私、彼氏できたんです
「私、彼氏できたんです」
その言葉は、本当に突然だった。
いつものように彼女と食事をしていた。
特別な話をしていたわけでもない。
いつもの店。
いつもの会話。
いつもの彼女。
その何気ない時間の途中で、彼女はさらっと言った。
「私、彼氏できたんです」
一瞬、時間が止まったような気がした。
いつか来ると思っていた
驚かなかったと言えば嘘になる。
でも、まったく想像していなかったわけではない。
彼女は独身だ。
私よりずっと若い。
いつか好きな男性ができても、何も不思議ではない。
むしろ、それが自然なのだ。
私は以前から自分に言い聞かせていた。
彼女に彼氏ができたら、その時が私の引き際だ。
彼女の人生を邪魔するつもりはなかった。
だから、その日が来たら笑って、
「よかったやん」
と言おうと思っていた。
そして実際、その言葉を口にした。
でも――
頭で考えていたことと、心で感じることはまったく違った。
笑って祝福した
「そうなんや。よかったやん」
できるだけ普通に言った。
彼女の前で落ち込むわけにはいかない。
彼氏ができたことは、本来なら喜ばしいことなのだから。
どこで知り合ったのか。
どんな人なのか。
そんな話も聞いた。
私は普通に相づちを打った。
たぶん彼女から見れば、いつもの私だったと思う。
でも心の中では、別のことを考えていた。
ああ、終わったんだな。
それが最初に浮かんだ言葉だった。
嫉妬という感情
私は彼女の恋人ではない。
彼女自身からも以前、
「友達以上はない」
とはっきり言われている。
それなら、彼氏ができたことに嫉妬する資格などないのかもしれない。
それでも嫉妬した。
これから彼女は、その男性と食事をする。
一緒に出かける。
LINEをする。
私の知らない時間を二人で過ごす。
そんな当たり前のことを想像しただけで、胸の奥がざわついた。
自分でも情けないと思った。
60代になって、こんな気持ちになるとは思わなかった。
でも、感情に年齢は関係ないらしい。
好きな女性に好きな男性ができた。
ただ、それだけのことなのだ。
「今日のこと、彼氏は知ってるの?」
一つ気になることがあった。
私は彼女に聞いた。
「今日、俺と食事してること、彼氏は知ってるの?」
彼女はあっさり答えた。
「知ってますよ」
私は少し驚いた。
「言ったの?」
「言いました」
なぜ、わざわざ言うのだろう。
黙っていれば分からない。
そう思った私に、彼女は言った。
「私、黙っているのがダメなんです」
彼氏には、私という年上の男性と以前から食事に行っていることも話しているという。
そして彼氏も了承しているらしい。
正直、私には少し理解できなかった。
もし私が逆の立場ならどうだろう。
自分の彼女が別の男性と二人で食事に行く。
たとえかなり年齢の離れた男性でも、私は平気ではいられないと思う。
でも、それは私の価値観だ。
彼女と彼氏には、二人なりの付き合い方があるのだろう。
これで最後だと思った
食事をしながら、私は心の中で決めていた。
今日で終わりにしよう。
彼女に彼氏ができた。
だったら私は身を引く。
それが一番自然だ。
これまで楽しかった。
月に一度程度でも、彼女と食事をする時間は私にとって特別だった。
それで十分ではないか。
そう思おうとした。
ところが――
話は、私が予想していた方向には進まなかった。
「これからも今まで通り」
彼女は、私との関係を終わらせるつもりではなかった。
彼氏ができても、
これからも食事に行く。
話をする。
今までの関係を続ける。
そんな考えだった。
私は戸惑った。
なぜ?
彼氏ができたのなら、私との付き合いを終わらせたほうが簡単ではないのか。
私は彼女にとって恋人ではない。
それなのに、なぜ残す必要があるのだろう。
私には分からなかった。
ただ、一つだけはっきりしていた。
彼女は、
「彼氏ができたから、もう会いません」
とは言わなかった。
むしろ逆だった。
私との関係を続けようとしていた。
私は何なのだろう
嬉しい気持ちがなかったと言えば嘘になる。
彼女が私との縁を切ろうとしなかったことは、嬉しかった。
でも同時に、複雑だった。
恋人ではない。
友達以上でもない。
彼女には彼氏がいる。
それでも二人で会う。
では私は、
彼女にとって何なのだろう。
頼れる年上の友人なのか。
話しやすい相手なのか。
ただ一緒に食事を楽しむ人なのか。
それとも、私にはまだ分からない別の何かなのか。
答えは出なかった。
そして、もう一つ。
もっと重要なことに気づいた。
彼女が私との関係を続けたいかどうかだけではない。
私は、この関係を続けたいのだろうか。
好きな女性には彼氏がいる。
それを知りながら会い続ける。
私はそれに耐えられるのだろうか。
その日の帰り道。
彼女と別れて一人になった時、食事中には押さえていた感情が一気に出てきた。
寂しかった。
悔しかった。
そして何より、
彼女を失わずに済んだことに少し安心している自分がいた。
その自分が、一番厄介だった。
私はまだ彼女を好きだった。
だから簡単には、
「じゃあ、これからは友達として」
とは切り替えられなかった。
彼女に彼氏ができた日。
私たちの関係は終わると思っていた。
ところが実際には――
終わるどころか、もっと説明のつかない関係が始まってしまった。
