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[古い日記] ライムに刻まれた地政学、あるいはインド洋の残響

2010年、春。学部の卒業論文審査という、人生最初の「知の洗練」はひとつの区切りをもたらした。指導教官からの辛辣な、しかし真っ当な批判を浴びた直後、私の思考はエミネムの鋭いライムを起点に、アフリカの歴史、そしてオバマ大統領のルーツへと飛翔していった。


アマチュアリズムとの決別

やっと、卒業論文の審査が終わった。 結果は、ほろ苦いものだった。教授たちのコメントは実に辛口で、「問題設定や結論の面白さに比して、分析ツールがちぐはぐだ」「用語の定義が甘い、繊細さが足りない」と、痛いところを突かれ続けた。

私は、よく理解していない理論(ラトゥールなど)を「知ったかぶり」で使いこなす、未熟かつ不遜なアマチュアだった。しかし、本物の素養を持つプロを前に、そのメッキは容易に剥がれ落ちる。これからの大学院生活では、この「わかったつもり」という甘えを捨てなければならない。そんな決意とともに、私は少しだけ「社会派」の視点で世界を眺めた。


エミネムが放った「神の一行」

そのきっかけは、後輩が教えてくれたヒップホップ界のレジェンドたちが集ったBETアワードの『The Cypher』という動画だった。モス・デフ、ブラック・ソート、そしてエミネム。DJプレミアのトラックに乗せて放たれるスキルフルなフリースタイルの中で、3番手のエミネムが終盤にこうライムした。

"I'm fxxkin' crossed between Usama, Darma, Obama and Dalai Lama~" (俺はウサマとダーマ、オバマとダライ・ラマの間で引き裂かれてるんだ)

単なる語呂の良さを超えて、この「ウサマ(・ビン・ラディン)」と「オバマ」を並列させるセンスに私は戦慄した。しかし、それは単なる偶然の韻(ライム)ではない。バラク・フセイン・オバマ。キリスト教国の首脳でありながら、イスラム教徒の名を持つ男。その名の背景には、壮大な「東アフリカ」の歴史が横たわっている。


東と西:アフリカン・アメリカンの断層

オバマ大統領を、いわゆる「一般的なアフロ・アメリカン」と隔てているのは、彼の東アフリカ(ケニア)の血である。

18世紀の奴隷貿易において、アメリカへの「供給地」となったのは主に西アフリカだった。地理的な効率性を考えれば、大西洋を越えるには西岸から運ぶのが合理的だからだ。そのため、多くのアメリカ黒人は西アフリカをルーツに持つ。彼らは瞬発的な身体能力に秀で、乳糖不耐症などの特質を持つ傾向がある。

対して、オバマの父の故郷ケニアがある東アフリカは、古くからインド洋を介したイスラム圏の貿易ネットワークの一部だった。東アフリカの人々は長距離走に秀で、アラブ商人との交流から早くにイスラム化した。オバマの父や祖父がイスラム教徒だったのは、このインド洋ネットワークの歴史的帰結なのだ。


スワヒリ語という「ハイブリッド」の皮肉

東アフリカとアラブ世界の結びつきを象徴するのが「スワヒリ語」だ。これは、アラブ商人と現地の人々が意思疎通を図る中で生まれた混成言語(ピジン・クレオール)であり、「アラブの語彙をアフリカの文法に当てはめた」ハイブリッドな言葉である。

興味深いのは、1960年代の公民権運動において、アメリカのアフリカ系の人々が自らのルーツの象徴として選んだのが、このスワヒリ語だったという点だ。映画『天使にラブソングを2』の少年が名乗った名も、アリーヤの名も、ミシェル・ンデゲオチェロの名も、スワヒリ語に由来する。

しかし、彼らの先祖の多くは西アフリカ出身であり、歴史的に見ればスワヒリ語圏とは無縁なのだ。いわば「ルーツへの憧憬と歴史的実態のズレ」が存在するわけだが、東アフリカの血を引くオバマが大統領に当選することで、歴史が一つに統合されたともいえる。そう考えると、エミネムが放ったあの一行は、まさにグローバルな歴史の結節点を撃ち抜いていたのである。


思考の「繊細さ」へ向けて

エミネムのライムに興奮し、オバマの系譜に帝国主義の爪痕とインド洋の貿易網を読み解く。こうした「知的な遊び」は楽しい。しかし、卒論審査で受けた指摘を思い出せば、これからはこうした洞察にも、より厳密な裏付けと「繊細な」用語の運用が求められることになるだろう。

バラク・フセイン・オバマ・シニアという、一夫多妻制と夢の間を奔放に生きた父を持ち、植民地時代の記憶を背負って生まれた男が、アメリカ大統領としてホワイトハウスに立つ。このようなパラドックスは、もっと深く、もっと精確に分析される必要がある。

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