怒る人というより「突然変わる人」が怖かった
私はずっと、怒る人や不機嫌な人、イライラしている人が苦手なのだと思っていました。でも最近、少し違うのかもしれないと思うようになりました。
たとえば、静かに不満をこぼしている人なら、たとえイライラしていても
「いま、この人はイライラしているんだな」
と理解できます。
近くにいて不安はあっても、相手がいまどんな状態なのかは分かります。だから、まだ心の準備ができます。
私が特に怖いのは、別のタイプなのかもしれません。
🌑 穏やかだった人が急に変わる瞬間
さっきまで普通に話していた人が、何かをきっかけに突然
「何なんですか!」
と声を荒げる。声量が上がり、口調も表情も変わる。空気の温度まで一気に変わったように感じる。
私はこの瞬間に強く驚きます。
言葉の内容そのものよりも、感情の温度が突然変わることに、身体が追いつかないのです。
さっきまで穏やかだったのにどうして急に?その落差に「わっ」と焦ります。私は「怒っている人」が怖いというより、穏やかだった人が突然別人のように変わる瞬間が怖いのかもしれません。
🌑 怖さの正体は「次が読めないこと」
なぜこれほど怖いのだろうと考えてみると、
「この人の次は何なんだろう」
という思考が出てくることに気づきました。
どこでスイッチが入るのか分からない。
何が引き金になるのか分からない。
今は穏やかでも、この先どうなるか分からない。
一度そう感じると
「今は穏やかにみえるから大丈夫」
ということさえ、安心材料ではなくなっていきます。
今は穏やかだけど、次は?
今の言い方は大丈夫だった?
何をしたら、また急に変わるんだろう?
そんなふうに相手のスイッチを探し始めてしまいます。もしかすると私が怖かったのは、怒りそのものではなく、相手の感情の温度が、いつ、どこで、どれくらい変わるのか予測できないこと
だったのかもしれません。
🌑 「いきなり」に見えるものの裏側
外から見ると、
穏やか
↓
穏やか
↓
突然100
のように見えます。
でも実際には、その人の中では、本当に0から100になったわけではないのかもしれません。
20、30、50、70……。
少しずつ不満が積み重なっていた。
けれど、小さな段階では何も言わずに飲み込んで
「まあいいか」
「これくらいなら」
「言っても仕方ない」
そうやって我慢を重ねて、100になったところで初めて
「何なんですか!」
と表に出る。
本人の中では少しずつ上がっていた感情が周りには見えないから、外からは「突然キレた」ように見えるのかもしれません。
もちろん、我慢していたからといって人に強く当たっていいわけではありません。ただ、「突然」に見えるものの裏には、溜め込まれた時間がある場合もあるのかもしれない。
そう考えていたとき、ふと自分のことが浮かびました。
🌑 あれ、私も100になるまで気づかないことがある
「これくらい大丈夫」
「我慢しよう」
「こんなことで嫌だと思っちゃいけない」
私も自分の感情を後回しにすることがあります。
我慢して我慢して限界を超えたところで、わーっと涙が出てしまう。
あれ?私にも、少し似たところがあるのかもしれない。でも感情には気づかず、100になって初めて「もう無理」となる。その部分は、どこか似ています。
私は突然怒る人のことを考えていたはずなのに、気づいたら、自分自身の感情との付き合い方に戻ってきました。
🌑 小さな違和感を無視しない
そう考えると、大切なのは、100になった感情をどうにかすることだけではないのかもしれません。
もっと前の20や30の段階で、自分の感情に気づくこと。
「ちょっと嫌だった」
「少し傷ついた」
「なんとなく引っかかる」
「ちょっと疲れてきた」
「今日は余裕がない」
そういう小さなサインを
「そんなことで」
と消してしまわない。
まずは
「あ、私は今ちょっと嫌だったんだ」
と自分が気づくだけ。
そのうえで、伝えるのか。
少し距離を取るのか。
休むのか。
今回は流すのか。
行動は、そのあと自分で選べばいいのだと思います。
🌑 20の感情にも発言権を
私はこれまで、感情を
「どうにかしなきゃ」
と思うことがたくさんありました。
でも本当に必要だったのは、その前の小さな違和感を拾うことだったのかもしれません。
20の私が、
「ちょっと嫌なんだけど」
と言っている。
30の私が、
「少し疲れてきたよ」
と言っている。
その段階で
「そうなんだね」
と一度聞いてあげる。
感情の言うとおりに、すべて行動する必要はありません。でも、存在しなかったことにせず、感情には発言権を与える。でも、行動の主導権は私が持つ。
100になった感情を必死に抑えるのではなく、20の感情にも席を用意しておけば、100になる前にできることが増えるのかもしれません。
🌑 怒らない人ではなく違和感を小さいうちに扱える人
私は「絶対に怒らない人」を求めていたわけではなかったのだと思います。
人間だから、イライラすることはある。
不機嫌になることもある。
余裕をなくす日だってある。
それでも、小さな不満を小さなうちに扱える。
嫌だったら、「それはちょっと嫌だった」と言える。
疲れていたら、「今日は余裕がない」と気づける。
そして、100になって爆発する前に、自分なりに調整できる。私はきっと、そんな人に安心するのだと思います。
そしてそれは、そのまま私自身もそうなっていきたいということなのかもしれません。
100になるまで我慢するのではなく、20の自分にも気づく。
「上手く言えないけどちょっと嫌だった」
「少し傷ついた」
「今日はもう疲れた」
そんな心の声をそのまま聞いてあげる。
怖い人について考えていたはずなのに、最後に戻ってきたのは、自分の感情との付き合い方でした。
100になってから自分をどうにかするのではなく、20の私からちゃんと話を聞いていく。
それが、自分と周りの人と穏やかに関わっていくことにもつながっていくのかもしれません。


