Bereal2-1.ほどく(解く)ということ
先日、「Bereal2.母であり、娘であり、全て私」を書きあげた後、ふと我に返って考えた。
あんなに苦しくて、あんなに泣いて、それでも言葉を紡いで、なのに「私、これ、何のためにやってるんだろう?」と、ふいに思う自分がいた。
「ほどく(解く)」っていうことは、一体どういうことなんだろうと。
私はただ、このぐちゃぐちゃに絡まったものをほどくことに夢中になっていたけれど、どうしてほどきたいんだろうとぼんやり考えた。
感情を整理するためでもあるし、誰かに理解されたい気持ちもあるし、自分自身をもう一度信じたくて書いている部分もあるだろう。
でも同時に、「どうせ誰にも伝わらないかも」とか「わかってもらうことに意味はあるのか」とか、虚しさにも似た感覚が、すっと横から顔を出すときもある。
それでもなんで?と問い進めた先にあったのは、
「私はこうなんだなってところを知っていくこと」
私は不甲斐なさを感じてるんだなとか、
そういうのをパタンて見たくないって裏返さずに開いていく。
娘から映されて見えるものも。
私を通して見える母の気持ちも。
全部私のものだって。
私は「ほどく(解く)」という言葉にどこか希望を託していた。
けれど、それは過去をなかったことにすることでも、痛みを完璧に癒すことでもない。ぐちゃぐちゃなままの感情に「名前」をつけて、「わたしのものだ」と受け入れていくこと。
ときに見ないふりをしたくなるような感情に、「そうだったね」と言ってあげること。きっと、それが私にとっての「ほどく」なんだと思う。
そんな中、私は一番ネックに感じていた「愛したいのに愛せない」という受け入れがたい感情に一筋の光が見える出来事があった。
今朝、娘のためにお弁当を作りながら、ふと私は思った。
この猛暑の中、少しでも傷まないように。
娘がホッとできるように。
緊張しているだろう職業体験の合間に、少しでも「おいしいな」と思える時間が訪れるように。
ただそのことだけを思って、私は黙々と手を動かしていた。

甘い卵焼き、ブロッコリーのチーズ焼き、バジルチキン
そして、1番のポイントはおにぎりに挟まれている
胡麻団子。
そして思った。
私、愛してる。
この娘を、ちゃんと愛してる。
私の思い描く“愛したい愛し方”とは違うかもしれない。
でも確かに、私のなかの“愛”が、ここにはあるって。
どれだけ言葉で言えなくても、葛藤があっても、衝突があっても、私は私なりのかたちで、この子を守りたくて、今日もご飯をつくっていた。
そう思ったら少しだけ、自分のことを信じたくなった。
不器用でも、たしかにここにある、私の愛を。
この間も、15年来の友人に、今の状況を吐露したときのこと。
彼女がこう言ってくれた。
「私、遠からず近からずの距離だけど、かおりさんがどれだけ娘ちゃんのことを深く愛していたか、私、ちゃんと感じてたよ。」
他人である彼女ですら、そう感じてくれていた。
なのに、当の本人である私は、その愛を見失っていたんだなと気づいた。
灯台下暗しとはまさにこのこと。
それに私は、「愛している」か「愛していない」か、ゼロか百か、どちらかしか存在してはいけないような気がしていた。
どちらかを選ばなければいけないような気がして、ダメだと思うほうを排除しようとしていた。
もしくは、その間(あわい)で無理に中庸をとって、バランスを保とうとしていた。
全て私なのであれば、ゼロも百もどちらも私なんだ。
「愛してる」と思えない瞬間があっても、
「愛してる」としか思えない瞬間があっても、その両方が、まぎれもなく私の中に存在していた。
そして思い出したのは、娘ともお互いへの愛を感じる時間があったこと。
たとえば、まだ小さかったある夏の日。
外で遊んでいた私たちは、日陰のベンチでひと休みしようとした。
ベンチの半分は日陰、もう半分は日向。
私は迷わず、娘を日陰側に座らせた。
すると娘は、私に身を寄せながらこう言った。
「かあちゃ、ここ。」とトントンとベンチをたたき、
小さな体を少しずらして、私が日陰に入れるようにスペースを空けてくれた。
あのときの娘の気遣いや優しさが、今でも私の胸にあたたかく残っている。
そして、そんな時間を確かに私たちは分かち合っていたのだと、あらためて思い出す。
そんな思い出にじんわり胸が温かくなった矢先、また「うろうろ」という同じ言葉を2語続けるという娘にとってのNGワードを私が発言したことで、なじられ、一瞬で足元が凍り心が無になった。
毎日そんなことの繰り返しで、穏やかになったかと思えば、また揺さぶられる。
感情がジェットコースターのように行き来して、
ただ、ただ、消耗してしまう日もある。
もう勘弁してくれと、全てを投げ出してしまいたくなる日もある。
いや、正直に言えば、ほとんどの日がそんな日かもしれない。
でも、それでも私は、今日をどうにかやり過ごして、また明日を迎えている。
そんな自分を「えらい」と言いたいわけじゃない…?
うーん、正直言うと褒めちぎりたい。
スタンディングオベーションをしてもらって、舞台の真ん中でトロフィー持って涙しながら今支えてくれている人たちの名前をひとりひとりあげて感謝の意を伝えながら、今ここまで生きてきたことを誇りに思いたい。
だから、また続けていく。たとえ途中で立ち止まり、崩れ落ちても。
だからこそ私はここで私のリアルを書き続ける。

束の間のリビングでの休息にいれたカフェラテの
グラデーションにうっとり。
