父の想いがおかしな時期の転校生を生み出した
東京といえば思い出す父のこと。
父は、チャキチャキの江戸っ子であることを誇りにしていました。
大阪に住んでいても、かたくなに東京の発音を通しておりました。
それをカッコいい!と信じていたよう。
母は河内弁バリバリ。
お見合いで結婚したふたりは、最後までお互いの言葉を変えませんでした。
子どもながらに、なんだかおもしろい夫婦だな、と思っていました。
そんな父の夢は、東京への転勤。
その希望が叶ったとき、父は本当に嬉しそうでした。
当時、私は尼崎に住む小学五年生。
六年生を目前にした冬のことでした。
父は張り切って、引っ越しや転校の準備をどんどん進めていきました。
しかも、ほとんど一人で。
というのも、母はそのとき、妹を出産する直前の臨月だったから。
今思えば、父はかなりのせっかちだな、と。
終業式の前日、わざわざクラスに入れてもらう段取りまでつけてしまったのだから。
こんな慌ただしい時期だから、新学期からでもいいんとちゃいますか」と言う母に
「バカ。早くなじんだほうがいいに決まってるんだ」と自信満々に言ってました。
そうして私は、クリスマス会の日に転校生として紹介されることになりました。
いきなり、机がコの字に並べ替えられ、掃除がはじまりました。
わたしは掃除はせず、椅子に座って彼らが掃除する姿を眺めていました。
まるでお客様あつかいです。居場所がない、というのはこのことなんだ、とその時はそんな言葉を思いつかないけれど感じていました。
掃除が終わり、皆が席につき、グループごとの出し物の発表会が始まりました。
お菓子が配られ、劇や歌、各グループの出し物を見ることに。
クラスのみんなは笑ったり、冷やかしたり、合いの手いれたり、でとても楽しそうでした。
お菓子を食べながら、私は時々笑いそうになりながらも、
「何をやっているんだろう」「この女の子は何ていう名前なんだろう」などと思い、ポーカーフェイスを保っていました。
こんな時期に転校させた父を、少し恨んだりもしました。
逃げ出したいような泣き出したいような気持ちになりながらも、クラスの出し物をなんとか見終えました。
そして翌日は終業式。
成績表が配られるのを、ただ見ているだけで終了。
クラスの子のことをまったく知ることなく帰路につきました。
3歳年下の弟もきっと同じような時間を過ごしたんだろうな。
入った日が、終わりの日。
大阪なら、まるで吉本新喜劇の世界。
「邪魔すんねんやったら帰って〜」
そんなセリフが飛んできてもおかしくないくらい、私は妙な時期にやってきた転校生でした。
大人になった今はわかります。
父は、私と弟が少しでも早くクラスになじめるようにと必死だったのかもしれない。
「いじめられないように」という願いもあったんだろうな。
関西弁の私は、東京の発音に慣れるまでかなり時間がかかりました。
恥ずかしくて、しばらくは誰とも話せませんでした。
その代わり、本ばかり読むようになってしまいました。
振り返れば、その時間があったことが
「いつか文章を書きたい」と思うきっかけになったのかもしれません。
だから私にとって東京は、江戸っ子自慢の父の思い出がたくさん詰まった場所でもあるのです。
父の誇りと、せっかちさと、良かれと信じた父の想いが今はとても懐かしい。
あの少し居心地の悪かったクラスでの時間でさえも。
新しい小学校で楽しく過ごせるように、と願ってくれた父の想いのお陰で新学期からは友達もたくさんできて楽しい学校生活を送ることができました。
私にとって東京は、父と母、弟、友達。
いろんな思い出がつまった特別な場所です。
