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薬を出してくれない医師は、意地悪なのでしょうか——4時間で30人を診る診察室から

病院で「その検査は必要ありません」と言われて、納得できなかったことはありませんか。

「不安だから調べてほしい、と言っているだけなのに」
「どうして、こんなに渋い顔をされるんだろう」
「面倒な患者だと思われたのかな」

そう感じたことのある方は、きっと少なくないと思います。

今日は、その「断っている側」の話を書きます。
弁解に読めてしまうかもしれません。それでも、一度書いておきたいと思いました。


断りたくて、断っているわけではありません

私は循環器内科医として、日々外来で患者さんを診ています。

医療の本来の目的は、患者さんの困っていることを解決することです。
究極の他者貢献だと思って働いています。

だからこそ、悩ましい瞬間があります。

患者さんが求めているものと、医学的に必要なものが、食い違うときです。

たとえば、20代の女性が「胸が痛い、狭心症が心配です」と受診されたとします。

心電図にも血液検査にも異常がない。
喫煙、高血圧、糖尿病、家族歴などのリスク因子もない。
年齢や症状の出かたから考えても、狭心症である可能性は極めて低い。

このとき、造影剤を使うCTや、心臓カテーテル検査をするべきでしょうか。

私は「ここまでの結果から、これ以上の精査は必要ないと考えます」とお伝えします。

そして、押し問答になります。

これは極端な例に見えるかもしれません。
けれど、こういうことは日常の診療でよく起こります。

警備員を呼ぶことになった日

侵襲的な検査や治療に関しては正直強く断りやすい。
もっと難しいのは、薬です。

睡眠薬をこれ以上増やすと、決められた用量を超えてしまう。
夜中に転んでしまうかもしれない。
せん妄が出るかもしれない。依存につながるかもしれない。

そうお伝えしても、聞き入れていただけないことがあります。

そこから患者さんの口調が強くなり、
最終的に、警備員を呼ばなければならなかったことがあります。
苦情として記録に残ったこともあります。

正直に言えば、こたえます。

こちらは害を避けたくて説明しているのに、
その説明そのものが、拒絶として受け取られてしまう。

それでも私は、その日、薬を増やしませんでした。

なぜなのか。それを、ここから書きます。

理由のひとつめ:そのコストは、めぐりめぐって私たちに戻ってきます

日本の国民医療費は、令和5年度で48兆915億円。過去最高を更新しました。

この数字は、高齢化だけで説明できるものではありません。

日本の外来受診回数は、1人あたり年11.1回
OECD加盟国の平均は6.0回です。およそ2倍にあたります。

私は、これを日本の医療の長所だと思っています。
体調が悪いときに、安く、すぐに、誰でも医療にかかれる。
これは世界的に見て、本当に恵まれたことです。

けれど、長所は裏返しでもあります。

安くアクセスできるからこそ、「とりあえず検査しておこう」「薬をもっておこう」のハードルも下がる。

一回一回は、小さな金額です。
それが積み重なった先にあるのが、48兆円という数字です。

そしてその原資は、私たちが毎月納めている保険料と、税金です。

理由のふたつめ:検査も薬も、それ自体が身体に負担をかけます

これは、あまり知られていないことかもしれません。

検査には害があります。

造影剤を使えば、腎臓に負担がかかります。
CTを撮れば、放射線を浴びます。

ほとんどの場合、一回で身体を壊すようなものではありません。
けれど「必要がないのに引き受ける負担」に、意味はありません。

薬も同じです。

睡眠薬を増やせば、夜中に足元がふらつきます。
高齢の方が転んで骨折すれば、そこから寝たきりになることもあります。

眠れないという困りごとを解決するために出した薬が、
その方の生活そのものを奪ってしまうことがある。

だから私は、必要以上には増やしませんとお伝えするのです。

理由のみっつめ:本当の問題は、たぶん構造のほうにあります

ここまで読んで、こう思われた方がいるかもしれません。

「じゃあ、丁寧に説明してくれればいいじゃないか」と。

おっしゃるとおりです。そして、ここが一番苦しいところです。

私の外来は、4時間で30人を診る日があります。

単純に割れば、1人あたり8分です。
その8分の中に、診察も、検査の説明も、お薬の調整も入ります。

そして、患者さんにも予約の時間があります。
あなたを待たせているのは、前の患者さんです。
