【アキバ・リライト】#3/48「少女は夢を笑わない」
傾いた太陽が窓枠の影を細長く伸ばし、店内を琥珀色の光で満たしている。
焙煎の香りと湯気の粒子が光の筋の中で踊り、深みたっぷりに奏でられるジャズの音色は、時間の流れさえも解きほぐすかのようだ。
「ラボの向かいにこんな店があったとは」
「まだラボじゃないですけどね」
フロアの奥から聞こえる感慨深そうな声にすかさず突っ込みを入れたユーゴは、弄んでいたグラスをコースターに戻す。
底に残った氷が、からん、と快い音を立てた。
カウンターの奥からのーむがひょっこりと顔を出し、銀色のポットを手に取る。
エプロンを巻いたお腹で腰高のスイングドアを押し開けると、長い金髪を揺らしながら窓際のテーブルへと歩み寄る。
途中、フロアの最奥に居るライトの背中を一瞥して言った。
「冷めますよ」
テーブルには口も付けられていないブレンドコーヒーが一つ。寂しそうに湯気を立てている。
ユーゴの置いたグラスを手に取り、のーむは汗をかいたポットを傾ける。
ポットの底から滴った雫が床に置かれた紺色のリュックにシミを作った。
「これは誰?」
ライトが、壁に飾られているものの中でも特に古びた雰囲気の写真を指差す。
「おじいちゃんです」
のーむが答える。
振り返りもせず、ライトは隣の額縁を指差す。
「じゃあこれは?」
「おじいちゃんです」
ライトが振り向く。エプロンの腰ひもにしなだれかかる、緩くウェーブのかかったブロンドヘアが目に入る。
・・・のーむはこちらを見てすらいなかった。
「……無限ループかな?」
若干悔しそうな表情を浮かべつつ、ライトは自席に戻った。
綺麗な銅細工のシュガーポットに興味を惹かれつつも、一口目はブラックと肚を決め、ライトはカップを口元へ運ぶ。
若干ぬるくなったコーヒーは、放ったらかしにされて拗ねたような味がした。
「うん、酸味がいいね」
ライトの適当なコメントに、のーむは鼻息で応じる。
「しかし、本当に丸見えなんだな」
ライトは窓の外に視線を向ける。
「ええ、前の家主の人とはよく目が合ってました」
「ん? 住人が居たのか? ずっと空き家の事故物件って昨日言わなかったか?」
「……そうだったかもしれないです」
「なんだそりゃ」
西日に染まる車道を挟んだ向かい側に、古びた雑居ビルがあった。
ライトは、三階左隅の窓に目を留める。窓越しに暗い天井が覗いている。
最初に目に入ったのは、暗がりの奥で白く浮いた壁だった。
閉じ込められていた空気が開口部から漏れ出し、埃と古い木材の匂いを帯びて鼻の奥をくすぐる。
少女…のーむは90度まで扉を引くと軽やかにドアストッパーを蹴り、
「どうぞ。……満足するまで、見学していってください」
目が合う。瞳が大きい。陰った屋内でもはっきりとわかる金髪にピンク色のメッシュが入っている。
このコンカフェ嬢、高校生にしか見えないが、テナントの管理を任されるほどの猛者なのだろうか。不動産屋のアルバイトにしては派手過ぎるし……でもアキバならアリか?
一体何者なのかという問いが唇を衝き掛けたところで、オレはブレーキを踏んだ。
……どう考えても自分の方が怪しいだろう。不法侵入スレスレ(?)の行為をしておいて、目の前に現れたビルの関係者と思しき人物にお前は誰だ?と聞くなんてバカげている。自殺行為だ。
うん。この子も色々あるんだろう。コンカフェも不動産も闇が深そうだしな。
鼓膜まで届いていた心臓の音も思考を巡らすうちに少しだけ収まってきた。
オレは、ゆっくりと歩を進め、玄関へと踏み入った。
窓からの光は入口から数歩分を照らすだけで、部屋の奥までは届いていない。
昼とも夜ともつかない薄暗さの中で、白い壁だけがぼんやりと浮かび上がっていた。
オレは、入口脇の壁へ手を伸ばした。
指先がざらついた壁紙をなぞり、古いスイッチの角に触れる。押してみる。乾いた感触だけが返ってくる。
「電気、通ってる?」
「止まってると思います」
少女の返事に迷いはない。
オレはスイッチをまさぐっていた左手を後ろに伸ばす。
ユーゴがハンドランプを手渡してくれた。
ユーゴのリュックにはいつもコレが入っているのだ。
先端が光るタイプではなく羽子板のような形状で、スイッチを押すとヒラの部分に敷き詰められたLEDが一斉に発光する。プロ仕様の品だ。
我が相方ながら手際のいいことだ。手を伸ばしただけでコレが出てくる。
これではまるで、最初から暗所に侵入するつもりだったかのようではないか……。
少女の顔色を確認する度胸はオレには無かった。
白い光が床を滑る。埃が細かく舞い、古い床材の継ぎ目が浮かぶ。足を踏み入れると、靴底の下で小さく砂を噛むような音がした。
「ライト、靴!」
「いいですよ、そのままで」
背後でのやり取りを聞きながら、オレは玄関を通過して中へと進む。
メインルームは思ったよりも広かった。奥行きの長い長方形の間取りである。
左手には壁付の簡易的なキッチン。その先の壁には隣室へ通じる引き戸が一つ。
