを始めたその人だ。奮い立つようにして昼寝を返上し、裏山へ蕗(ふふき)を取りに行った。
手間はかかるが”あく”が抜ければ美味い食材なのである。帰って来るまで数日はあろう。今年の”あく”の抜け具合と、煮付ける時間の具合を測り、耀にうんと美味いものを食わせてやろうと考えた。
春先から夏の初めまで、何やら梅の木の世話をしていた耀だ。隣の柑橘の世話もしているようだが、先に梅の実を収穫していたか。いつもより大きく育ったそれを見て、素直に感心し、これは凄いと善持は思った。大きく育った梅の味にも興味があった。だから共に梅干しを仕込み、それの為に塩を使った。そろそろ手に入れねばならないか、と塩が入った壺を見て、醤油と味噌の為に育てているような、畑の大豆を見た人だ。
善持が寂しさを紛らわせるように、普段はしない仕事を始めた時分、耀は武士(もののふ)二人に挟まれ、緊張をした面持ちだった。
それは集落の子供達にも分かる程度には”異常”らしい。片方は真剣を佩(は)いて見えたし、片方の体の動きも怖い。剣を持たない男の方が、当然、易しく見えるのだけど、動きが何処か怖いというか、異様に思えた子供達だ。それは隙の部分になるが、勘の鋭い子供の方が、鈍くなった大人達より敏感だったという話。あれは近付いてはまずいと思って、寄りたい気持ちを押し込んだ。
耀もある意味、勘の部分を伸ばす最中の子供である。自分が普段から筋トレをして、肉付きをそれなりに気にしている所為もあるのだろう。本当にこの人達は、どちらも体がぶれないな、と。大きな憧憬(しょうけい)と共に、脅威も抱いた彼だった。
特に、柔らかい動きの割に、何処にでも合わせていけるような、体の動かし方をしている畠中の家の使者である。宗主である梁籖(りょうせん)に習っている耀だから、あぁ、俺が習っている動きの先は、この人に通じるものなのか、と。強い精神力を持ち、真剣も支配下に置く人と、隣に並んでいても臆する事がない。その心の先を感じて、自分が目標にする未来を重ね、繋がる貴重な縁に感謝した。
当たり前に九坂の家にも感謝をしている耀である。若君の豊輝(とよあきら)は印象の良い武人だし、その爺様も強く優しく、尊敬出来る武士(もののふ)だ。小柄だが、どの門弟にも尊敬されるそちらの使者を、わざわざ立てて送ってくれた恩を感じる。寡黙な所も格好(かっこう)良いが、簡単に人を殺める”鋼(はがね)”を手にしていても、傲る事なく淡々と仕事をする風だ。集落を抜ける間にそれらを感じ終え、此の人達は本当に強い……と、耀は緊張しながらも、自然体を装うように黙して歩き続けた。
玖珠玻璃(くすはり)の山へ通じる小川を通る時、「手を洗わせて下さい」と、水場へ降りた耀だった。共に「私も手を洗ってくる」と、降りてきた畠中の使者である。対して、頷くだけに留めた九坂の使者はというと、橋となる丸太の側で辺りを警戒するようだ。いつも通り”行ってくる”と手を浸し念を向け、友神に知らせを送ると元の道まで共に戻る。
二人の男の動きを見ながら、耀はすっかり感心をした。此の二人、全く異なる方向を向きながら、耀(じぶん)を中心に探り合いはするけれど、敵対する気は無いようで、周囲への気も抜かないらしい。
敵対してもどうにか出来る技量もあるのだろうけど。ふと、空音と戯れた恐ろしい夜を思い出し、出来るだけ二人に近付けるよう、精進しようと思った耀だ。
「耀殿は……」
「はい」
無言も苦痛では無いけれど、聞きたい事があるように畠中の使者が口を開いた。歩きながら”ちら”と見上げた無垢な童子の瞳を見ると、ぐっと唸るようにして僅かに怯んだ気配が滲む。
それを落ち着かせるように、さぁっと風が山道を駆けた。木々が広く枝を伸ばした日陰の道を、通り抜ける風の涼しさだ。少し伸びた黒髪が舞って、耀の端正な顔が際立つ。女の美とは異なる美。不覚にも”どきり”とした人だ。
「耀殿は良い足腰を持っているな」
言われた事が無い事を、言われて少し戸惑った。
その分、応えが遅れてしまうが、九坂の使者が間を繋ぐ。
「足腰だけじゃなく、腕も良いぞ」
袖を捲って見せてやれ、と、初めて聞いた声だった。
そちらの声に驚く顔も見てしまった耀だけど、畠中の使者は純粋に”耀の腕も見たい顔”をした。
「褒めて頂ける程のものでは無いと思うのですけれど」
苦笑しながら袖を捲って、そちらの方へ見せてやる。歩みは自然とゆっくりと。触りたそうに見えたので、そのまま歩みを止めていき、耀は畠中の使者の男へどうぞと腕を差し出した。
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