Bereal ⒈ 三面鏡の前にたつ
断ち切ってからじゃないと書けないと思ってた。でも今、何も断ち切れていないこの場所にこそ、わたしの“本当”がある気がしてる。
以前「愛のほしがり」というタイトルで、娘との葛藤の中から、私も愛を、母からの愛情を貪るように欲していたことを自覚し、欲しがることは恥ずかしいことではない、弱さではないというところまでわかったところで、少し平穏に見える生活を過ごしていました。
私自身も娘とのやりとりで負の感情に大きく振り回されることも少なくなって、そんな中でも自分の人生の軸になるようなビジョンも描けるようになり、それに向けて精力的に行動もし、成果も少しずつ感じています。
むしろ、この娘とのやりとりが苦しい時が多いながらも、新たな気づきに繋がることが多く、息苦しさを抱えながらも、そこに引きずられずに自分のしたいことを出来る限りやっていることは自信にも繋がっていっています。
ただ、やはり欲しがっていいと認めたことは、ただ私の深層への入口に立ったということで、まだドアすら開けてはいなかったのです。
そして、そのドアの前には三面鏡があり、そこに映るのは、私、そして私の母、娘。
そして真正面は「母としての私」だったり、右側は「娘としての私」、左側は「ひとりの人間としての私」でもあり。
一つの出来事が、私のあらゆる姿を、あらゆる角度から見せつけてくるのです。
ただここに今自分が立っているということ。
その姿を直視していること。
もう目を背けない、いや背けることができない、背けたくない私がいる。
娘の感じる不快感、そして絶望は私の過去のものでもあり、
今、私が感じる娘への憤り、愛したいのに愛せない葛藤に苛まれているのは、おそらく過去の私の母も感じたもの。
今の私は娘の今も、過去の私も、そして母も背負ってきたであろうものを三面鏡で一度にみている。
どこに視線を向ければいいのかわからない。
けれど、どの面からも視線を送られ、下を向くなんてできるはずがない。
その視線にそれぞれに真っ向から向かい合うと、いつのまにか絡まってしまったペンダントのチェーンのように、三者三様のそれぞれの感情が時空を超えて絡まり合って、解こうとすれば解こうとするほどドツボにハマっていく。そんな感覚すら覚えるほど。
けどね、私はもう決めてるんです。
必ずこのチェーンを、感情を解いて、胸にこのペンダントをつけて、深層へのドアを開き一歩進むことを。
娘とのやりとりのなかで、今の現実を受け入れられない日もある。
そんな自分が悔しくて情けなくてどうしようもなくて嗚咽し、鼻水垂らしながらぐちゃぐちゃに泣く時もある。
けれど、そこにも解くヒントがそこかしこにある。
一度解けたと思ってもまだ小さく固くなっているところもある。
それでも今、私はもう私を諦めたくない。
この全てが、私の生きた証であり、宝物だと、誇りだと胸を張っていたいから。
また少しずつ、私のこの軌跡をリアルに、綴っていこうと思います。