右手には引き違いの窓が三つ。手前の一つだけブラインドが開いている。
壁のあちこちに日焼けの跡が残っている。天井の奥にはカーテン式のパーテーションらしきものがあり、手前には半端な位置で止まった配線が垂れ下がっていた。
とにかく光が欲しい。
オレは窓に近づき、ブラインドのコードを引いた。
引き上げた羽根の向こうから、午後の光が一気に流れ込む。
埃をかぶった床も、壁に残った日焼けの跡もくっきりと輪郭を取り戻していく。
「……すげえ」
自分で言ってから、何がすごいのか分からなかった。
それは、止まっていた時間が再び動き出したようで、
まるで、空間そのものが目を覚ましたようで、
広いからではない。古いからでもない。
空き部屋らしい寂れ方をしているのに、決して死んだ空間ではない。そんな気配が――
「死んでますね。照明。ブレーカーだけの問題じゃないかも」
「……」
情緒の無い相方も居たものだ。
オレは急に現実に引き戻されて、感動のシーンを台無しにされたような気分になった。
ユーゴは床にリュックを下ろし、スマホライト片手に中の機材を探っている。よほどNODE 03が気になっているらしい。あんな噂は半分方便なのに、マジメな奴め。そんな風にされたら文句も言えないじゃないか。
オレは、宙に浮いた気持ちを胸に溜めたまま、もう一人の方を見た。
金髪の少女は部屋の入口付近にちょこんと立ち、あまり動かない。
長い髪を肩の前に落としたまま、部屋の中を順繰りに見まわしている。窓、壁、カウンター。
管理人なりのチェックポイントでもあるのだろうか。
オレは、ハンドランプを部屋の最奥へ向ける。
カーテン式のパーテーションが窓からの光を遮っており、入り口から一番遠いその一角だけが今も暗闇の中にある。
「ユーゴ」
気になって当然だ、と思う。
「そこだ」
口を衝いて出ていた。
どこに何があるかなんて、知っているはずがない。
それでも、体は先に動いていた。
「センサーでもついてるんですか? って……、え? 」
ユーゴが声を漏らす。
入り口付近で佇んでいた金髪の少女もいつの間にかすぐ背後についてきていた。
二人の顔を見て、オレも『それ』を見る。
暗がりの最奥に、小さな金属製のドアがあった。
背の低い棚と、積まれた段ボールの陰に隠れるようにして、扉は半分だけ開いている。
ドアノブはなく、縁に指をかけて引くような簡素な扉だった。古いビルの設備用スペースと言われれば、それで通りそうな見た目だ。
ただ、そこだけ埃の積もり方が少し違っていた。床の上に、細い線が残っている。
最近できたものではない。けれど、長い間まったく開けられていなかった扉の跡とも違う。
何度も開いたわけではないが、完全に忘れられていたわけでもない。そんな中途半端な跡だった。
オレはハンドランプを左手に持ち替え、扉の隙間に光を入れた。
中は狭い。人が二人入れば、もう肩が触れそうなほどだった。古い棚、埃をかぶった段ボール、壊れた小型ラック。丸められたコード。ひびの入ったプラスチックケース。
どれも、前の借主が置いていったものだと言われれば納得できる。
それでも、オレはすぐには中へ入れなかった。
狭さのせいではない。
部屋の一番奥に、見慣れない塊があった。
古びたCRTモニター。
その下に、金属ケースの箱が二段。用途の分からない大量の機材が画面を囲っていた。
背面から伸びた配線は束ねられ、壁際を這って、暗い隙間へ消えている。
違和感―― その正体がオレには分からない。
ユーゴが、狭い出入り口の隙間を横歩きで抜け、至近距離でその塊を凝視する。
「……家電じゃないです」
短く、それだけ言った。
「分かるのか?」
オレはハンドランプを天井付近まで掲げ、ユーゴの影が機材にかからないようにする。
「全部は。でも、適当に積んであるだけじゃないです」
ユーゴは金属ケースの側面に残ったネジ穴を見て、それから配線の束へ視線を移した。
「誰かが、ちゃんと組んでます」
壁のスイッチは反応しなかった。
天井の電球も消えたまま。
だから、次の瞬間に起きたことを、オレはすぐには理解できなかった。
ぱち、と乾いた音が
CRTの黒い画面に、白い線が走った。
画面の中央に、白い文字が浮かぶ。
AKIBA PHASE / NODE 03
文字は一秒も残らなかった。
通電していないはずの画面に浮かんだ文字はすぐに消え、画面は黒に戻った。
ハンドランプを持つ手が汗でぬめる。
ユーゴはCRTの画面を見たまま動かない。
少女も、入口から半歩だけ中へ入り、同じモニターを見つめている。
ライトはコーヒーを飲み干し、再び窓の外、
通りの向こうに見える古い雑居ビルを見上げた。
「計画を立てよう。今日は『見学』じゃあない」
ライトは、テーブルの端から六つ折りのナプキンを1枚取り、ポケットから取り出したボールペンを走らせる。
「作戦目標は三つ」
・給電の再開
・機材へのアクセス
・ログのサルベージ
「通電すらしていなかったはずのNODE_03が、どこからパケットを受信していたのか突き止める」
