【アキバ・リライト】#2/48「三か月前、秋葉原の裏通り」
「……NODE_03?」
「シッ! 声が大きい。誰かに聞かれたらどうするんだ」
ライトは姿勢を低くして立ち止まると、素早く視線を振り四方を警戒する。
道端には、中古PCのポップを物色するランチ上がりらしきサラリーマンが1人。
中央通りへ歩いていく尻尾を生やしたメイドが1人。
以上2名。四方を確認するまでもなかった。
平日のジャンク通りは賑わいとは無縁で、末広町の辺りまで来ると人気はほとんど無い。
ノートPCを持ち上げ、キーボードの底面を気にし始めたサラリーマンの様子をジッと監視し続けるライトの背中に、ユーゴは嫌そうな顔で問いかける。
「NODE_03ってアレですよね。都市伝説的な。ずっと昔の掲示板のネタでしょう?」
「静かにしろって」
「誰かがでっち上げた架空のWi-Fiスポット。80年代から稼働してたとか、NASAやらペンタゴンやらに直結してるとか」
「詳しいな」
うぐ、と口ごもるユーゴ。
立ち去るサラリーマンの背中を横目で見送りつつ、ライトはユーゴに向けてスマホを突き出した。
『アキバ・ジャンク掲示板』の深層スレッドに投稿された、一枚の不鮮明なスクショ。
「昨日の深夜、末広町付近。信号強度は最大なのに、どのプロトコルでも接続できない。しかもSSIDの後に、今までなかった『NODE_03』という識別子が付いてる」
ユーゴは目を細め、眉間にしわを寄せてスマホの画面を覗き込む。途端、その瞳がマニアの色に変わる。
「……ただの偽装ビーコンにしては、パケットの構造が妙ですね。これ、生きてるな。誰かが意図的に波形を隠蔽してる」
――釣れた。
ライトは込み上げる笑みをこらえ、目の前の獲物をタモにかける。
「オレは、こいつの『源流』がどこにあるか見当がついてるんだ。講義放り出して来た甲斐があったろ」
二人は、一本の路地の奥に佇む三階建ての古い雑居ビルの前に辿り着いた。
「……ここだ」
「確かに、ここからが一番信号が強い。……でも、不自然ですね」
ユーゴは、リュックから取り出した分厚い金属の箱を両手に持ち、その上面に据え付けられたゲームボーイのような単色画面とビルの窓を交互に見る。
「外から見た感じ、完全に空き家なのに」
ビルの入り口には、錆びついたテナント看板が並んでいた。
三階の部分だけが白く塗りつぶされている。
ライトは迷うことなく、建物の脇にある階段に踏み入った。
「ちょっと、ライト! 上がる気ですか? 不法侵入で通報されたら、今度こそ停学じゃ済みませんよ」
剣呑なフレーズが発せられるが、ライトはお構いなしに上がっていく。
「……わかってる。でも、ここなんだよ。ここになきゃ、おかしいんだ」
「何が『おかしい』んですか。……はぁ、もう。証拠だけ押さえたらすぐ降りますからね」
一段上るごとに、階段は硬質な音を立てた。
ユーゴは恐る恐るライトに続く。滞留した空気の、カビともホコリともつかない奇妙な臭いが鼻腔を衝き、尻がモゾモゾして横隔膜がキュッとせり上がる。
三階の踊り場に辿り着くと、ユーゴはポケットからスマートフォンを取り出し、アプリ画面からスペクトラムアナライザを起動した。
「……異常だ。2.4GHz帯でも5GHz帯でもない、規格外の波形がドアの向こうから漏れてる。しかも、パケットが手招きしてるみたいに規則的だ……」
ライトはドアノブに手をかけた。当然、鍵は閉まっている。
「ユーゴ、ピッキングとかできないか?」
「できるわけないでしょう! ぼくを何だと思ってるんですか。……待ってください、ドアの隙間に何か――」
ユーゴがスマホのバックライトで鍵穴付近を照らそうとした、その時だった。
コン、コン、コン。
階段の下から、硬質な音が響いてきた。
足音である。
「……ッ!」
「やばい、管理人か? 隠れ……隠れる場所がない!」
逃げ場のない踊り場で、二人は息を殺す。
足音は止まらない。
二階の踊り場も超え、迷いなく三階へと向かってくる。
覚悟を決める暇もなかった。
あっという間に三階へとたどり着いた足音の主は、二人が立ち竦む踊り場へとその姿を見せた。
階下から現れたのは、制服のスカートを揺らし、長い金髪を肩に落とした少女だった。
手にメニューボードを抱えた彼女は、驚くでも、叫ぶでもなく、三階のドアの前で固まる二人を冷淡な眼差しで見据えている。
「……見学ですか?」
心臓が跳ねる。
ライトも、ユーゴも答えられない。窮地に追い込まれた思考がオーバーフローし、言葉にならない声をそのまま発してしまう。
「え、あ、いや……」
「違うんですか。ここ、ずっと空き家ですよ。まさか……」
少女は微かに眉を寄せると、スカートのポケットから何かを取り出す仕草を見せた。
彼女の指先が、その『何か』の通報画面に向かうことを本能的に察知する。
「あ、そう! 見学だよ、見学! な、ユーゴ! 」
「そそそそう!そう! ここ、前から気になってて! テナント募集の紙が出てたから、ちょっと下見に! 」
必死の形相で「見学」を連呼する二人を、少女はしばらく無言で見つめていた。何かを握った手はまだポケットから出ていない。
「……ふーん。物好きな学生さんですね。ここ、事故物件って噂ですよ?」
「じ、事故物件……?」
「それでも見るなら、止めませんけど」
少女――姫生のーむは、呆れたようにため息をつくと、ポケットから1本の鍵を取り出し、
ドアノブの上のシリンダーに差し込んだ。
――カチリ。
最初から鍵などかかっていなかったかのように、ドアが音もなく開く。
「どうぞ。……満足するまで、見学していってください」