そして前の患者さんを待たせていたのも、そのまた前の方です。

もし1人の患者さんとのやりとりが数十分におよべば、
そのぶん、あとに続く全員の時間が削られていきます。

そして、時間がないという状況そのものが、医師の判断力を鈍らせます。

ここで「わかりました、出しておきますね」と言えば、
その場は3分で終わります。患者さんも満足されます。私も怒鳴られません。

おそらく、ほとんどの医師が知っています。
これは本当はよくないことだと、わかった上で、
そうせざるを得ない状況に追い込まれることがある。

つまりこれは、患者さんが悪いという話ではないのです。
医師が冷たいという話でもありません。

8分しかない構造の中に、両方が立たされている。
それが、あの押し問答の正体だと私は思っています。

需要に応えることが、正しさとは限りません

では、こう考えることもできます。

医師は患者さんの需要に、供給を合わせればいいのではないか。
求められたものを出す。それがサービスというものではないか、と。

けれど私は、それは違うと思っています。

想像してみてください。

もし、薬を出せば出すほど私の収入が増える仕組みだったら、どうでしょうか。検査をすればするほど、儲かる立場だったら。

私は、本当に自分がまっすぐでいられるだろうか?

実際、自由診療の一部には、そういう構造があります。
需要に応えるために供給するのではなく、
供給したいものがあるから、需要のほうを作り出していく。

不安を、あえて可視化する。
コンプレックスを、あえて言葉にしてあげる。

そして、その解決策を売る。

SNSを開けば、金融商品の広告と見分けのつかない医療の宣伝が流れてきます。
あれは本当に医療なのだろうか、と思うことがあります。

対等になることと、言いなりになることは違います

かつての医療は、パターナリズムと呼ばれていました。
医師が決め、患者さんが従う。主従の関係です。

これは長く問題視されてきました。
そして今は、患者さんと医師が対等な立場で、
治療方針を一緒に決めていく時代になりました。

私は、この変化に賛成です。

ただ、気をつけなければいけないことがあります。

対等になったつもりで、いつのまにか主従が入れ替わってしまうことがある。

かつては医師が決めていた。
今度は患者さんが決めて、医師がそれに従う。

向きが逆になっただけで、構造は同じです。
そしてそれは、対等ではありません。

それでも、私は出さないほうを選びます

ここまで書いてきて、自分でも思います。

言われたとおりに出してしまえば、どんなに楽だろうか、と。

怒鳴られることもない。警備員を呼ぶこともない。
苦情も入らない。外来も回る。患者さんは笑顔で帰られる。

折れたほうが、自分の身は守れるのです。

でも、そうやって無理な求めに応え続けていたら、
私は自分がやっていることを、本当に正しい医療と呼べる気がしません。

診察室を出たあとに残る、あのもやもやを抱えたくない。

正しくあろうとすることは、たぶん、そんなに立派な動機ではありません。
自分がいやな気持ちを抱えずに、明日も働くためです。

だから私は、板挟みであることを理由にはしません。
板挟みは、折れていい理由にはならないと思っています。

そのかわりに、私がやると決めていること

とはいえ、私が絶対に正しいわけではありません。

自分でわからないことは、調べます。
他の医師の意見を求めることも、まったくいといません。

自分の限界がわかっているからこそ、
これからも他の医師の経験と力を借りたいと思っています。

だから、私の説明に納得がいかないときは、遠慮なく言ってください。

セカンドオピニオンを希望されれば、お受けします。
他の病院にかかりたいと言われれば、紹介状も書きます。

それは負けでも、見放しでもありません。
あなたが納得して治療を受けるために、必要なことです。


最後に、ひとつだけ。

「検査してほしい」と言うとき、
その言葉の下にあるのは、たいてい不安なのだと思います。

不安は、検査では消えません。
異常なしと言われても、また別の心配が出てくるからです。

本当に必要なのは、検査そのものではなく、
「大丈夫だと思う理由」を、納得できるまで聞くことなのかもしれません。

もし次に診察室で「必要ありません」と言われることがあったら、
こう聞いてみていただけませんか。

「どうして必要ないと考えたのか、教えてください」

その質問には、私たちは全力で答えます。
それが、私たちが一番したかったことだからです。

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