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風蘭の花と爪楊枝

少し前にね、軒下の風蘭が咲いたんだ。

ただ、花が咲いたってだけの話なら、わざわざ改めて話すこともないんだけど、その花を眺めてたら、どういうわけか、ぼくが植物を育ててる理由、みたいなものを考え始めてさ。
それはとてもぼくらしいと思ったんだけど、その後に、自分の業の深さみたいなものに呆れちゃって。

今日はそんな話ね。

今年は早くに梅雨明けしたってのに、その日はどんより曇り空で、まるで梅雨に戻ったような湿気が充満してた。
ただ、北寄りの風が強く吹いていて、蒸し暑さだけは回避できてたかな。
先日くらいから近くの田圃の稲に花が咲き始めてて、イネ科アレルギーのぼくにとって辛い季節の到来となったわけだけど、そんな憂鬱を吹き飛ばすことが起きたんだ。

この4日前に、木炭に着生させてた原種の風蘭は開花してて、それで軒下には爽やかな甘い香りが漂っていたんだけど、その日は一段と強い香りがした。
期待に胸を膨らませて棚の中を覗くとさ、裏返した2号の素焼鉢に着生させている富貴蘭ー桂月ーの花が開花してたんだ。
9枚ある濃緑の堅い葉、昨年伸びて藻に汚れた緑色の根が4本と、今年伸びてきた白く美しい根が3本。そして株の中央あたりからグッと赤黒い花軸が伸びている。5本の花柄と花蕾。そのうちの4つが開いていた。
開いた花の花弁の根元には薄らと紫が混じっていて、上品で、それでいてどこか気品すら感じたね。
先だって咲いていた原種の風蘭は真っ白で可憐さが際立ってたけど、さすがは品種改良された園芸品種、花の大きさも2倍くらいあるから香りも強くてね、形、色、大きさ、香り、申し分なしって感じ。
ぼく的にはさ、着生状態で根も全部見えてるってのが、また、いいんだよ。

こんな育て方なのにちゃんと大輪の花になったってのはとても嬉しいよね。
それに、この鉢付けの形も悪くない。根が暴れ回る姿も楽しめるし、これが垂れ下がってくるのを待つ楽しみもある。株が真上じゃなく、斜め上に向いてるのも野趣味があっていいじゃない。
ただ、原種の風蘭と大きさが全然違うのは、やっぱり、園芸品種だからなのかな。それとも、何年も育てていて株が充実してるからなのかな。
原種の方は葉がせいぜい3~4枚なのに、こっちは9枚もある。その差は大きいのかもしれない。そうなるとさ、やっぱり、種を作らせるなら大きい株の方になるよね。
そんな風に考えながら、原種の風蘭と、富貴蘭ー桂月ーをテーブルに置いて並べて、ふと不思議に思った。

ここまでほぼ無意識で考えを進めてきたんだけど、なんでぼくは受粉させることを前提に考えてるんだろうってね。
花を楽しむなら、何も考えずに、今、目の前にある花を楽しめばいいし、葉や根の造形を楽しむにしたって、鉢を持ち上げ、360度から嘗め回すように観察すれば良い。
それなのに、ぼくは美しい花が咲いている鉢を置いて、別の株を持ってきて腕組みを始めている。

「なんでだ?」

今度はそのことについて腕組みしちゃってさ。
それで、ぼくにとっての植物は美しさを観賞する静的な対象ではなく、どう生きているのか分からない生き物という動的な対象で、ぼくにとって園芸とは、好奇心を満たす手段なんじゃないかって、とりあえず納得しといた。

そういや、今年の初めに「今年は株を充実させるために花を咲かせても我慢するぞ」なんて計画を立ててたんだけどさ、ダメだよね。2種類の風蘭を並べちゃうとさ、右手に爪楊枝を持って、花粉をほじくり始めちゃうんだ。
相変わらず、落ち着きがないでしょ。

ただ美しい花を愛でるっていう、風情のある大人になりたいよ。

――2026年7月13日の園芸日記より

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